遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『影踏み鬼 新撰組篠原泰之進日録』  葉室 麟  文藝春秋

2015-05-03 10:29:36 | レビュー
 歴史は勝者が書いたもの、もしくは勝者の立場を支持する者が書いたものが残る。敗者の立場からの歴史は抹殺される。その中間にある者の書いたものは、誰かが意識的・意図的に残すことがない限り、時代の流れの中で取捨選択されて残るのだろう。
 この作品の主人公・篠原泰之進は、歴史でいう勝者でも敗者でもないと思う。九州・久留米の石工の息子として生まれ、宝蔵院流槍術、剣術、良移心当流柔術を修行する。長じて久留米藩家老の中間となったことから、供をして江戸に出る。アメリカのペリー提督が5年前に浦賀に来航したという時期である。結果的に、尊皇攘夷の志を抱き、脱藩して水戸に走る。根っからの尊攘派浪士となる。そんな泰之進は伊東甲子太郎の門下に入り、甲子太郎に信服して、行動を共にすることとなる。草莽の大義で行動した一介の浪士なのだから。

 大筋を捕らえておこう。甲子太郎に随い、新撰組に入隊。新撰組の当初の理念に相違し、その実態が見えてくると、甲子太郎に随い新撰組から分離する。そして、伊東甲子太郎を筆頭にして、崩御された孝明天皇の御陵を警衛する役目、御陵衛士となる。だが、伊東甲子太郎は、新撰組の近藤勇の指示により、暗殺されてしまう。泰之進は甲子太郎の実弟・鈴木三樹三郎らと共に、近藤勇を追い、甲子太郎の無念をはらそうとする。そのため、赤報隊に入り、近藤の後を追おうとするが、赤報隊は桑名で解散を命じられる。赤報隊解散後、粗暴の凶徒の一人とみなされて泰之進は投獄の憂き目に。嫌疑が晴れて釈放された後、官軍として越後の戦線に向かう。その2ヶ月ほど前に、近藤勇は既に板橋で処刑されていた。泰之進が自らに課した目標が消滅する。その泰之進は結局幕末動乱期を生き延び、維新後大蔵省で勤務した後、ある事件が契機で嫌気がさし、大蔵省を辞す。そして、実業家の道を歩む。この小説は明治25年4月、65歳で健在だったところまで描いている。
 この最後の場面が、末尾の一文を引き立たせるのだ。最後の一文を記しておこう。
 「泰之進は鬼となって追いかけねばならない影が消えていくのを見た。」(p246)

 その篠原泰之進は、「秦林親日記」(筑後之住秦林親称泰之進履歴表)というものを残している。国会図書館のデジタルアーカイヴである「近代デジタルライブラリー」でその内容を読むことができる。それが公開されているのを確認したが、現時点で私は未読である。
 少なくとも、世を動かすという意味の勝者でもなく、主流から抹殺されていった完全な敗者でもない。しいていえば、個人の生き様を正当化する視点が含まれている記録かもしれない。だが、泰林親が見聞・体験した激動の時代の事実について、何らかの意味を加え得る史料として、厳然と残されている。読んで見ようとは思っている。

 この小説の著者・葉室はたぶんこの史料を踏まえ、他の諸資(史)料と併せて独自に解釈した上で、記録の行間に想像力を働かせてこの作品を紡ぎ出したのだろう。対比分析をしていないので、著者がどこをどのように解釈して作品化をしているかは知らない。

 尊攘派浪士の一人だった篠原泰之進という男の生き様を主軸にしながら、著者は幕末動乱期の政治情勢の変転と、その時代に深く関わった人々の思想・思考と志、そして複雑怪奇な人間関係、その両面の紆余曲折を一つの歴史の流れとして織りなして行く。

 <影踏み鬼>という遊びがある。鬼の役になった子供が追いかけて相手の影を踏んだら、踏まれた子が今度は鬼の役に切り替わり、他の子を追うという遊びである。
 著者は、幕末動乱期の時代と人々の動きを、<影踏み鬼>のようなものだったのではという視点から、描き出しているように思う。
 著者は、泰之進にこう言わせている。「伊東さんの仇は必ず討ちます。昨夜はわれらが、奴らに追われたが、今度はわれらが近藤、土方を追う番だ」「わたしたちは負けてはいない。勝負を決するのはこれからだぞ」と。そして、<影を踏まれた者が鬼となり、踏んだ相手を追いかける影踏み鬼に似ているな、と泰之進は思った>と記している。(p206)
 
 この小説の構成と展開において興味深い点がいくつもある。思いつくままに列挙してみる。
*江戸に出た篠原泰之進が尊攘派浪士となった経緯から、赤報隊解散までが克明に描かれていく点。その後は要点が簡明に描かれることで、篠原泰之進の伝記風小説になっている。
*「尊皇攘夷]という言葉が如何に多様に多面的に使われていたか、その点を浮かび上がらせている。そこが一つのテーマだったのではと思う。この四文字を改めて捕らえ直す必要があるようだ。やはり、一筋縄ではいかないカメレオン的な語句だ。
*新撰組に入隊し、御陵衛士として分離するまでの経緯に一つの焦点が当たっている。そこでは新撰組の隊士として活躍する泰之進を描いているのではない。新撰組がどのような理念でどのような組織として、京都で行動していたのかを描き出す。泰之進を、新撰組の実態を内部から見る告発者の視点で描いている感すらある。近藤・土方は結局幕臣になるのが夢であり、そのために新撰組を己の欲望達成の道具としてどのように使ったか・・・・。そんな局面を色濃く感じる。土方は近藤を理想像として維持し、己は一切の汚れ役を引き受けたという視点がある。泰之進が土方のスタンスを見抜いた上で、土方との人間関係を築くという経緯がおもしろい。
*伊東甲子太郎を師と仰ぎ、その伊東の弱点を知りつつ、伊東を支えていこうとする泰之進の立場を、新撰組の組織の人間関係の内で描いている点が興味深い。
*泰之進が坂本龍馬と対面する縁があり、その折に坂本龍馬を直感的に体感したと描く。この点がおもしろい。坂本龍馬の暗殺に関わる経緯が描かれているが、泰之進の立場も併せて書き込まれていく点が興味深い。
*西郷隆盛を、ここでは権謀術数・老獪な人物として描き出す。「西郷はいつもそうだ。浪士を都合よく使いはするが、自分たちの上を行こうとすると叩き落とす。薩摩に邪魔だと思えば一顧だにせぬ。あの坂本龍馬が死んだのがいい例ではないか」(p5)西郷隆盛はほんの少し描かれる程度だが、ストーリーの展開ではいきている。やはり、西郷はおもしろい人物だ。
*伊東甲子太郎の思想とその人物・行動に興味を抱かせることになる小説でもある。
 伊東が坂本龍馬に会い行き、龍馬が狙われている旨の忠告をしたと描かれている点が興味深い。
*やはり、小説には男女の関わりが緯糸として欠かせない。この小説では幾組かの男女の有り様が描き込まれていく。
 まずは、泰之進と萩野とその子・松之助との関わり方が一貫して底流にある。泰之進は六角獄舎で斬首された酒井伝次郎のために、門前に立ち黙祷した後、立ち去ろうとしたとき、獄舎に石を投げつけたことで門番に追われる子供(松之助)を助ける。それがきっかけで、その子の母・萩野を知り、その母子が京都から大坂に行くのを手助けする羽目になる。しかし、それが萩野との関わりを深めて行く。それは泰之進がおりょうや龍馬に出会う縁にもなっている。
 近藤勇と近藤が休息所(私宅)に囲っていた深雪太夫の関係も近藤勇の一面として描かれている。
 ほんの数場面の描写としてだが、坂本龍馬とおりょうも登場する。
 さらに、泰之進を篠原先生と呼び敬慕する新撰組隊員・松原忠司と、夫が殺められて寡婦となった妙との関係も、男女の一つの在り様として描き込む。

 最後に、京都に関わる事項がいくつか出てくる。たぶん史実と思われるので、覚書をまとめておきたい。いずれ再確認したいためでもある。
*新撰組は当初の壬生の屯所を残したままで、組織規模が大きくなると西本願寺を屯所として利用した。三番目の屯所は不動堂村に移した。広さ三千坪だという。
*尊皇攘夷の志士は多数が三条新地の牢屋敷、通称<六角獄舎>に投獄された。
*伏見の寺田屋は薩摩藩が定宿にしていた。
*近藤勇は七条醒ヶ井木津屋橋下ルの興正寺下屋敷を休息所(私宅)にして、大坂新町の織屋の抱え芸妓、深雪太夫を囲っていた。
*御陵衛士は東山高台寺内の月真院を屯所とした。高台寺党と呼ばれるようになる。
*伊東甲子太郎は油小路七条の近辺で新撰組に暗殺された。

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本作品と直接間接に関連する事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。

維新日乗纂輯. 第3 安政記事稿本.永田重三筆記.美玉 岩崎英重編
  :「近代デジタルライブラリー」
 この中に、「秦林親日記」(筑後之住秦林親称泰之進履歴表)が収録されています。
  166~202/272コマの部分です。
-所蔵資料紹介- 明治時代の公文書にみる新撰組隊士 東京都公文書館だより
  「篠原泰之進の事績」の説明項目があります。
篠原泰之進  :「幕末維新新選組」
篠原秦之進(秦林親)  :「誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士」
  篠原秦之進の年表も詳細にまとめてあります。
伊東甲子太郎  :ウィキペディア
「見直し・新選組」6 - 伊東甲子太郎ノート  中村武生氏
月真院  :「京都観光avi」
京都史蹟散策 82 新選組、不動村屯所跡の幻・その全貌  :「資料の京都史跡散策」
七条油小路の変  伊東甲子太郎の足跡  :「研究新選組」
下京再発見-明治維新の跡をたずねてコース-  :「京都市下京区」

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