遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『早雲の軍配者』 富樫倫太郎  中央公論社

2012-03-24 00:28:06 | レビュー

 早雲は、伊勢新九郎→早雲庵宗瑞→北条早雲と改名していった。家督を氏綱に譲り、形としては隠居したこの早雲に見出され、早雲の孫・千代丸の軍配者として将来を嘱目された風間小太郎の物語である。久しぶりに実に爽快な気分を残してくれる小説だった。

 千代丸の父は早雲の嗣子氏綱。千代丸は後の氏康。そして風間小太郎は、早雲が北条を名乗るようになった後、氏綱から風摩という姓を受け、風摩小太郎と名乗ることになる。風間小太郎が風摩小太郎を名乗るまでの生長を扱った小説ともいえる。

 本書は3部構成になっている。
 第1部 韮山さま、 第2部 足利学校、 第3部 高輪の戦い
 最も簡単に言えば、第1部は小太郎が早雲に軍配者の素質があるかどうか試されて、そのお眼鏡に適う。そして、早雲からその基礎訓練を段階を経ながら受けることになる。第2部では下野にある足利学校に入学し、そこの第二教程あたりから学び始める。そして、軍配者としての素養を習得して行く。入学当初にいわば同期のような形で、四郎左、冬之助という友ができ、一緒に学ぶことになる。足利学校で4~5年の修養を積み、早雲の死によって、国に呼び戻される。帰国後、氏綱から「風摩」の姓を授かる。第3部は、扇谷上杉朝興との高輪原の戦いに、将来の軍配者として戦参観の立場で随行することになる。しかし結果的には、その戦いの中で求められて自らの意見を具申し、戦の態勢の挽回に貢献する。最後に、成人した千代丸(氏康)の初陣にあたり共に戦場に臨む。この第3部は軍配者の視点、小太郎の戦への関わり方として、なかなかの読ませどころになっている。
 この作品は、一人の軍配者誕生への生長ストーリーという展開になる。途中、様々な紆余曲折があるが、ハッピーエンドになる点で、爽快さが残る。

 さて、大きな辞書を何冊か見ると、「軍師」「軍配」という単語は載っているが、「軍配者」という単語は載っていない。ウィキペディアの「軍配」という項目の中に、「軍配者」という表現が出てくるだけである。軍配者という語句は本書の著者の造語なのだろうか。つまり、軍配者というのはあくまでフィクションなのかどうか。「軍師」と違う立場を創造したのは、小説の世界を大きく広げるためだったのかという興味である。それとも、現代の辞書には記載されていないが、当時にはそんな言葉があったのか・・・
 著者は、軍配者について本書で「戦の全般に関して君主に助言する専門家」(p52)だと説明し、通常は陰陽師や修験者がその機能として担った占術の側面、つまり戦を有利に始めるのに適した日時や方角を占う役割と、軍師・参謀がその機能を担った作戦の立案という役割を兼ねそなえた専門家なのだという。総合的な能力を期待されている存在なのだ。そんな優秀な人材は手軽に養成できる訳はないだろう。

 本書を読んで興味深かったのは、この軍配者を育成する足利学校という存在だ。国の如何を問わず、諸国から優秀な人材が下野の地に集まってきて、教程段階を一段ずつクリアしながら軍配者として育成されていく。そんな中立的な機関と育成プロセスが確立されていたようだ。これがどこまで事実に即したことなのか、具体的な文献を読んでいないので私には判断できない。だが、そのプロセスを第2部で具体的に説明しながら、その中での人間関係を絡ませていくところがおもしろい。
 この学校を卒業したら、出身の国に戻るか、どこかの国に雇われることになる。そうすると、場合によっては同じ足利学校のものが、戦場で軍配者として対決する立場になる。ところが、この学校の主宰者の許には、全国に散らばって行った卒業生から様々な情報が伝えられてくる、そのため、主宰者は最新の情報に精通していく立場にあるという。戦国の世に、よくもこのような学校が存在し得たものだと思う。
 本書では、領国の接する北条氏と扇谷上杉氏は互いに領土争いの関係にある。だが、この扇谷上杉氏の一統に連なる曾我冬之助と小太郎が、この足利学校で机を並べる関係になる。そして相互に認め合い、共に学びを深め、協力しあう関係になって行く。そこには、後でふれる四郎左も加わっている。この展開が何ともおもしろくて、実に楽しい。
 著者は永正16年(1519)の秋、小太郎14歳、冬之助16歳、四郎左20歳と記す。

 本書から学べることがある。それは早雲の治政観であり、戦国の時代における家の存続を考えた遠慮深謀の姿勢と実行という点である。
 農民を搾り取る対象とは考えず、農民からの税は定額で変動させず、農民に安心感を抱かせ、安定した生活を送らせられる体制を築き維持すること。それが、家を存続させ国を強化できる基なのだという認識とその方針を実行したこと。この治政観がなぜ、他の多くの諸国に普及しなかったのだろうか。
 もう一つは、今川の後援で一城を預かる主の状態から、公方を追い出し伊豆地方を平定し、領土を拡大した段階で、嗣子氏綱に家督を譲り、道筋づくりを明確にしていったこと。そして、氏綱の治政を支える形で補強を図る。孫の時代のことを念頭に、家の存続の基が人材であり、領土拡大を図り家の繁栄を継続する上で、軍配者の育成が一つの要になると思考する。自らの死後の先の問題への布石を打ったという点である。
 これが、どこまで事実に合致するのか知らないが、こういう発想と視点は時代が変わっても通底するところがあるのではないだろうか。本書を読み、早雲という武将に興味が湧いてきた。

 本書のストーリー展開から関心・興味を抱いたことをいくつか箇条書きに記しておきたい。
1. 香山寺住職、以天宗清和尚が風間小太郎を「堀り出し物」と称して、宗瑞(早雲)に引き合わす。「乾いた大地が雨水を吸い取るが如く、小太郎は耳で聴いたことを胸に刻み込んでしまうのです。」「小太郎の才を生かすことができる道は他にあるやもしれず」(p15)というように、人物を見抜きその才能を育てようとする人との出会いが如何に重要か、ある意味人生の転機を左右するか・・・・。本書にも触れられているが、この和尚をネットで検索すると、「早雲寺」を開山された人だった。

2. 本書では、小太郎の従兄弟として風間慎吾が登場する。小太郎の父・風間五平は宗瑞の間諜として働き、敵方に処刑される。そして、慎吾の父・風間六蔵が棟梁を継承して風間の一党を率いている。小太郎が宗瑞に見出され軍配者として育てられる道を歩む。一方、慎吾は父六蔵の後を継ぎ風間の棟梁となる道を歩む。小太郎は風摩姓を得て風摩小太郎と名乗り、軍配者になる。
 「風摩小太郎」は忍びの集団を率いたと通常言われている。本書には直接的には描かれていないが、この作品設定の時代の先に、風摩小太郎の配下として風間慎吾が風間党を率いるという想定になるという設定なのだろうか。

3. 風間慎吾にはあずみという妹がいる。小太郎に頼まれて、あずみは小太郎の妹・奈々の面倒をみる約束をする。このあずみと小太郎の関係がこの小説で暖かさを生み出していて、好ましい。この奈々が千代丸(=氏康)と出会い、遊びの世界で繋がっていく設定がおもしろい。

4. 本書に宗瑞の考え方がところどころに出てくる。治政観として学べる点だ。
 ・韮山さまは、あらかじめ決めただけの年貢しか取らぬ。(韮山さま=早雲) p10
 ・国を支えるものは武でもなければ財でもない。人である。国の主が高き志を持ち、優れた才を持つ者が主を支えれば自然と国は栄え、民は幸せに暮らしていけるものだ。p23
 ・何事も、まずは民を第一と心得よ。 p41
 ・こののどかな光景は力で守らねばならぬ。 p50
 ・宗瑞の死後、遺言書が見付かったという。それには自分が死んだ後の指図が細々と書き記されており、遺体をすぐに荼毘に付すことや、葬儀をできる限り質素に執り行うことなども・・・ p269
 ・年貢は伊勢氏(=北条氏)の者が贅沢するためではなく、この国を豊かで暮らしやすい国にするために使わねばならぬ。 p270
 ・宗瑞の死後も、年貢は四公六民を維持した p295

5. 宗瑞が小太郎の人物を見極めて行く上で、読ませる書物を段階的に与えて行ったと描写している点は興味深い。つまり、物事を学び、広げ深めるには適切なステップがあるのだ。小太郎は香山寺で、廊下の掃除をしながら聴いて、既に四書五経は学んでいた。
 そこで、
  太平記 → 孫子 → 平家物語、吾妻鏡 → 史記  と書物を与えられた。
 宗瑞は、併行して、吉兵衛という観天望気の名人の供をして外歩きをせよと命じる。
 さらに、宗瑞は合戦の図上演習を小太郎に手ほどきするのだ。

6. 織田信長の傍に、伊束法師という軍配者がいたという。初めて本書で目にした。p53

7. 武田信玄の軍配者、山本勘助が一時期、足利学校で小太郎と一緒にいたという設定がおもしろい。それも、本当の山本勘助は足利学校に行く途中の村で殺され、そのお供の荷物運びの男・四郎左が山本勘助になりすます。小太郎が足利学校に行く途中、本来の山本勘助一行と一緒になる。そこで四郎左を見知る。この展開がおもしろい。(第2部)
 山本勘助という謎めいた人物に興味が湧く。関心事項がまた増える。

8. 本書には足利学校の教育システムが第2部でかなり具体的に描かれている。このシステムもなかなか興味深いものだ。自学自習が原則で、充実した書庫から書物を借り出し、筆写して自らの力で学ぶ。講義はいくつかの段階があり、力が付かないと上の段階を学べないシステムだったようだ。
初歩的な段階 四書五経を中心に学問の基礎となる漢籍を学ぶ
 二段階目 武経七書と医書(3冊)を学ぶ
  武経七書:『孫子』『呉子』『蔚繚子』『六韜』『三略』『司馬法』『李衛公問対』  医書  :『傷寒雑病論』『黄帝内経素問』『親農本草経』
 三段階目 『易経』と観天望気、陰陽道の知識 →ここで通常足利学校を去る
 四段階目 古今の戦争を題材に学生同士が戦を指揮する:図上演習

9. 早雲(=宗瑞)は死ぬまで伊勢氏を名乗った。しかし、宗瑞の生前、しばしば氏綱が武蔵や房総に兵を出した。そして、宗瑞の死後、氏綱は伊勢氏は北条氏の後裔だとして北条氏を名乗る宣言をする。韮山は源頼朝が流刑された土地であり、その周辺は鎌倉幕府の執権を世襲した北条氏の領地でもあった。
 著者はこう記す。「伊勢氏ではなく北条氏が攻撃すれば、それは『侵略』ではなく、かつて支配していた土地の『回復』になる。・・・・氏綱には他国に攻め込む大義名分ができるわけであった。」と。こんなことがまかり通ったとはおもしろい。

10. 戦の出陣日を軍配者に占わせていたというのが面白い。こんな会話を著者は記す。「ここは金石斎の言うように、神の思し召しに逆らわず、こちらに運が傾いているときに始めるべきであろう。何を好んでわざわざ縁起の悪い日に出陣する必要があろう。神仏の加護に唾するようなものではないか」

 最後に、印象深い文を記しておきたい。

*過ぎたことを振り返るより、これから先のことを考えることこそ大切であると存じます。 p21

*妹と縁を切ることはできませぬ。  p22

*優しさを持つのは悪いことではない。幼い頃からわがままで酷薄では、それこそ先が思い遣られる。 p61-62

*あと十年もすれば千代丸(=氏康)も元服する。十年といえば長いようだが、軍配者として一人前になるには、それくらいの歳月が必要であろう。今から準備しておきたい。 p63

*伊豆の農民は幸せそうに汗を流し、武蔵の農民は苦しそうに泣いてばかりいる。だから、韮山には頑丈な城などいらないわけだ。 p267

*戦をなくすために戦をする。それで民が安心して暮らすことができるようになる。p325
*世間の者たちは、一代で伊豆・相模の二ヶ国を征した早雲庵殿を稀代の英雄と呼んでいるらしいが、わしは、そうは思わぬな。英雄というより仁者と呼ぶ方がふさわしいように思う。  p361
 →著者は、足利学校の庠主・東井が小太郎に語った感想として描いている。

*相手の立場になって策を考えよ。  p391

*戦は生き物だから、こちらが想像していない動きをすることがある。兵書を読むだけでは学べないことがある。自分のすることが裏目に出て、どうしていいかわからないことがある・・・・・名将と呼ばれる多くの人たちもそういう不運のせいで命を落としたそうです。しかし、早雲庵さまは生き抜きました。それは座禅のおかげだというのです。戦で負けそうになると座禅を組んで、心を空っぽにしたそうですが、そうすると、それまで見えなかったことが見え、自分がどうすればいいかわかったそうです。自分の心の声が教えてくれるのだそうです。    p407

*父上は、こう申された。小太郎の目には何の濁りもない。澄み切ったきれいな目をしている。小太郎の目は人の心の奥底を覗くことのできる目だ。そんな目を持つ者は、そうそう見付かるものではない、とな。 →氏綱の言として p431


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 この作品に出てくる語句で、史実背景にある語句をネット検索してみた。リストにまとめておきたい。

香山寺 ← 平兼隆の菩提寺 香山寺 :「鎌倉時代を歩く 弐」
以天宗清 :早雲寺HP

軍配  :ウィキペディア
北条早雲 :ウィキペディア
後北条氏 :ウィキペディア
北条氏綱 :ウィキペディア
北条氏康 :ウィキペディア
根来金石斎 ← 大藤信基 :ウィキペディア
伊束法師 (→「桶狭間の戦い」p46 抜粋紹介の記述に)
上杉定正 :ウィキペディア
 この項に、「道灌の軍配者(軍師)の斎藤加賀守のみは定正の元に残り」と斎藤加賀守が記されている。
扇谷上杉家 :ウィキペディア
太田 道灌 :ウィキペディア

太平記  :ウィキペディア
平家物語 :ウィキペディア
吾妻鏡  :ウィキペディア

足利学校 :ウィキペディア
足利学校 日本最古の学校(国指定史跡)

孫子(書物) :ウィキペディア
『魏武帝註孫子』原文 :立命館大学中國文學専攻 「孫子の世界」
孫子の兵法 :石原光将氏
呉子  :ウィキペディア
呉子  :Web漢文大系
 このサイトに、孫子、司馬法、尉繚子、李衛公問対、六韜、三略
 の全てが揃っています。すぐれものですね。
尉繚子 :ウィキペディア
いんでぃ版「尉繚子」 :いんでぃ氏
 なかなかユニークな取りあげ方と意訳の試みかと・・・いんでぃ版として、「孫子の兵法」、「呉子」、「六韜三略」、「司馬法」、「李衛公問対」も掲載があります。   
尉繚子 :「司徒's ホーム」 司徒氏
 ここにも、「孫子」「六韜」が完成で、他は書きかけや工事中として載っています。
六韜 :ウィキペディア
六韜 :「中国的こころ」
 概略の紹介ということで七書がそろっています。
三略 :ウィキペディア
三略 :「兵法塾」
 このサイトも兵書抜粋という形で七書がそろっています。
司馬法  :ウィキペディア
司馬穰苴 :ウィキペディア
司馬法 
李衛公問対 :ウィキペディア
李衛公問対 上巻
李衛公問対 中巻
李衛公問対 下巻

七書、第1冊 :国立国会図書館のデジタル化資料
同上、第2冊 
同上、第3冊 

傷寒論 :ウィキペディア
傷寒雑病論(しょうかんざつびょうろん):つかだ薬局
 このサイトに、傷寒論、黄帝内経、親農本草経の概説もあります。
傷寒雑病論 :薬学用語解説 日本薬学会
金匱要略 :ウィキペディア
黄帝内経 :ウィキペディア
黄帝内経素問・王冰序
黄帝内経:素門 明・顧従徳本
神農本草経 :ウィキペディア
『神農本草書(しんのうほんぞうきょう)』 :内藤記念くすり博物館 野尻佳与子氏

神農本草経. 巻上,中,下,攷異 / 森立之 [編] :早稲田大学図書館

風魔小太郎 :ウィキペディア

韮山城 :ウィキペディア
韮山城と支砦群 :「余湖くんのホームページ」
小田原城 :ウィキペディア
小田原城(後北条時代) :「神奈川の城」
権現山城 :「神奈川県の城」
玉縄城 :ウィキペディア
玉縄城 :「埋もれた古城」 ウモ氏


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