アーナンダ寺院
7時、起床。
屋上に朝食を取りに行った。
屋上は3階なので、それほど見晴らしが良いわけではないが、気持ちが良い。
1組の欧米人グループと2組ミャンマー人が食事をしていた。
トースト、オムレツ、コーヒー、バナナであった。
ミャンマー人は、和食でなくミャンマー食?を食べていた。
ミャンマー旅行で最も楽しみにしているバガン!!
広大な平原に数千の仏塔や寺院が残っているバガンをどう攻略するか?
今日は、メイン・ロードを行き、道路沿いの遺跡を見た後、オールドバガンを見て回る事にした。
10時過ぎ、フロントに行き、もう1泊すると伝え、宿泊費US$18を払い、レンタサイクルを頼んだ。
レンタサイクル代は2,000Kで、近所から借りて来てくれた。
宿泊しているホテルがあるニャウンウーにシュエズィーゴォン・パヤーがあり、まず、そこに向った。
今日は天気が悪い、曇天で雨が降りそうだ。
メイン・ロード前から参道が延びていた。コンクリートで造られたトンネルの様な参道で興ざめだ。
仏塔近くまで自転車で行って境内に入った。
境内はかなり広く、仏塔も立派であった。
シュエズィーゴォン・パヤー
シュエズィーゴォン・パヤーからメイン・ロードを10分ほど自転車のペダルをこぐと遺跡が見えて来た。
道標にパヤー名があるが遠目では分からない。
名も無い遺跡も多いがモニュメントNo.が有るそうだ。
通り沿いから遺跡がたくさん見える。
Lawka-chanthar、Tha-gya-Pone Phaya、Tha-gya-Hit Phayaだと思う。
更に進むと大きな寺院が左手にあった。
ティーローミィンロー寺院であった。
ティーローミィンロー寺院
道路を挟んだ向かい側にウバリ・テェンがあるので、地道を入って行った。
小さな仏塔があり、小屋から少年が出て来た、キーを持っている。
仏塔に上がれると言うので付いて行った。
鉄格子の鍵を外し中に入れてくれた。正面に仏像の坐像があった。
U-YIN-GYI PHAYA
仏像横の壁の中にトンネルの様な階段があった。人1人が通れる階段で暗く頭をぶつけない様に注意して上った。大男は通れない。
階段を通り抜けるとテラスに出た。基壇が3段あり狭い短い階段を上がり最上部に立った。
平原に大小さまざまな仏塔や寺院が点在するこの風景をこんなに早く体験できるとは!!!!
エーヤワディー川に近いので川も見えた。
エーヤワディー川
ウバリ・テェンを捜して迷い込んだこの仏塔からウバリ・テェンを見付けた。
ウバリ・テェン
私が写真を撮っている間に少年は、電気スタンドを取りに行っていた。
勉強に使うのだろう電気スタンドで階段を照らしてくれた。コードが無いところを見ると電池式か?
少年にチップ2,000Kを渡して別れた。
メイン・ロードにもどり、道標でU-YIN-GYI PHAYAとあり、はじめて名前が分かった。
メイン・ロードを行くとウバリ・テェンがあった。
閉まっていて入れなかったが、入口に描かれていたフレスコ画が少し見えた。
ウバリ・テェン
10分ほどペダルをこいだ、雨がぱらついてきた。
タラバー門手前にレストランがあり入った。
焼き飯(2,000K)とマンダレービール(1,500K)を頼んだ。マンダレービールが安い。
1週間ぶりに日本人を見掛けた。
雨で道路が濡れている。小雨の中をオールドバガンに向った。
タラバー門(オールドバガン内より)
タラバー門を通り、すぐそばに黄金に輝く宮殿があった。
それを通り過ぎ、西に真直ぐ行き、三叉路を北に向った。
すぐにマハーボディー・パヤーがあった。
バガンでは、珍しい形状の仏塔である。
マハーボディー・パヤー
更に北に行く。
バガンの風景
オールドバガンの城壁外に出たところにホテルがあった。
昔オールドバガン内に多くのホテルがあったが、ニューバガンに移されたそうだ。
更に行くとエーヤワディー川に突き当たり、船着場があった。
小雨が降ったり止んだりしていた。
来た道を戻り、タラバー門からの道を西に突き当たり北に向かった。
同じくエーヤワディー川に突き当たり、ブーパヤー・パヤーがあった。
先ほどの船着場から近い、川沿いに来ればよかった。現に中国系女性2人と船着場近くですれ違ったが、彼女らが先に着いていた。
ブーパヤー・パヤー
来た道を戻り、更に南に行くと西側にゴドーパリィン寺院があった。
ゴドーパリィン寺院
オールドバガンの仏塔や寺院には外国人よりもミャンマーの人々の参拝者の方が多い。
軽トラック改造バスをチャーターしてまわっている様だ。
彼らにとって、遺跡というよりは、祈りの対象としてに寺院であり仏塔なのだろう。
更に南に行くと考古学博物館があった。
国力に見合わない大きく立派な考古学博物館である。
入れ物が立派でも中身は空っぽという事もあるので入らなかった。
考古学博物館
考古学博物館前の道路を挟んだ向かい側にメイン・ロードから外れる地道があり、そこから欧米人を乗せた馬車が出て来た。
その方向はタビィニュ寺院だろうと思い、入って行った。
名も無い仏塔を過ぎ、大きな寺院が見えて来た、その手前に物売りのいる小さな寺院に着いた。
寺院名を聞くとナッフラウン寺院であった。
バガンに残る唯一のヒンドゥー寺院だそうだ。
ナッフラウン寺院
ナッフラウン寺院から見えた大きな寺院が、タビィニュ寺院であった。
65mの高さがあり、バガンで最も高い寺院だそうだ。
タビィニュ寺院(ナッフラウン寺院側より) 正面
タビィニュ寺院の向かいにあるタビィニュ僧院に日本人戦没者慰霊碑がある。
バゴー、マンダレーヒルにある日本人戦没者慰霊碑にお参りあいたので、もういいか!
ミャンマー観光地の各地に、日本人戦没者慰霊碑が必ずあるのか?
ミャンマーの人々は、日本人戦没者慰霊碑をどの様に思っているのだろうか??
黄金宮殿近くのメイン・ロードに出た。
タラバー門を抜けると南側に広い空き地がある。
その空き地が、アーナンダ寺院の入口まで続いていた。
入口で物売りが近付いて来て、ルビーorサファイアを要らないかとひそひそと話し掛けてきた。
見るからに胡散臭い、ガラス玉とルビーの区別が私にはつかない、そく断わった。
もっと明るく話し掛けてきたら、冷やかしで話ぐらい聞くが!!!
アーナンダ寺院
16時前になっていた、疲れてきたので、今日はこの位にしておこう。
メイン・ロードをニャウンウーに戻って行った。
1ヶ所だけ坂がきつくレンタサイクルを降りて押した。
バガンの大平原と言っても、自転車ではきつい坂が多いのかと思っていたが、そうではなかった。
16時半ごろホテルに帰った。
シャワーを浴びた後、ベッドで横になる。
今、「ビルマの竪琴」を読んでいる。
19時ごろ夕食の為ホテルを出た。
メイン・ロードと平行に走っているアノーヤター・ロードがあり、私が泊まっているヤー・キン・ター・ホテルが面している。
メイン・ロードとアニーヤター・ロードをつなぐ道沿いにオープンエアのレストランが多数あり、その中のビヤガーデンに入った。
奥には、生ビールのビヤ樽が積上げられていた。
ウエイターお勧めのチキン△○×と生ビールを頼んだ。
チキン△○×は、油っこい筑前煮の様なものであった。
ビールに良く合い、生ビールを3杯飲んでしまった。
筑前煮?も、食べている間に油が皿に溜まっていった。最後は油に浸かった部分を残した。
21時、就寝。
バガンで出会った子供
7時、起床。
屋上に朝食を取りに行った。
屋上は3階なので、それほど見晴らしが良いわけではないが、気持ちが良い。
1組の欧米人グループと2組ミャンマー人が食事をしていた。
トースト、オムレツ、コーヒー、バナナであった。
ミャンマー人は、和食でなくミャンマー食?を食べていた。
ミャンマー旅行で最も楽しみにしているバガン!!
広大な平原に数千の仏塔や寺院が残っているバガンをどう攻略するか?
今日は、メイン・ロードを行き、道路沿いの遺跡を見た後、オールドバガンを見て回る事にした。
10時過ぎ、フロントに行き、もう1泊すると伝え、宿泊費US$18を払い、レンタサイクルを頼んだ。
レンタサイクル代は2,000Kで、近所から借りて来てくれた。
宿泊しているホテルがあるニャウンウーにシュエズィーゴォン・パヤーがあり、まず、そこに向った。
今日は天気が悪い、曇天で雨が降りそうだ。
メイン・ロード前から参道が延びていた。コンクリートで造られたトンネルの様な参道で興ざめだ。
仏塔近くまで自転車で行って境内に入った。
境内はかなり広く、仏塔も立派であった。
シュエズィーゴォン・パヤー
シュエズィーゴォン・パヤーからメイン・ロードを10分ほど自転車のペダルをこぐと遺跡が見えて来た。
道標にパヤー名があるが遠目では分からない。
名も無い遺跡も多いがモニュメントNo.が有るそうだ。
通り沿いから遺跡がたくさん見える。
Lawka-chanthar、Tha-gya-Pone Phaya、Tha-gya-Hit Phayaだと思う。
更に進むと大きな寺院が左手にあった。
ティーローミィンロー寺院であった。
ティーローミィンロー寺院
道路を挟んだ向かい側にウバリ・テェンがあるので、地道を入って行った。
小さな仏塔があり、小屋から少年が出て来た、キーを持っている。
仏塔に上がれると言うので付いて行った。
鉄格子の鍵を外し中に入れてくれた。正面に仏像の坐像があった。
U-YIN-GYI PHAYA
仏像横の壁の中にトンネルの様な階段があった。人1人が通れる階段で暗く頭をぶつけない様に注意して上った。大男は通れない。
階段を通り抜けるとテラスに出た。基壇が3段あり狭い短い階段を上がり最上部に立った。
平原に大小さまざまな仏塔や寺院が点在するこの風景をこんなに早く体験できるとは!!!!
エーヤワディー川に近いので川も見えた。
エーヤワディー川
ウバリ・テェンを捜して迷い込んだこの仏塔からウバリ・テェンを見付けた。
ウバリ・テェン
私が写真を撮っている間に少年は、電気スタンドを取りに行っていた。
勉強に使うのだろう電気スタンドで階段を照らしてくれた。コードが無いところを見ると電池式か?
少年にチップ2,000Kを渡して別れた。
メイン・ロードにもどり、道標でU-YIN-GYI PHAYAとあり、はじめて名前が分かった。
メイン・ロードを行くとウバリ・テェンがあった。
閉まっていて入れなかったが、入口に描かれていたフレスコ画が少し見えた。
ウバリ・テェン
10分ほどペダルをこいだ、雨がぱらついてきた。
タラバー門手前にレストランがあり入った。
焼き飯(2,000K)とマンダレービール(1,500K)を頼んだ。マンダレービールが安い。
1週間ぶりに日本人を見掛けた。
雨で道路が濡れている。小雨の中をオールドバガンに向った。
タラバー門(オールドバガン内より)
タラバー門を通り、すぐそばに黄金に輝く宮殿があった。
それを通り過ぎ、西に真直ぐ行き、三叉路を北に向った。
すぐにマハーボディー・パヤーがあった。
バガンでは、珍しい形状の仏塔である。
マハーボディー・パヤー
更に北に行く。
バガンの風景
オールドバガンの城壁外に出たところにホテルがあった。
昔オールドバガン内に多くのホテルがあったが、ニューバガンに移されたそうだ。
更に行くとエーヤワディー川に突き当たり、船着場があった。
小雨が降ったり止んだりしていた。
来た道を戻り、タラバー門からの道を西に突き当たり北に向かった。
同じくエーヤワディー川に突き当たり、ブーパヤー・パヤーがあった。
先ほどの船着場から近い、川沿いに来ればよかった。現に中国系女性2人と船着場近くですれ違ったが、彼女らが先に着いていた。
ブーパヤー・パヤー
来た道を戻り、更に南に行くと西側にゴドーパリィン寺院があった。
ゴドーパリィン寺院
オールドバガンの仏塔や寺院には外国人よりもミャンマーの人々の参拝者の方が多い。
軽トラック改造バスをチャーターしてまわっている様だ。
彼らにとって、遺跡というよりは、祈りの対象としてに寺院であり仏塔なのだろう。
更に南に行くと考古学博物館があった。
国力に見合わない大きく立派な考古学博物館である。
入れ物が立派でも中身は空っぽという事もあるので入らなかった。
考古学博物館
考古学博物館前の道路を挟んだ向かい側にメイン・ロードから外れる地道があり、そこから欧米人を乗せた馬車が出て来た。
その方向はタビィニュ寺院だろうと思い、入って行った。
名も無い仏塔を過ぎ、大きな寺院が見えて来た、その手前に物売りのいる小さな寺院に着いた。
寺院名を聞くとナッフラウン寺院であった。
バガンに残る唯一のヒンドゥー寺院だそうだ。
ナッフラウン寺院
ナッフラウン寺院から見えた大きな寺院が、タビィニュ寺院であった。
65mの高さがあり、バガンで最も高い寺院だそうだ。
タビィニュ寺院(ナッフラウン寺院側より) 正面
タビィニュ寺院の向かいにあるタビィニュ僧院に日本人戦没者慰霊碑がある。
バゴー、マンダレーヒルにある日本人戦没者慰霊碑にお参りあいたので、もういいか!
ミャンマー観光地の各地に、日本人戦没者慰霊碑が必ずあるのか?
ミャンマーの人々は、日本人戦没者慰霊碑をどの様に思っているのだろうか??
黄金宮殿近くのメイン・ロードに出た。
タラバー門を抜けると南側に広い空き地がある。
その空き地が、アーナンダ寺院の入口まで続いていた。
入口で物売りが近付いて来て、ルビーorサファイアを要らないかとひそひそと話し掛けてきた。
見るからに胡散臭い、ガラス玉とルビーの区別が私にはつかない、そく断わった。
もっと明るく話し掛けてきたら、冷やかしで話ぐらい聞くが!!!
アーナンダ寺院
16時前になっていた、疲れてきたので、今日はこの位にしておこう。
メイン・ロードをニャウンウーに戻って行った。
1ヶ所だけ坂がきつくレンタサイクルを降りて押した。
バガンの大平原と言っても、自転車ではきつい坂が多いのかと思っていたが、そうではなかった。
16時半ごろホテルに帰った。
シャワーを浴びた後、ベッドで横になる。
今、「ビルマの竪琴」を読んでいる。
19時ごろ夕食の為ホテルを出た。
メイン・ロードと平行に走っているアノーヤター・ロードがあり、私が泊まっているヤー・キン・ター・ホテルが面している。
メイン・ロードとアニーヤター・ロードをつなぐ道沿いにオープンエアのレストランが多数あり、その中のビヤガーデンに入った。
奥には、生ビールのビヤ樽が積上げられていた。
ウエイターお勧めのチキン△○×と生ビールを頼んだ。
チキン△○×は、油っこい筑前煮の様なものであった。
ビールに良く合い、生ビールを3杯飲んでしまった。
筑前煮?も、食べている間に油が皿に溜まっていった。最後は油に浸かった部分を残した。
21時、就寝。
バガンで出会った子供