遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『信玄の軍配者』 富樫倫太郎  中央公論新社

2012-04-29 12:19:21 | レビュー
 この軍配者第2作は、山本勘助こと四郎左が信玄の軍配者となってその立場を確立し活躍を始めるまでの物語である。四郎左が一歩間違えば行き倒れるという瀬戸際まで追い込まれた末に、ハッピーエンドで終わる後味の爽やかな物語に仕上がっている。まさに、第3作が待たれる終わり方だ。本作品はこれだけで独立した作品ではあるが、第1作の『早雲の軍配者』を読んでから読む方がより深く楽しむ事ができるように思う。

 本書は3部構成になっている。著者は「はじめに」において、まず明応2年(1493)から天文10年(1541)頃の戦国時代にあって、相模、甲斐、信濃という地域における群雄割拠の状況を背景として提示する。

 第1部「四郎左」は、四郎左の置かれてきた状況をあきらかにする。足利学校から京都・建仁寺に行き、軍配者として学びを終えた四郎左が諸国を経巡り、軍配者としての仕官先を得ようとするが望みが叶わず、今川氏の駿府に舞い戻る。今川氏の軍配者・太原雪斎は建仁寺において栄橋の弟子として学んだ人物だった。鴎宿として栄橋に学んだという縁を利用し、雪斎に会う。今川義元に目通りするところまでこぎつけるが、山本勘助の名を騙ったことが露見し、宍倉家の横やりが入る。雪斎の助けもあり、駿府を出ない前提の軟禁状態で囚われの身となり、宍倉家の監視下で駿府生活を送る羽目になる。
 ここで、甲斐から追放されて駿府に仮寓する武田信虎(無人斎)から接触を受ける。甲斐に行き、晴信を殺せば信虎の軍配者として遇しようという申し出なのだ。無人斎への接触が原因と成り、宍倉孫三郎に暴力的な詮議を受ける。その窮地を脱して、辛苦の果てに小田原に逃げのびる。その結果、風摩小太郎とどういう風に再会するかまでの紆余曲折が第1部の読みどころであり、かつ前段として四郎左の生き様の導入部になっている。
 小田原滞留の後、一旦は足利学校に身を寄せ、世間の情勢を見聞し、身の振りかたを考える。結果的には、自らの命運を賭けて甲斐に行くという選択肢をとる。なぜそう決断したか、それが第1部の結論でもある。

 第2部は、駿府の無人斎の屋敷で出会った駒井高白斎の屋敷を山本勘助(四郎左)が訪ねるところから始まる。高白斎は信虎を甲斐から追放した晴信の軍配者である。その高白斎となぜ、駿府で面識ができていたのかが、実はこの訪問を可能にした理由でもある。
 高白斎から晴信に推挙してもらうように働きかける。晴信に山本勘助として目通りできた後、軍配者として仕官するきっかけができる。この仕官が叶うまでのプロセスが面白い。軍配者高白斎と勘助との関係が当初から明確になっていくのだ。ある意味、それは勘助にとってギリギリの決断でもあった。
 第2部の楽しいところは、勘助が旧信虎の部下であり、今は晴信の重臣となっている原美濃守虎胤や板垣駿河守信形などとの関係を深めていく経緯である。そして、もう一つの読みどころは、甲斐の人間ではないという立場から、晴信の命を受け、雪姫(諏訪御寮人)との関わりができ、雪姫の信頼を得ていくプロセスである。このプロセスには、原虎胤の娘・千草との関わりが深まっていくきっかけにもなる。こういういくつかのサイド・ストーリーが絡みあいながら、軍配者勘助の実績がどのように着実に築かれていくかという本筋のストーリーが展開されていく。第1部を「起」とすると、第2部は「承」であり「転」への導入と言えようか。
 軍配者としての勘助は、上原城防御のための金比羅山での夜戦、長窪城を含む5つの砦の占拠戦という実績を築いていく。それは現地の徹底事前調査という勘助の鉄則、現場主義と総合的な情勢分析をベースにした作戦構想立案の描写でもある。著者は軍配者勘助の活躍を描き出していく。

 第3部は、軍配者としてその実力を認められ始めた勘助が、まさに動き出す「転」の描写である。そして、「結」の入口までが一気読みを促す筆致で語られていく。
 天正13年(1544)の秋、晴信が諏訪郡に向けて躑躅ヶ崎を出陣するところから始まる。荒神山城と福与城の同時攻略戦、今川方に加担しての吉原の合戦(この中で、勘助は風摩小太郎に会いに行くという行動が描かれる。その理由がおもしろい。こんなことってありえるか、という局面でもある。)、天正15年(1546)の内山城・大井貞清の討伐戦、天正16年(1547)閏7月の志賀城・笠原氏との戦い(ここで、武田の捕虜となった養玉、曾我冬之助と再会する)が続く。だが、天文17年(1548)1月に勘助は病床に伏す。この時期、晴信は村上義清との戦に出陣する。勘助は病床にありながら作戦を進言するが、それが活用されぬ形で、晴信が上田原の戦いで大敗し自らも傷つき、板垣信形は戦死する。軍配者であるわが身の落ち度として苦悶する勘助を千草が精神的に支えることになる。その後の挽回戦において、勘助は軍配者としてめざましく活躍する。そして、塩尻峠攻めの奇襲作戦を進言し、武田に勝利をもたらすことになる。武田軍団の転機となる塩尻峠の合戦である。
 2月の上田原の戦いでの大敗により、武田家危急存亡の危機に立つ。しかし、7ヶ月後のこの塩尻峠の戦いでの勝利によって、武田の諏訪支配が盤石なものとなる。武田が無敵の軍団に生まれかわるのだ。その陰に、軍配者山本勘助、実は四郎左が存在するのだ。
 その後の武田晴信つまり信玄の活躍が、軍配者四郎左(勘助)の活躍でもあるとすると、本書に軍配者としての活躍の「結」はない。本書は軍配者として四郎左が、武田家の中にその盤石な位置を確立したことを一応の「結」としたものになる。つまり「結」の入口にすぎないというのは、そういう意味である。
 しかし、著者は本書としての「結」をしっかりと設定している。これがこころ暖まるハッピーエンドという意味での「結」でもある。
 それは何か? やはり、本書を読んでそこまでのプロセスを味わっていただきたい。

 本書には、「結びに代えて」がある。捕虜となった冬之助が、四郎左(勘助)の助けで逃げのびる。冬之助はその後どうしたか?その経緯が簡略に記されている。
 「ここに長尾景虎に仕える軍配者・宇佐美冬之助が生まれた。」という一文で最後のパラグラフがかき出される。伊豆・相模の小太郎、甲斐の四郎左、越後の冬之助として、足利学校で共に学んだ三人が「軍配者としての手腕を競い合う場が整ったということでもあった。」という文でしめくくられる。

 著者は第3作『謙信の軍配者』登場への伏線を張っている。なかなかうまい終わり方である。エンタテインメントとしての戦国時代小説としてお薦めの作品の一つと言える。

 本書の印象深い章句を少し書き留めておきたい。

*いい目をしているではないか。まだ志を捨てておらぬようだな。  p31

*ぬるま湯に浸かっていたのでは夢などかなえられない。 p95

*類が友を呼ぶという諺があるが、阿呆というのは自分のそばに阿呆を集めたがるものでな。それ故、主が阿呆だと国が滅びる。扇谷上杉しかり、山内上杉しかり。 p105

*その当人が賢人であるか禺物であるか、それはどうでもいい。要は国がきちんと治まっているかどうか、その国の民の暮らしが楽かどうか、それが肝心なのだ。  p107

*真の軍配者となるには書物から学んだ兵法を実戦で試していかなくてはなりません。それを繰り返しているうちに優れた軍配者になるのだと思います。 p143

*顔など、いくら醜かろうが、戦をするのに何の関わりもないではないか。 p156

*死んでしまえば何もできない。生きているからこそ逆らうこともできる。 p268

*自らが学ぶしか傲りを正すことなどできんのだ。  p375

*人の幸せにとって何が本当に大切なのか、わたしにはよくわかるつもりです。わたしを心から想って下さる人と一緒にいることが何よりも大切なことなんです。 p402

ご一読ありがとうございます。

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 本書を読みながら、背景をより深く知るためにネット検索してみた。そのリストをまとめておきたい。

戦国時代 信濃・甲斐周辺「城」配置図:「日本歴史 武将・人物伝」高田哲哉氏

山本勘助 :ウィキペディア
山本勘助の墓 :長野市「信州・風林火山」特設サイト
実際の山本勘助 :「日本歴史 武将・人物伝」高田哲哉氏
 このサイトのホームページからは、板垣信方、原虎胤、馬場信春、浅利信種、真田幸隆、内藤景豊、諏訪御料人等の項目にもアクセスできます。
駒井高白斎:ウィキペディア
高白斎記 :ウィキペディア
武田資料「高白斎記」(甲陽日記):「サブやんのなんでも調査研究」
原虎胤  :ウィキペディア
板垣信形 ← 板垣信方   :ウィキペディア
甘利虎泰 :ウィキペディア
武田24将 :「武田信玄」

諏訪氏  :ウィキペディア
諏訪頼重 (戦国時代) :ウィキペディア
諏訪御寮人 ← 諏訪御料人:ウィキペディア
高遠頼継 :ウィキペディア
大井貞隆 :ウィキペディア
村上義清 :ウィキペディア
藤沢頼親 → 藤沢氏 :「地方別武将家一覧」
小笠原長時:ウィキペディア

躑躅ヶ崎館 :「Shane's Home Page」
上原城 :「埋もれた古城」ウモ氏 の「東海・甲信地方の城」
 このサイトには、躑躅ヶ崎館、内山城、志賀城、前山城、福与城、林城、葛尾城なども掲載されています。山城探訪のすぐれものです。うれしいサイトです。

塩尻峠の戦い :「古戦場~戦国大名の軌跡を追う~」
 このサイトには武田信玄の戦いが他にも13件掲載されています。

甲陽軍鑑 :ウィキペディア
甲陽軍鑑
「上田原合戦」「戸石崩れ」に見る『甲陽軍鑑』のリアリティ :「余湖くんのホームページ」

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