遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『七夕の雨闇 -毒草師-』  高田崇史  新潮社

2016-01-15 21:24:50 | レビュー
 毒草師・御名形史紋が関わる事件の謎解明プロセスには、一つのパターンがある。事件の展開につれて、読者は古代の史書、和歌集、地方の民話、伝説・伝承、歌謡・童謡など様々なものに通底していく一筋の解釈に導かれていく。この小説もまた、新たな知られざる解釈の世界へと読者を誘う作品に仕上がっている。
 様々な歴史と生活の領域に散在する断片的事実、史料、情報が、ジグソーパズルを組み上げていき最後に一枚の絵として完成させるように、誰もが知っている「七夕」をテーマに織りあげられていく。「七夕に」奥深く秘められた闇、そこに光があてられ、一筋の解釈となって織りあげられていく。見事な展開構成になっている。

 「夏の夜空を白々と飾る、天の河・数千億もの恒星に彩られた天球。・・・・・」という詩文から<プロローグ>が始まる。私たちは「七夕」「天の川」からはなぜか哀切ではあるがロマンチックなイメージを連想する。著者は、ギリシャ神話のエピソードを冒頭に語る。ゼウスが浮気をして産ませた子供に、妻・ヘラの母乳を飲ませるように妻に頼むが当然拒絶される。眠り薬でヘラを眠らせた間に、ゼウスは男の子にヘラの乳房を吸わせて母乳を飲ませる。途中で目覚めたヘラがその子を払い除けた時、こぼれた母乳が天の河(ミルキー・ウェイ)になったという。ヘラの母乳を飲んだ子が不死身のヘラクレスになる。天の河は、愛と裏切りと憎悪を呑み込んで天空にある存在なのだと。

  ささの葉さらさら のきばに揺れる
  お星さまきらきら 金銀砂子

 日本人なら誰もが一度は聞いたことのある「七夕さま」という童謡歌。この歌詞の語句を一つ一つ仔細に考察していくと、この歌詞は思い及ばぬ歴史的背景が密かに埋め込まれている暗号だったのだ。その謎がこのストーリーの副産物として解き明かされていく。

 ”「星祭」という姓を受け継ぐ私”が、織姫・彦星の二人と同じ運命を辿るという悲劇。プロローグの末尾に、こんな下りがある。
 「それこそ、いつでも触れられる場所に、愛し合っている人がいる。しかし、私たちの間にも、二人を隔てる大きな川が横たわっている。実の姉と弟という、暗く深い『血』の川が。私はそのために肉親を殺した。でも・・・・。私は天の河を見上げる」と。
 ここにこの小説のテーマが暗号として秘められている。

 ストーリーは、京都にある竹河流能宗家、竹河幸庵が自宅にある稽古場・能舞台で、稽古をする場面から始まる。京都の東山にある機姫(はたひめ)神社の能楽堂で、自らの七十の賀として『井筒』を舞う予定であり、その仕上げの稽古をしていたのだ。謡い舞う途中で眩暈に襲われ、舞台に膝からくずれおれ、手足が痙攣する。稽古場のいつもと違う物音に、不審に思った息子・敬二郎が駆けつける。幸庵は「・・・・り・・・に、毒を・・・」と言い残し、絶命したのだ。
 京都府警捜査一課警部・村田雄吉と部下の瀬口義孝巡査部長が現場に急行し、事件を担当する。そして、敬二郎は「毒を」と言い残して死んだとだけ警部らに告げる。毒殺であることは疑いないのだが、その毒が何かが解明できない状態で警察では行き詰まることになる。毒の原因究明ができないまま捜査が続く。

 幸庵は毒殺される前に、機姫神社に出かけていたという事情から機姫神社での幸庵の行動が直ちに捜査の聞き込み対象となっていく。
 機姫神社の能楽堂、能舞台の検分から村田は始め、関係者に事情聴取する。機姫神社は竹河家と親戚関係にある星祭家が代々宮司を務めている由緒ある神社だった。
 村田の聞き込み捜査では、この日の幸庵の行動過程で毒を盛られる機会があったとは思えないのだった。

 御名形史紋がどうして、この京都の毒殺事件にかかわるのか。
 それは例によって、ファーマ・メディカ社に勤め、医薬品情報誌『ファーマ・ヴュー』編集部に所属する西田真規を介してである。編集部に萬願寺響子という女性が配属されてくる。遠藤編集長より萬願寺響子への導入教育の指導を指示される。その萬願寺響子が編集部に配属となった間なしに、機姫神社と関係する竹河家の幸庵毒殺事件がニュース報道されたのである。遠藤編集長から西田が過去取材旅行先で毒殺事件を含む危ない事件に関わり、事件を解決していることを響子は知る。
 そこで、親しい友人に絡んで、京都で事件が起こってしまっていて、その相談に乗って欲しいと響子は西田に頼み込む。御名形と関わりを避けたい西田なのだが、美人の響子に頼み込まれると断れない。御名形の助手を務める神凪百合に惹かれる気持ちもあり、御名形史紋に連絡を取ってみると約束をする。
 神凪百合を介して、御名形と連絡が取れた西田は、御名形が既にニュースでこの事件を知っていて、この事件に関心を示していることに驚くのだった。御名形史紋が関心を寄せたのは、毒殺された幸庵は、御名形の専門領域では、毒に対する耐性をもった解毒斎の一人として有名だったからだという。解毒斎である幸庵が毒殺されたというのだから、御名形の関心が募らないはずがない。
 御名形は、西田に「七夕」関係の資料を調査収集しておくことを指示し、響子に会うことを約束する。
 早速、西田は響子と、退社後図書館に立ち寄り、七夕に関する情報収集から始めて行く。

 毒草師シリーズの定石パターンであるが、基礎情報の収集から事態が進展する。そして、事件が発生した現地への移動過程、新幹線の車中で、収集された情報の開示と意見交換による基礎情報の整理、つまり事件解明への下準備段階場面が展開していく。
 事件現場につき、御名形史紋と神凪百合が現場を見て、関係者と面談する過程で、御名形史紋の思考がフォーカスされていく。関係者とのやりとり、情報収集から、核心に迫っていく分析が速やかになされ、論理的説明が御名形史紋から滔々となされていくことになる。

 御名形史紋らが、京都に到着するまでに、事件はさらにエスカレートしていた。響子の友人である星祭文香の弟・雄輝が頭を殴打され、能楽堂の隣にある祓戸大神(はらえどのおおかみ)を祀る摂社の傍で倒れているのを、早朝の境内掃除をしていた社務員の老人墨之江定男が発見する。まずこの事件が発生した。
 さらに幸庵の息子の敬二郎も、金曜日に密室状態に思える室内で毒殺されて発見される。その現場の第一発見者は、幸庵の弟子と星祭家の逸彦だった。その星祭逸彦自身が今度は、星祭家の広い庭にある納屋の火事で焼死するのだ。だが、遺体を解剖した結果は、直接の死因は出所不明の毒なのだった。

 この小説の背景は、やはり奥が深い。「七夕」に関わる日本の歴史的視点、民俗学的視点、文学的視点、演劇的視点などが縦横に織り込まれ一つの解釈に収斂していくのである。その解釈の延長線上に、このどんどんエスカレートする毒殺事件の鍵が潜み、真因があったのだ。

 覚書を兼ねて、どんな背景情報が整理統合された解釈に収斂していくか、その資史料的情報を列挙しておこう。
 天の河および織女・織姫と牽牛・彦星の悲恋物語。童謡「七夕さま」
 能の演目『井筒』、  歌舞伎『妹背山婦女庭訓』三段目「吉野川」
 乞巧奠(きっこうてん):『荊楚歳時記』に見える祭(⇒京都・冷泉家のものが有名)
 大伴家持の歌 「鵲の渡せる橋に置く霜のしろきを見れば夜ぞ更けにける」
 張継(8世紀の唐の詩人)の漢詩『楓橋夜泊』(ふうきょうやはく)
 清少納言『枕草子』にある「七月七日は、・・・・」の記述
 七夕行事:年中行事の星祭、貴船神社の神事、秋田の『竿灯』、津軽の『ねぶた』
  『七夕人形』、『七夕舟』、『眠り流し』など。
 「棚機津女」(たなばたつめ)の信仰、竹にまつわる禁忌、笹の使われ方
 『延喜式』の祝詞『六月晦大祓』(みなずきのつごもりのおおはらえ)
 『万葉集』に収録されている「山上臣憶良が七夕歌十二首」
   山上憶良がこんな歌を詠んでいるとは知らなかったのだが、たとえば:
    天の川相向きたちてわが恋ひし君来ますなり紐解き設けな
    ひさかたの天の川瀬に船浮けて今夜か君が我許きまさむ
    風雲は二つの岸に通へどもわが遠妻の言そ通はぬ
    礫にも投げ越しつべき天の川隔てればかもあまた術無き
    天の川いと川波は立たねども伺候ひ難し近きこの瀬を   などとつづく。
 『古今和歌集』にも、七夕関連の歌があるようだ。
    天のかわ浅瀬しらなみたどりつつ渡りはてねば明けぞしにける 紀友則 177
    契りけむ心ぞつらきたなばたの年にひとたび逢ふは逢ふかは  藤原興風 178
    年ごとに逢ふとはすれどたなばたの寝る夜の数ぞ少なかりける 凡河内躬恒 179
さらには、『日本書紀』垂仁天皇七年の七月七日の条及び「神代上 第六段」、『古事記』までに言及されていく。

 そして、これらが、「七夕」のキーワードのもとに、一つの構図として描き出されていくのである。さらにその根本的な次元で、機姫神社にまつわり発生した連続毒殺事件の原因に連環していく。実に興味深い展開となる。殺人事件は謎解きとして楽しめるが、一方で、謎解きを外れて、この背景情報を織りなして行く一貫した解釈にも魅せられるところがある。この観点でも一つの読み応えがある作品になっている。学問的研究の立場からは述べることのできない領域・次元かもしれないが、諸文献・諸情報・諸行事などを渉猟して織りなされていく解釈の構図には惹きつけられる。
 やはり、ここに高田崇史ワールドがある。またひとつ、歴史解釈の領域が確立された。

 ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

この作品に出てくる事項に関連して、関心事を検索してみた。一覧にしておきたい。
七夕の歴史・由来 :「京都自主神社」
乞巧奠  :「コトバンク」
平安の七夕 乞巧奠飾り  :「大宮八幡宮」
七夕(たなばた) 七日  :「風俗博物館」
乞巧奠(きこうでん) :「源氏物語」
乞巧奠(きっこうでん)   :YouTube
七夕笹飾りライトアップ  :「貴船神社」
ねぶた  :ウィキペディア
ねぶた  :「語源由来辞典」
青森ねぶた祭 オフィシャルサイト
ねぷたとねぶたの違い   :「浜団ねぷた愛好会」
秋田竿燈まつり  ホームページ
七夕の起源、「棚機津女」と「牽牛織女」(六)
  :「日本の神話と古代史と文化<<スサノオの日本学>>「[郡山]」
七夕伝承雑記  :「歴史と民俗の森の中で」

機物神社 ホームページ
16.機物神社(はたものじんじゃ) :「星のまち交野」
牽牛神社 「宗像大社 中津宮」 :「JA6DWQ Home Page」
宗像大社 ホームページ
老松宮(牽牛社)  :「おごおり歳時記」
七夕神社(小郡市) :「事業所職員だより」
足利織姫神社 ホームページ

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


徒然に読んできた作品で、このブログを書き始めた以降に、シリーズ作品の特定の巻を含め、印象記をまとめたものです。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『鬼神伝 [龍の巻] 』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 三輪の山祇』 講談社NOVELS
『鬼神伝』 講談社NOVELS
『毒草師 パンドラの鳥籠』 朝日新聞出版
『鬼神伝 鬼の巻』 講談社
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』  講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS



最新の画像もっと見る

コメントを投稿