遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『鬼神伝 [龍の巻] 』  高田崇史  講談社NOVELS

2015-12-31 22:22:28 | レビュー
 天童純は高校1年の春のオリエンテーションで、鎌倉・長谷寺に行く。そして、地蔵堂の前であの水葉に瓜二つの少女が目の前を通り過ぎるのを見たのである。無意識にその少女の後を追う。少女はお堂の先にある弁天窟に入って行く。勿論、純はその後を追った。 しかし、それは天童純が再び異次元世界にワープしてしまう始まりだった。この「龍の巻」は、天童純が何と鎌倉時代、それも北条氏が実権を握り、すでに八代目・北条時宗の治世の最中に飛び込んでしまって起こる異時空冒険譚である。

 三代将軍源実朝が亡くなってから50年余、争乱は絶えることなく、僧侶達は末法の世と言い、仏を恐れぬ悪鬼がはびこると吹聴する。異国の鬼が渡海し攻めてくるという風評も流れているという時代。鎌倉幕府は、世の乱れを地獄谷や葛原ヶ岡に棲み着く鬼のせいだとし、北条時宗は鬼の殲滅を講じているという。なぜ、鬼の殲滅を狙うのか? 鎌倉の資源の多くを握っているのは、山奥の鬼たちであるためだ。「戦って、鉄を勝ち取るしかない」という点に時宗のねらいがある。

 この物語、図式的に言えば、時宗を筆頭とし鬼を殲滅せんとする鎌倉幕府と、鬼と呼ばれる人々との争闘である。鬼の頭目は赤目と呼ばれる。そして、鬼の娘・水姫(みずき)がいる。

 まず関わりを深めて行くのが刀鍛冶師・鬼正の弟子、15歳となった王仁丸(わにまる)である。王仁丸は住まいのある佐助稲荷から十二所まで使いに来ていて、龍ノ口で蛇胴丸という銘の刀を使い、鬼の斬首刑が行われると聞く。王仁丸は龍ノ口刑場に太刀蛇胴丸を見たさに出かけて行く。刑場に引き出された赤目が、振り向き王仁丸を見据えて、蹈鞴(たたら)の神・天目一箇神(あめのまひとつのかみ)の名を口に唱えたことに驚愕する。そこに土蜘蛛に乗り、四尺八寸あるかもしれない「鉄丸(くろがねまる)」と呼ばれる大太刀をひっさげて水姫が現れ、赤目を救出していく。これがこのストーリーの起点となる。
 
 この対立図式の中に、様々な人物が登場してくる。
 時宗の側では、御家人の安達泰盛が信州・戸隠の山奥から僧形の三眼坊を呼び寄せる。三眼坊は「人頭杖(にんずじょう)」を携えてきて時宗に目通りする。そして、三眼坊を介して、三百年昔のあの源頼光の霊を呼び寄せて、鬼の殲滅に利用しようとする。さらに、帝釈天も呼び出されてくる。さらには、十六神王までも・・・。
 
 小町の辻で説法中に危難に遭う日蓮が登場する。強引に鬼正の弟子になった宗丸とともに王仁丸がその場の日蓮を救う。それが縁となり、日蓮が王仁丸が不思議と考えることを絵解きをする立場として関わって行く。善とは何か、悪とは何か、鬼神とは、「人」とは? 日蓮の語ることが、この小説の一つの筋となっている。
 日蓮の語りとして、こんな一文が出てくる。「『鬼』というのは戦う『神』のことだ。そして、『神』は我々『人』の祖先。また『人』は『仏』となる。つまり、鬼も神も人も仏も、みな同じ」(p134)そして、王仁丸にしっかり考えよと言う。
 刀鍛冶師鬼正の刀に関わる考え方も底流に流れる一つの筋である。その鬼正は一心に一本の刀の研ぎに打ち込んでいる。
 だが、鬼正の考えには日蓮が王仁丸に告げた問いと関わる部分がある。日蓮は王仁丸に言う。「おまえが鍛え上げた刀は、一体何を斬るべきなのかを。悩み、そして考えろ」と。
 
 化粧坂(けわいざか)近くの薬師堂に危難を逃れて逃げこみ、そこの古ぼけた薬師如来像を拝む日蓮の前に、阿修羅王に命じられた十二神将のうちの伐折羅(ばさら)大将が訪れる。伐折羅大将を通じた阿修羅王の頼みは、帝釈天が鎌倉に張り巡らした結界の突破口をこの薬師堂にするためという。無駄な犠牲、血を流さずに敵・帝釈天と対峙したいがためという。日蓮に四日三晩、薬師如来を祀ってもらうことが、その突破口となるのだと。
 そして、赤目・水姫のところに、小野篁が再びストーリーの後半で登場する。石となって三百年眠る「大和の雄龍霊(おろち)」を目覚めさせ、赤目・水姫達の鎌倉幕府との戦いに参戦させんがためである。「大和の雄龍霊」には天童純が必要だったのだ。だから、弁天窟から純がワープさせられた。しかし、後半の小野篁の登場まで、純が純としては登場しない。なぜか? それがこのストーリー構成の一つのおもしろさでもある。純は既にストーリーに登場していたのだ。それが誰かは、本書を楽しんでいただきたいと思う。

 この小説は、前作から三百年後の鎌倉時代に設定されているが、根底にあるのは「鬼」と「人」の対立・争闘である。それが神々の対立・争闘と絡まっていく。その背景にあるのは本来の土着の民族と移住・侵入者してきた民族の戦いである。侵略者による支配の中で被支配者に甘んじていく民と対立・反撃を続けて行く民の乖離。抵抗を続ける民に降りかかる必然的な圧迫などが背景にあるといえる。それが「鬼」「鬼神」として記号化され、SF的ストーリー展開で語られているのだと思う。しかし、その争闘は「同じ」であるべきという思いに至るための過程でもある。「まことに残酷なのは、私たち人間」ということが、繰り返し語られているテーマであるようだ。その背後にあるのは「怨念は怨念しか生み出さない」。
 ストーリーにはその繰り返しパターンが重層的に描き込まれていく。阿弓流為(アテルイ)と母禮(モレ)の斬首のこと。大江山の酒呑童子と平安京の貴族の関係。北条一族と梶原一族の関係。御霊神社と鶴岡八幡宮の関係。火の神と武甕槌(たけみかづち)神・経津主(ふつぬ)神の関係。などである。

 鬼正は事情も知らされずに「草薙剣」を研ぐ。そして小野篁から「国光」と名乗れと言われる。国光となった師は、宗丸が梶原貞成から引き受けた刀の研ぎの件を知る。宗丸が引き受けたのは「大進坊」だった。国光はこの太刀の研ぎを引き継ぎ、それを宗丸に見せるプロセスがある。ここは一つの読ませどころになっている。
 もう一つは、梶原貞成の有り様を描くプロセスである。ここもなかなかドラマチックだ。

 最終ステージは、純が石になったオロチを解き放つ。オロチの復活である。そして、純と阿修羅王は戦いの場で再会する。
 大和の雄龍霊が真の姿を現出することになる。
 最後の展開は日蓮が龍ノ口刑場に引き出される場面と重ねられていく。興味深い。

 このストーリー、最後に立派な刀工誕生エピソードという楽しいオチも付いている。勿論、これはSF的異時空世界での物語としてだが・・・・・。
 それでは、最後の最後に、純のつぶやきに触れておこう。「ぼくがどうしてこの世界に呼ばれたのか、その本当の意味が分かった気がする。きっと水葉に頼まれたんだ。・・・・・」 何を頼まれたのか? それは読み進めてみて、味わってほしい。

 日蓮聖人が龍ノ口の法難に遭ったのは史実である。文永8年(1271)9月13日子丑の刻(午前2時前後)と伝えられている。


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本書に出てくる語句とそこからの関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
帝釈天  :ウィキペディア
インドラ :「コトバンク」
阿修羅  :ウィキペディア
北条時宗 :ウィキペディア
日蓮聖人略年譜  :「大本山 清澄寺」
龍口  :ウィキペディア
龍ノ口法難  :「龍口寺」
龍口寺 :ウィキペディア
天女と五頭龍  :「龍伝説」
五頭龍と天女様 岸本景子 マンガで見る江島縁起 :「江島神社」
御霊神社  :「鎌倉手帳」
御霊神社(鎌倉市)  :ウィキペディア
面掛行列 :「鎌倉ビデオ・アーカイブス」
  メニューの中、「鎌倉の行事」の一つとして掲載あり。

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徒然に読んできた作品で、このブログを書き始めた以降に、シリーズ作品の特定の巻を含め、印象記をまとめたものです。
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『神の時空 -かみのとき- 三輪の山祇』 講談社NOVELS
『鬼神伝』 講談社NOVELS
『毒草師 パンドラの鳥籠』 朝日新聞出版
『鬼神伝 鬼の巻』 講談社
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』  講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
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