遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『山月庵茶会記』 葉室 麟  講談社

2015-09-29 10:44:01 | レビュー
 江戸において表千家流の茶人・孤雲として名を高くした柏木靭負(かしわぎゆきえ)が16年ぶりに九州豊後の黒島藩に帰国する。
 靭負はかつて黒島藩の勘定奉行を務め、400石の身分だった。藩政を担っていた家老駒井石見(いわみ)が病床に臥すと、駒井派は次席家老土屋左太夫派と勘定奉行柏木靭負派の二派に分裂する。この頃、江戸藩邸が火災により焼失。靭負は藩命により、江戸に出て藩邸修復と幕府による黒島藩への国役命令に対する回避・免除工作を行う。大役をやり遂げて帰国すると、そこに待ち受けていたのは妻・藤尾の不義密通の噂と柏木派に対する切り崩しだった。妻の藤尾は自害し、靭負は政争に敗れる。子がなかったために、親戚の松永精三郎を養子とし奧祐筆頭白根又兵衛の娘・千佳を娶せて家督を譲ると、突然致仕して国を去ったのである。京に上り、表千家七代如心斎(じょしんさい)に師事した後、茶人・孤雲として江戸に出ていたのだ。
 茶人として靭負が帰国したのが宝暦2年(1752)正月。靭負は柏木家の先祖の知行所だった花立山の山裾にある柏木家の別邸に茶室を設えて山月庵と称し、茶人の侘び住まいとする。

 靭負の帰国目的は、自害した藤尾の不義密通の真相を知りたいということだった。藤尾自害の背景、その真相の謎解きが、山月庵での茶会の積み重ねを経て進行する。そのプロセスは17年前の黒島藩の状況を浮き彫りにしていくものとなる。この物語は、正月から7月の七夕にかけてのストーリーとして展開していく。

 この小説の組み立てが興味深いのは、山月庵の茶会の席で靭負と招待客とが会話するその内容が少しずつ真相に肉迫していくというプロセスを中軸にすることにある。靭負が茶会に招待されて臨む席以外は、靭負は山月庵を出ないという設定である。そして、養子精三郎の妻となった千佳の望により、靭負が弟子となった千佳に茶の手ほどきをすることが重ねられていく展開になる。
 茶会の進展に併せ、千佳は藤尾のこころに思いを深め、藤尾のこころに対し依代的側面を感じ始めて行く。茶会の重なりは、様々な茶事の知識を靭負が千佳に手ほどきする機会としても描かれて行く。それは千佳とともに読者が茶の世界の奥行きを知ることに繋がっていく。
 そして、茶会の合間に、過去靭負が勘定奉行として活躍していた時代に関わっていた周囲の人々の思い・考え・行為を通して、当時の黒島藩の状況とその渦中に置かれた藤尾の有り様の一端が見え始めるという形で進行する。当時、藤尾の不義密通の噂が立つと、派閥の領袖の一方であった靭負と関わりのあった人々の間では、様々な思い、思惑と動揺が波紋の如くに広がっていた。
 靭負の帰国そのものが震源となり、17年前に関わりを持っていた人々に様々な影響を広げていくのである。

 16年ぶりに靭負が帰国した時の状態は、政敵だった次席家老・土屋左太夫が家老となり藩政を取り仕切っている。土屋は柏木派の者たちを排除することはしなかった。養子の精三郎は、家老に呼び出され、靭負が領内でもめごとを起こせば精三郎も責めを負わねばならないと釘をさされる。土屋は、妻女を山月庵に通わせて義父・靭負の身の回りの世話をさせることを通じて、靭負の動きから目を離すなと命じる。精三郎に靭負の動向を報告させようとする。
 千佳は精三郎から監視の役割を語られるが、精三郎に遠慮せずに山月庵に通えることを是とする。千佳に義父靭負の監視役を頼む精三郎の胸中にも、二重三重の思い・意図が重層化しているのだった。靭負の養子となり家督を継いだ精三郎と千佳が、この小説の影の主人公的位置づけになっていく。この小説の中で千佳は多面体的存在である。一方、千佳は精三郎の義父・靭負に対する思い・考えに今一歩踏み込み理解できない部分を常に抱きつづける。精三郎と千佳、そこがひとつの読ませどころとなる。

 このストーリーは山月庵での茶会の開催を軸にして進展する。誰が客人として招待されたかを茶会記風に列挙して行こう。茶会の進行を数字で記していく。それに併せ、本書で描かれる茶道具等に関わる事項を付記しておきたい。茶の世界に関心のある人には、そのこと自体が興味深いことかもしれない。併せて、ストーリーに関わる若干の補足を記す。
 「山月庵」は、靭負が唐の詩人李白の詩『静夜思』の一節に因んで名づけた。 
   「頭(こうべ)を挙げて山月を望み 頭を低(た)れて故郷を思う」
 靭負は、千佳に対する茶の稽古を、床の間には軸なしで、竹筒の花入れに紅い椿一輪をさす。そして、<七事式>の花月から始める。
 さて、ストーリーの進展に伴い、次のように茶会が開かれていく。

1. 正客:奧祐筆頭白根又兵衛(千佳の実父) 相伴:千佳
 床の間の掛軸: 千利休の遺偈(ゆいげ)の写し
   「提(ひっさぐ)ル我得具足(えぐそく)の一太刀 今此時そ天に抛(なげうつ)
 藤尾の遺書には「悲しきことに候」とだけ記されていたと、靭負は友である又兵衛に語る。又兵衛もまた、最後は土屋派に付いた一人。茶席にて靭負に藤尾自害の真相究明を手伝えと告げられる。

2. 正客:又兵衛 相伴:和久藤内、佐々小十郎
 待合・床の間の掛軸: 春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそ見ね香やは隠るる
 茶室・床の間の掛軸: 夢 (大書された一字)
 和久藤内は勘定方組頭150石、佐々小十郎は小普請組60石。二人は藩校からの友という関係だが、16年の間に身分差がついた。共に靭負の派閥に属していた者たち。
 「夢」は詩「少年老いやすく学成り難し ・・・」の中の「池塘春草の夢」に由来する。

(間1) 篠沢民部の邸内にある茶室での聞香
  江戸屋敷で奥方に仕えていたが暇をして帰国した女・浮島、民部、民部の妻・波津
    民部の邸を訪れた又部兵衛が波津から聞香の相客に誘われる。
  浮島はかつて藩命で江戸に出仕した靭負の政策に協力した女性。家老土屋の親戚筋。
3. 山月庵での「雛の茶会」
 正客:浮島 相伴:篠沢波津、千佳
 待合の掛軸:「百花春至為誰聞(ひゃっかはるいたってたがためにかひらく)
 茶席の竹花入れ:椿・侘助 
 千佳は靭負から『南方録』の写しの天正15年11月14日夜の茶会記を見せられる。準備されていた侘助を千佳が事前に活ける。掛軸は『碧巌録』の言葉。

4. 正客:精三郎  相伴:又兵衛、千佳
 茶室・床の間の花入れ: 桜の一枝、床の間には散った花びらが四、五枚

(間2) 黒門岳の麓にある丹波承安の屋敷の茶室・青山亭
  正客:靭負  相伴:千佳
 床の間の掛軸: 扁舟(とまぶね)雨を聴いて蘆萩(ろてき)の間に漂う
         天もし蕗霽(は)らさばあわせて青山を看るべし
 この偈は京の大徳寺111代住職・春屋宗園が小堀遠州に与えた偈だという。
 かつての承安は藩政に首を突っ込むことを好んだ策謀家で、靭負が政争に敗れる経緯に関わりを持っていた。事実の一端を明かす。
 家老駒井石見を正客に、相客として次席家老土屋、承安の子・正之進に加え、靭負の妻・藤尾が招かれた夜咄の茶会が開かれる。この夜、駒井の家士溝渕半四郎が不審な死を遂げたのだという。

5. 正客:明慶  相伴:千佳
 茶室・床の間の唐銅(からかね)亀甲鶴首の花入れ: 白い木槿(むくげ)
 明慶は駒井石見の息子・省吾だった。明慶は靭負が致仕し黒島藩を去った直後に、京に上り、僧籍に入ったという。立花の修行をしている僧。正之進、精三郎とは藩校での友という関係だった。明慶も己の知る事実を靭負に語る。

(間3) 篠沢屋敷を借りての茶会。又兵衛が亭主となる。
  正客:丹波正之進 相伴:靭負、波津、浮島、千佳
  正之進は夜咄の茶会で、家老駒井の家士・溝淵半四郎を殺めた事実を語る。その経緯を聴いた靭負は大凡の背景を推察する。
  靭負は七月朔日の夜から七夜の間、山月庵にて藤尾を偲んで茶を点てると告げる。七夜目には、すべてを知るひとが庵を訪れてくれると思うともいう。

6. 七月朔日夜から、靭負は茶を点てる。千佳はその義父の姿を見守る。靭負は千佳に文月の点前について語り、手控えの手帳も見せる。
 靭負は床の間に「和敬清寂」と自筆した短冊を置く。茶人武野紹鷗が記した茶の湯の心得五箇条の箇条書きが手帳には記されていた。
 6日目の夜に、又兵衛が山月庵を訪れる。その日は茶室の床の間に掛軸が掛けられていた。 「郭公(ほととぎす)鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞのこれる」

7. 文月七日の夜
 正客:黒島興長(おきなが) 相伴:土屋左太夫
 藩主の興長から、17年前のことが語られる。すべてが藩政に関わることに繋がって行く。藩命で靭負が如心斎の助力を得て為した国役免除への工作に関係していくことでもあった。聞き終えた後、靭負は存念を語る。

 茶会が果てた後、待合に控えていた千佳は靭負が茶室で語る言葉を聴く。

「茶を点てる心は、相手に生きて欲しいと願う心だからだ。今日の茶を飲み、明日の茶も飲んで欲しい、と思えばこそ、懸命に茶を点てる。そして、茶を点てるおのれ自身も生きていようと思う。」
「それが、旦那様の茶なのでございますね」
「もし、わたしが十六年前にこの心で茶を点てることができたなら、そなたを死なせはしなかったであろう。しかし、わたしはあのとき、至らなかった」
 この後も会話が続く。本書で味わってほしい場面だ。

(間4)茶会は、丹波正之進の屋敷に設えられた茶席で行われる。
 靭負は精三郎と屋敷を訪ねる。相客として、既に白根又兵衛、和久藤内、佐々小十郎、明慶が集まっていた。
 亭主は靭負で正客は正之進。昼餉の懐石料理は屋敷の主人として、正之進が心遣いをする。茶席に移る前に、靭負は正之進の屋敷で、妻藤尾の自害の真相を詮議すると告げるのだった。
 茶席に移って、靭負は点前を始める。そして、靭負は一編上人の言葉を口にする。
 「生ずるは独り、死するも独り、共に住するといえど独り、さすれば、共につるなき故なり」
 この詮議の茶会でのやりとりとその経緯が勿論ストーリー展開のクライマックスであり、読ませどころである。藤尾の自害に至る真相がわかる。
 
8. 山月庵最後の茶会
 靭負が江戸に出立する前日に、靭負が又兵衛を招いて行われる。
 二人の会話並びにこの茶席は、詮議の茶会から心を解き放ってくれるまさに靭負にとり故郷での最後の茶会である。このストーリーのしめくくりとして味わいがある。それは、ほっと、救われる場面でもある。

 謎解きのストーリー展開の間を織りなして行く茶会の道具もまた、本筋と密接に関わる要素となっていく。その取り合わせを楽しみながら読むのもこの茶会記としてのおもしろいところとなっている。掛軸が、花入れの花が、その茶会のシンボリックな要素になっているのだから、興味深い。

 ふと、疑問が残る。たぶん、戦国期から江戸時代の茶室は一種の密談の場という機能が重視されるという側面があったと思う。
 現在の茶道の世界において、茶席で会話のやりとりというものがあり得るものなのか。しずしずと茶を作法に従って喫するだけの静寂の空間なのか。門外漢の私にはわからない・・・・・・・・。
 

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本書に関連し、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
三千家分立  :「茶の湯 こころと美」
七代如心斎 天然宗左 1705-1751  :「初心者のための 表千家流 茶道」
茶道中興  :「茶の湯 こころと美」
七事式 文献 不白流点前教則 七事式編
表千家 :ウィキペディア
茶の湯 こころと美 ホームページ
裏千家 :ウィキペディア
裏千家今日庵 ホームページ
武者小路千家 :ウィキペディア
武者小路千家官休庵 ホームページ
古田織部と小堀遠州 :「茶の湯 こころと美」
石州流  :ウィキペディア
石州流の成立とその特色 小田守氏  pdfファイル
南方録  :ウィキペディア
松平乗邑 :「コトバンク」
茶器図録を残した敏腕老中・松平乗邑 :「今日は何の日?徒然日記」
大名茶道の展開 松平乗邑の茶器収集(1) :「工芸読本」
  大名茶道の展開 松平乗邑の茶器収集(2)
  大名茶道の展開 松平乗邑の茶器収集(3)
利休の遺偈  川辺勝一氏 :「日本刀 四国讃岐支部」
利休百首  :「私のページ」(あとりえ60)

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『蒼天見ゆ』 角川書店
『春雷 しゅんらい』 祥伝社
『影踏み鬼 新撰組篠原泰之進日録』 文藝春秋
『緋の天空』 集英社
『風花帖 かざはなじょう』 朝日新聞出版

『決戦! 関ヶ原』 作家7人の競作集  講談社
葉室 麟 の短編作品「弧狼なり」が収録されています。

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新3版 ( 31冊 )



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