津軽の旅も佳境である。
数日懸けて津軽半島を周り、この太宰治の津軽があったからこそ、私はこんな何もない田舎に愛着を覚えるのであろう。
全国各地どこにでも歴史があり、観光地と呼ばれる素晴らしい自然や建物があるものであるが、私は郷土愛と言う普遍的なものから、津軽周辺を愛している。
とりあえず、またもや「斜陽館」に行く。
「マデニー」で「押切もえが振り返る太宰治」みたいなヘンテコなDVDを販売している。
押切もえがどれだけ太宰が好きかは知らんし、多分あまり詳しくないと思われるが、押切もえではなく、エビちゃんだったらDVDを購入したに違いない。
ここはいつ行っても観光客がウジャウジャいる。
文系の若い大学生の集団から、太宰治という名前しか知らないであろうオッサンオバチャンが、歴史ある建築物としての斜陽館を巡るツアー客の集団まで様々。
金欠ながら、斜陽館に入るか迷ったが、20人位の集団が入館していったので、バカらしくなって後にした。
そういえば「津軽」の中で「芦野公園駅」について触れる場面があるので、寄った。
「芦野公園」という巨大な公園は、桜の名所でもあり、芦ノ湖という沼もあり、桜よりは、松が生い茂っており、美しい風景を形成している。
とりあえず散歩する。斜陽館からは徒歩で10分も掛からないであろう近所なので、若き太宰もここで遊んでいた事であろう。
「芦ノ湖」は冬なので、見事に凍結している。
小さい規模ながら、動物園もあり、冬なのか、経営の問題かは不明だが、半分ほどの檻には動物不在。少ない動物を歩きながら見ていると、鹿と目が合った。物凄い悲しい目をしていたのである。これくらいの規模なら閉園したほうが動物の為にも良かろうかと思った。
公園には太宰の記念碑があるとのことで探すが、除雪もしておらず、ヤブを漕いでその記念碑まで辿り歩いた。
この記念碑には、有名な文章が書かれておるが、積雪の為に文字が隠れていたので、雪を掻いでおいた。夏場は景色も美しいだろうが、津軽の冬は何もかも寂しくさせる。ヤブを漕いで後にする。
芦野公園駅は無人であり、隣接するカフェで切符を販売している。
おそらくこのカフェは太宰ファンから愛されているように思われるが、ダラダラコーヒーを飲んでる場合ではなく、先を急がなければならない。
最後に、芦野公園での出来事を書いた文章より。
金木の町長が東京からの帰りに上野で芦野公園の切符を求め、そんな駅はないと憤然として、津軽鉄道の芦野公園を知らんかと言い、駅員に三十分も調べさせ、とうとう芦野公園の切符をせしめたという昔の逸事を思い出し、窓から首を出してその小さい駅を見ると、いましも久留米絣の着物に同じ布地のモンペをはいた若い娘さんが、大きい風呂敷包みを二つ両手にさげて切符を口に咥えたまま改札口に走ってきて、眼を軽くつぶって改札の美少年の駅員に顔をそっと差し出し、美少年も心得て、その真白い歯列の間にはさまれてある赤い切符に、まるで熟練の歯科医が前歯を抜くような手つきで、器用にぱちんと鋏を入れた。少女も美少年も、ちっとも笑わぬ。当り前の事のように平然としている。少女が汽車に乗ったとたんに、ごとんと発車だ。まるで、機関手がその娘さんの乗るのを待っていたように思われた。こんなのどかな駅は、全国にも類例が無いに違いない。金木町長は、こんどまた上野駅で、もっと大きな声で、芦野公園と叫んでもいいと思った。
続く。
数日懸けて津軽半島を周り、この太宰治の津軽があったからこそ、私はこんな何もない田舎に愛着を覚えるのであろう。
全国各地どこにでも歴史があり、観光地と呼ばれる素晴らしい自然や建物があるものであるが、私は郷土愛と言う普遍的なものから、津軽周辺を愛している。
とりあえず、またもや「斜陽館」に行く。
「マデニー」で「押切もえが振り返る太宰治」みたいなヘンテコなDVDを販売している。
押切もえがどれだけ太宰が好きかは知らんし、多分あまり詳しくないと思われるが、押切もえではなく、エビちゃんだったらDVDを購入したに違いない。
ここはいつ行っても観光客がウジャウジャいる。
文系の若い大学生の集団から、太宰治という名前しか知らないであろうオッサンオバチャンが、歴史ある建築物としての斜陽館を巡るツアー客の集団まで様々。
金欠ながら、斜陽館に入るか迷ったが、20人位の集団が入館していったので、バカらしくなって後にした。
そういえば「津軽」の中で「芦野公園駅」について触れる場面があるので、寄った。
「芦野公園」という巨大な公園は、桜の名所でもあり、芦ノ湖という沼もあり、桜よりは、松が生い茂っており、美しい風景を形成している。
とりあえず散歩する。斜陽館からは徒歩で10分も掛からないであろう近所なので、若き太宰もここで遊んでいた事であろう。
「芦ノ湖」は冬なので、見事に凍結している。
小さい規模ながら、動物園もあり、冬なのか、経営の問題かは不明だが、半分ほどの檻には動物不在。少ない動物を歩きながら見ていると、鹿と目が合った。物凄い悲しい目をしていたのである。これくらいの規模なら閉園したほうが動物の為にも良かろうかと思った。
公園には太宰の記念碑があるとのことで探すが、除雪もしておらず、ヤブを漕いでその記念碑まで辿り歩いた。
この記念碑には、有名な文章が書かれておるが、積雪の為に文字が隠れていたので、雪を掻いでおいた。夏場は景色も美しいだろうが、津軽の冬は何もかも寂しくさせる。ヤブを漕いで後にする。
芦野公園駅は無人であり、隣接するカフェで切符を販売している。
おそらくこのカフェは太宰ファンから愛されているように思われるが、ダラダラコーヒーを飲んでる場合ではなく、先を急がなければならない。
最後に、芦野公園での出来事を書いた文章より。
金木の町長が東京からの帰りに上野で芦野公園の切符を求め、そんな駅はないと憤然として、津軽鉄道の芦野公園を知らんかと言い、駅員に三十分も調べさせ、とうとう芦野公園の切符をせしめたという昔の逸事を思い出し、窓から首を出してその小さい駅を見ると、いましも久留米絣の着物に同じ布地のモンペをはいた若い娘さんが、大きい風呂敷包みを二つ両手にさげて切符を口に咥えたまま改札口に走ってきて、眼を軽くつぶって改札の美少年の駅員に顔をそっと差し出し、美少年も心得て、その真白い歯列の間にはさまれてある赤い切符に、まるで熟練の歯科医が前歯を抜くような手つきで、器用にぱちんと鋏を入れた。少女も美少年も、ちっとも笑わぬ。当り前の事のように平然としている。少女が汽車に乗ったとたんに、ごとんと発車だ。まるで、機関手がその娘さんの乗るのを待っていたように思われた。こんなのどかな駅は、全国にも類例が無いに違いない。金木町長は、こんどまた上野駅で、もっと大きな声で、芦野公園と叫んでもいいと思った。
続く。