遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『冬姫』 葉室 麟  集英社

2013-04-26 10:14:37 | レビュー
 織田信長の娘、冬姫の伝記小説である。冬姫が重要な局面で自分が見た夢あるいは幻夢について、思いを深め夢見判断をするというある種の超能力的要素を持たせた伝奇的側面があって面白い。
 冬姫は、信長の娘であるが、母の形見だという水晶の数珠をいつも首にかけている。冬姫の母は体が弱く、冬姫を産んで間もなく亡くなったと聞かされていて、母親代わりでもある乳母いおに育てられて成長する。このいおは夜中になると<宇治の橋姫>などの怪談話を冬姫に語り聞かせたのだ。それは冬姫に胆を練らせるためなのだという。そしていおの自慢は、冬姫が叔母にあたるお市(冬姫の父・信長の妹)に似ていることだった。
 そんな冬姫が信長の意向で、蒲生忠三郎賦秀-後の蒲生氏郷-に嫁ぐこととなる。信長が彼をひと目みて気に入り、自らの官位、弾正忠の「忠」を与えて忠三郎と名のらせたのだ。彼は、父蒲生賢秀が信長に臣属するにあたって差し出した人質だった。ここから、このストーリーの一つの流れが生み出されることになる。

 それは、信長が永禄12年(1569)に鍋の方を側室にしたことによる。その鍋の方が抱く執念が問題となる。
 近江八幡の土豪高畠源十郎の娘だったお鍋は、近江国愛知郡の八風峠に近い八尾山城主小倉右京亮に嫁ぐ。だが右京亮は六角氏に攻められ切腹する。右京亮を直接攻め滅ぼしたのは、蒲生賢秀の父、定秀だった。そして鍋の方の子供は定秀の出家後、六角氏の家臣だった蒲生賢秀の人質となっていた。信長は千草越えの際に小倉右京亮の道案内で助けられたことがあった。その縁で鍋の方が信長に頼り、蒲生賢秀は信長に臣従することを考えていたので、鍋の方は容易に子供を取り返すことができる。鍋の方は信長の側室になるのだが、蒲生家は鍋の方からすれば、夫の敵になる。吉乃が亡くなった後、側室の鍋の方は信長に一番に寵愛される存在になる。そして、鍋の方は信長の子を産む。鍋の方には、信長の正室・帰蝶に子どもがいないため、己の産んだ子を織田家の後継者にしたいという欲望が生まれていく。
 一方、冬姫は永禄12年12月、日野城に輿入れする。忠三郎が輿の脇を馬で進みながら、ともに日野城に向かうのだ。信長への人質の立場を許されたことになる。この時、忠三郎14歳、冬姫12歳の夫婦である。
 冬姫は信長の一の娘。忠三郎との婚姻後、二人の間に子どもが産まれれば、その子どもが織田家継承者として将来鍋の方の産んだ子と対抗する可能性が生まれることになる。鍋の方にとり、忠三郎・冬姫は、その観点でも許せぬ存在となっていく。冬姫が予期しないことから、鍋の方の執念の対象となり、確執の渦中に巻き込まれていくことになる。

 冬姫が忠三郎に嫁した後、信長の娘であるという自覚・意識を背景としてどのように己の人生を歩んでいったかを作者は描きだしていく。その人生模様の中で、鍋の方の様々なしかけが、太い確執を織りなす軸となり様々な絵模様を描いていく。一方、冬姫が信長の娘という意識で行動を貫いていく軸が織り上げる絵模様がいくつもできていく。これらのエピソードの連鎖が本書の読みどころとなっている。そのプロセスで忠三郎と冬姫の二人の間に通う思いの織りなす絵模様は心暖まるものである。

 本書は冬姫の「女のいくさ」物語である。それは乳母いおが冬姫に語った言葉である。「武家の女は槍や刀ではなく心の刃を研いでいくさをせねばならないのです」(p13)
「いいですか、冬様が忠三郎様に嫁ぐことになれば、鍋の方が敵になるということなのでございますよ」(p19)
「・・・いくさなどを好む者はおりません。しかし、戦わねば生きていくことはできないのです。冬様がいくさをお嫌いなら、戦いに勝っていくさの無い世をおつくりになるしかありません」(p21)
 冬姫は、いおから教わった女のいくさから、自らのいくさの道を歩み始める。

 それでは、どんな絵模様が織り上げられていくのか・・・・
*乳母いおが虎口で袈裟懸けに斬られて殺められた事件:<宇治の橋姫>のせい?
*夜叉の笛と叔母・お市の幻、お市の苦しみに関わって行く冬姫の行動
*織田信康に嫁いだ五徳の受難:まだら蜘蛛の蜘蛛合戦に立ち向かう冬姫
*日野城での猿楽興行。天女舞が引き起こす波紋
*日野城での冬姫と秀吉の対決とお市の呪詛
*本能寺の変、安土城の炎上と冬姫の懐妊
*女人棋譜に仮託したお市の執念と冬姫の対応。冬姫の病変。
*魔鏡の影が生み出す波紋:冬姫とガラシャ
*氏の会津転封と伊達正宗、冬姫の危惧
*氏の死と冬姫の対処
*醍醐の花見における女のいくさ:織田家の女の最後のいくさ

 作者は本作品で冬姫の出生について、一つの仮説を設定している。その設定がストーリーの展開で大きな役割を担ってくる。ここに作者のロマンが織り込まれているように感じる。冬姫の母がだれか? それは本書を繙いていただきたい。
 ウィキペディアの「冬姫」の項は、冬姫の母について言及していない。
 『考証織田信長事典』(西ヶ谷恭弘著・東京堂出版)では、第3章内の「信長をめぐる女性たち(二)」の節中、「秀勝の母」の項で、「だれの女が、生年も没年もともに不明である。永禄12年、御次と幼名をいった秀勝を生み、同年には蒲生氏郷に嫁した信長の女が、やはり秀勝と同腹とみられることから、信長室のうち吉乃より早いか同じ時期から側室だったとみられる。」(p244-245)と記す。西ヶ谷氏は「冬姫」という名を記載してはいない。本書では冬姫の母の設定はがらりと違うことだけ付記しておこう。

 もう一点、先般、津本陽氏の『信長影絵』を読んでいた。その読後印象はこのブログに記している。津本氏の描くお鍋の方と本書で作者が描くお鍋の方はそのイメージが大きく異なる。この点も私のには大変興味深く印象に残る点である。史実という点的情報や二次情報などを核に、想像力を羽ばたかせてフィクションとして創作された世界の色合いの違いが実におもしろい。ストーリーの脇役の人物像も作者次第で大きく変わる。

 本書の最後に、作者はこんな文章を記している。
 「信長と帰蝶、お市の面影が浮かんだ。戦国の世を苛烈に生きたひとたちだった。氏は濁世を踏み越えて、おのれの信じる道を歩んだ。皆、それぞれに生きた。」
 「だが、どれほど嘆こうとも涙を振るい、生き抜くことが<女のいくさ>なのだ。冬姫は自分にそう言い聞かせた。」
 そして、本書の末尾を、こう締め括る。
 「蒲生家の行く末を見届けた冬姫は、7年後の寛永18年、この世を去った。織田信長の娘として戦国の世を彩って生きた、紅い流星のような生涯だった」と。


 ご一読、ありがとうございます。

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 本書に出てくる語句をいくつかネット検索してみた。その一覧をまとめておきたい。

冬姫    :ウィキペディア
冬姫    :「江のふるさと滋賀」
冬姫    :「信長の末裔」

蒲生氏郷  :ウィキペディア
蒲生氏郷  :「日本史人物列伝」
蒲生氏郷  :「日野町」ホームページ
蒲生氏郷公と近江日野商人 :「日野観光協会」
蒲生氏郷、会津の切支丹(キリシタン) 石田明夫氏

蒲生氏郷時代 :「会津の歴史」

魔鏡 :ウィキペディア
魔鏡 :「三幸製作所」
魔鏡のひみつ

濃姫 :ウィキペディア
五徳 → 徳姫 :ウィキペディア
お鍋の方 → 興雲院 :ウィキペディア
お市の方 :ウィキペディア
茶々 → 淀殿 :ウィキペディア
築山殿 :ウィキペディア
ガラシャ → 細川ガラシャ :ウィキペディア


   インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『螢草』 双葉社
『この君なくば』 朝日新聞出版
『星火瞬く』  講談社
『花や散るらん』 文藝春秋
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新1版


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