遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『蒼天見ゆ』 葉室 麟  角川書店

2015-09-17 11:03:31 | レビュー
 実在した人物、それも日本史上で最後の仇討を実行したという臼井六郎を主人公とした伝記的小説である。
 この小説のタイトルは六郎の父・亘理が六郎に伝えた言葉から来ている。亘理は近いうちに六郎に教えたい言葉があると妻の清にまず告げた。清はそれをあるとき六郎にこう伝えたと記す。
「いかなる苦労があろうとも、いつか頭の上には青い空が広がります。そのことを忘れるなという教えです。蒼天を見よ、と父上は仰せになりました」(p78)
 それからしばらく後に、亘理が子供の六郎とつゆに直接に授けた言葉は、
   雨過天青雲破処 (うかてんせいくもやぶるところ)  という語句だった。

 亘理は六郎たちに教える。「これは唐の国の皇帝がかような色の青磁の壺を欲したという言葉だ。雨が止み、雲の隙間からのぞいた青空の青色こそ、もっとも澄み切って清々しいということだ」と。そして、「苦しいときには青空を見よ、とは、父が若いころ間余楽斎様という方からお教えいただいた言葉なのだ」と続けて、間余楽斎のことに触れる。そして「誰が正義であるか、あるいは悪なのか、ひとにはわからぬ。しかし、自分自身にはわかっておるものなのだ。・・・・雨が過ぎ、雲が破れたところから覗く澄み切った青空のようにな」と語り教える。

 書名には「見ゆ」という古語が使われ、終止形で表現されている。つまり、主人公は遂に己の生き様として、蒼天が見える状態を示している。

 この小説は、臼井六郎が父の仇討ちをする行動プロセスを中軸にしつつ、幕末動乱から明治維新、新政府の確立期へと時代が急転換し、価値観・生活スタイルが激変する時代そのものを描き出そうとしたものと思う。単なる仇討ち成功物語ではない。
 「誰が正義であるか、あるいは悪なのか」、言い換えれば、「何が正義であり、何が悪なのか」という判断規範、規準が激変する中での人々の生き様がテーマであろう。「ひとにはわからぬ。しかし、自分自身にはわかっておるものなのだ」。この臼井六郎の生き方、日本史上最後の仇討ちという事実が、この時代の変換点での象徴として据えられている。なぜ、象徴になり得るのか。それは時代の急転換に伴う、外なる価値観、規範、規準、規則の急転回に人々がどう対処し、受容していったのかが、鮮やかに浮き彫りになっているからである。

 この小説は大局的にみると二部構成になっている。
 第1ステージは六郎の父・亘理の生き方とその死がテーマとなる。時代は、嘉永6年(1853)10月から明治4年7月、廃藩置県の詔が発せられ、秋月藩が消滅するまで。1章~13章で描き出される。
 学問の素養を認められ、藩校稽古館の助教を務める26歳の臼井亘理は、間余楽斎に会い。「時おり、青空を眺めろ」と教えられる。余楽斎の説明する言葉から余楽斎の生き様を感得するのだ。2年後、父から家督を相続して300石取りの馬廻り役となる。文久2年(1862)には、35歳で<用役>に登用され藩政に参画する重臣となっていく。秋月藩内は佐幕であり、尊攘派が強い中で亘理は攘夷を行うには、富国強兵策が急務として、西洋兵術の導入を推進する。藩内の大半はその意図を理解できない。家老の吉田伍助は己の権勢を求めるために、亘理のやり方を事ある毎に妨害する。
 慶応4年2月に亘理は秋月藩の代表者としてまず京に上る。遅きに失したと言われる中で秋月藩の信頼の取り付けに奔走し、「秋月藩ニ臼井亘理アリ」と知れ渡るところまでに至る。時流に乗り遅れないために藩主の上京を促すのだが、時勢のわからぬ国許の尊攘派からは、開国・佐幕側のはずの亘理が薩長方に変節したとみなされるのである。
 亘理は国許に帰国の命を受ける。帰国した亘理は親戚や親しい者との宴を催した夜、寝ているところを天誅だと襲われて、絶命する。その折、亘理の妻・清もまた殺害され、六郎の妹・つゆも傷を負うことになる。

 明治4年8月、新政府は散髪脱刀令を発布し、明治6年2月7日には仇討禁止令を発布する。六郎は問う。「旧幕のころは、わたしの父を始め、随分と多くのひとが尊王攘夷派の天誅によって命を落としました。<仇討禁止令>とは、すなわち天誅で殺された者の子は報復してはならないということでしょうか」(p125)と。
 川幕府の時代には、父が殺害されたなら子は親の仇討ちをするのが当たり前であり、それが武士の規範、正義だった。明治6年2月以降、仇討ちは国家の大禁とされるに至り、規範が逆転する。第2ステージがここから始まる。
 六郎にとり、内なる規範、正義は秋月のために懸命に働きながら非業の最後を遂げたことに、父の子として対処することなのだ。
 明治9年(1876)、六郎は18歳になった。「自分が何をなすべきかを見定めるために上京する」と養父の助太夫に告げ、その許可を得て、東京に出る。
 明治5年に父・亘理を暗殺した山本克己は秋月を離れ、東京に逃げて出ていたのだ。六郎は、東京に住む叔父の許を訪ね、父の仇である山本克己の消息を追求することから始めて行く。叔父は仇討禁止令が発令されたこの時代をどう生き抜くかに汲々としている。六郎の行為が己に波及することを恐れる立場にいる。一方、六郎には、内なる正義に従い、父の仇を討つことが目的になる。それができなければ六郎が「蒼天を見る」ことはできないと思い定めるのだ。

 第2ステージは、いくつかのサブ・ステージで構成されていく。仇・山本克己の消息探索と仇討ちを為すだけの剣術の修行、仇討ちの機会を探る、仇討ちの実行、仇討ちを終えた後の心境、そしてその後の生き方という展開になる。
 このサブ・ステージが六郎と様々な人々との出会い、関わりの深まりとなっていく。結果的に、仇討禁止令が発布された新政府・国家の法とは切り離し、六郎の仇討ち達成への生き様を支えた人々がいたのだ。その人々と六郎との関わり方が描き出されていく。
 剣術の修行で、山岡鉄舟の門に導かれる。そして、山岡鉄舟から最後には「政府に警鐘を鳴らす一本の針」たれと諭される。この鉄舟との出会いがまず一つ。探索過程で関わりのできるお文との微妙な関係。仇を付け狙うプロセスでの慶応義塾の学生であり新聞記者と名乗る犬養毅との出会い、及び勝海舟との出会いがある。
 そこに読ませどころがあるように思う。客観的にみると、六郎はある意味で数奇な人間関係を織りなして行ったといえる。
 
 そこで仇の山本克己である。彼は当時、尊王攘夷派で、干城隊の伍長であり、家老の吉田伍助に使嗾され亘理暗殺の先頭に立つ。秋月を逃れ、上京した後は福岡藩の尊王攘夷派の縁を頼り、新政府に出仕していた。一瀬直久と改名し、裁判所の判事に転身していたのだ。六郎の父・亘理を暗殺した男が、毛嫌いしていた薩長中心の新政府のもとで、あろうことか、裁判所の判事として、人を裁く地位にいる。そして、己の立身出世の道を邁進していたのだ。
 明治新政府の国家機構確立期における、これは一つの矛盾という氷山の一角なのかもしれない。この小説の登場人物を介して、転換期の時代の矛盾、問題点が浮き彫りにされている。

 内なる正義に従い、本望を遂げた六郎は、外なる国家規範に従い、直ちに警察署に出頭する。そして、六郎のその後の人生の生き方が綴られる。このサブ・ステージが最後半の30~36章で描き出されていく。エピソード風に、森鷗外も登場する場面がある。この鷗外の語る言葉が、この小説の押さえにもなっている。
 臼井六郎の生き様を追うこの第2ステージの展開はなかなか興味深い。

 そして、父・亘理の生き様と子・六郎の生き様を軸に、幕末から明治の時代が浮き彫りとなっている。

 最後に、印象深い箇所を引用しておきたい。
 森鷗外は判事の木村某という男との会話で、臼井六郎のことを「旧弊ですな」と断言するのだが、その後に語ったこととして記されている見解である。
*さよう、明治の御代に合わぬ男です。しかし、かといって認めないわけではありませんぞ、・・・・時世のほうが勝手に変わったのです。・・・・悪いのは時世のほうでしょう。・・・・わたしはそう思う。 p286-287  この箇所は著者の解釈による創作のようである。
  (後掲:本文に題名明記の森鷗外「みちの記」はウェブサイト”青空文庫”に収録あり)
 そして、六郎が星亨とのやりとりで答えた内容である。
*私は師の山岡鉄舟先生より、お前は一本の針に過ぎぬと教えられました。針としてのなすべきことは、親の敵を討つことで成し遂げました。後は何もなさず、地中に埋もれるのが針にふさわしいと思っております。 p295
 この作品の末尾近くにある文を、最後に引用しておきたい。ここに一つの思いが凝縮している。
*九州の上に青空が広がっている。
 どこまでも吸い込まれそうな蒼穹を見つめる六郎の目から涙があふれた。
 そうか、蒼天は故郷の上にあるのだ。
 生き方に悩み苦しんだならば、故郷に戻り、空を見上がればよかったのだ。 p313

 「六郎は五十九歳で亡くなった」と記されている。


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この小説に関連する事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
臼井六郎  :ウィキペディア
日本史上最後の仇討。東京日日新聞に掲載 :「竹橋ガイド」
遺恨あり -日本最後の仇討ち- 旧秋月藩士 臼井六郎の生涯
     :「映画、戦国・幕末~昭和戦史 みんなの日本史」
森鷗外 「みちの記」  :「青空文庫」
秋月散策マップ :「九州産業大学」(内山研究室)
秋月藩:秋月城   :「江戸の名残香を訪れて」
興雲山 古心寺 [古心禅寺] 臨済宗大徳寺派   :「お寺めぐりの友」

山岡鉄舟  :「次長翁を知る会」
山岡鉄舟  :「コトバンク」
勝海舟   :ウィキペディア
勝海舟   :「コトバンク」
犬養毅   :ウィキペディア
星亨    :「コトバンク」
西南戦争  :「コトバンク」
(西郷隆盛の生涯)西郷の下野から西南戦争勃発まで  :「西郷隆盛の生涯」
竹橋事件  :ウィキペディア
近衛兵の反乱、竹橋事件とは? :「しんぶん赤旗」
銀座煉瓦街 :ウィキペディア
Ginza History  :YouTube
岸田吟香記念館 :「旭文化会館」
福地源一郎   :ウィキペディア
集治監  :「コトバンク」
現行東京集治監規程類纂  :「近代デジタルライブラリー」
自由民権運動  日本史  :「裏辺研究所」
大井憲太郎   :ウィキペディア
伊庭想太郎   :ウィキペディア

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『影踏み鬼 新撰組篠原泰之進日録』 文藝春秋
『緋の天空』 集英社
『風花帖 かざはなじょう』 朝日新聞出版

『決戦! 関ヶ原』 作家7人の競作集  講談社
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