見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2020年8月関西旅行:東洋陶磁美術館と中之島香雪美術館

2020-08-12 23:48:55 | 行ったもの(美術館・見仏)

大阪市立東洋陶磁美術館 特別展『天目-中国黒釉の美』(2020年6月2日~11月18日)

 土曜日は名古屋から大阪へ移動。特別展の展示室に入って、まず目についたのは、大好きな磁州窯の『黒釉白地掻落牡丹文梅瓶』。隣りには細いストライプ文様がおしゃれな『黒釉堆線文水注』もある。「天目(茶碗)」と何の関係もないのに何故?と不思議に思った。

 あとで入口に戻って解説パネルを読んで知ったのだが、天目とは、元来、浙江省天目山一帯の寺院に於いて用いられた、天目釉と呼ばれる鉄釉(黒釉)をかけた茶碗のことを言った。その後、産地にこだわらず黒釉茶碗を天目と称するようになり、最近は「天目」を黒釉の意味で使うこともあるのだそうだ。へええ、「天目」って、むしろ形(口が開き、底が締まったすり鉢型)を表す用語だと思っていたので、勉強になった。

 もちろん天目茶碗も各種並んでいた。吉州窯の木葉天目、玳皮天目、健窯の禾目天目など。私は白覆輪天目というのが、シンプルで形のよしあしが分かりやすくてよいと思った。磁州窯と定窯のものがあった。国宝『油滴天目』はやっぱり美しい。同じ油滴天目でも、モノトーンに近いものもあるが、この茶碗は、光線の具合で青や緑など複雑な色彩が浮かび上がる。口縁の金覆輪もゴージャス感を添える。でもどれが欲しいかと言われたら、磁州窯の黒釉だなあ、と思って眺めた。

 実は、特別展以上に面白かったのが、同時開催の特集展『現代の天目-伝統と創造』(2020年6月2日~11月18日)。世界各国の近現代作家による伝統的な天目の再現や新たな創作など約30点を展示する。いずれも伝世の名品と比べても遜色がない。でも技術に加えて偶然が味方しないと傑作は生まれないから、やきものは難しいんだろうなあ。私は李春和氏の油滴天目が特に気に入った。調べたら台湾の陶芸家であるそうだ。

中之島香雪美術館 企画展『茶の湯の器と書画-香雪美術館所蔵優品選』(2020年6月13日~8月30日)

 時間があったので、徒歩でハシゴ。本展は、村山龍平コレクションの茶の湯の優品約80点をジャンル別にアラカルトで紹介するもの。「茶入・茶碗・茶杓」「花入・水指」「香合・香炉・釜・炭道具」…という具合で進む。絵画は、戦前の美術専門誌に掲載されて以来、100年以上非公開だった勝川春章『三都美人図』が注目されていたが、浮世絵の展示は前期で終わっていた。後期は水墨画で、伝・周文『廬山観瀑図』、伝・祥啓『山水図』など。

 まあフツウの展覧会かな、と思っていたら、最後の展示室が「特集:楽道入」で足が止まった。千宗旦作の『二重切花入(銘:のんかう)』を見て、道入の別名ノンコウから付けたのかな?と思ったら、そうではなくて、宗旦が能古(のんこ)茶屋で切った花入に「ノンコウ」と名づけて道入に贈って以来、道入を訪ねることを「ノンコウのところに行く」と言っていたので、それが道入の別名になったのだそうだ。初めて知る知識で、宗旦と道入のバディ感に関心が湧いた。花入は、太くてまっすぐな竹を用いた二重切(上下二段に花窓を切った形)で、微かに底部が広がっている。

 ほかに同館所蔵の道入作品が7件。黒楽茶碗『寒空』や赤楽茶碗『黄山』は普通として、香合『鶏』は珍しい白楽焼で落花生みたいな色をしていた。また赤楽茶碗『真砂』はフルーツ牛乳のような地色で、口縁の一部にプリントしたようなオレンジ色の装飾文(三島模様)が配されている。『緑釉割山椒向付』は深緑の釉薬をベタ塗りにして、ところどころ黄色が覗く。青海苔を貼り付けたような雰囲気。道入の多様な挑戦にも驚いたし、これらを全て集めていた村山コレクションの幅広さにも感嘆した。

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2020年8月関西旅行:徳川美術館と蓬左文庫

2020-08-11 22:39:39 | 行ったもの(美術館・見仏)

徳川美術館 特別展『漆-徳川美術館珠玉の名品-』(2020年7月18日~9月13日)+蓬左文庫 企画展『怪々奇々-鬼・妖怪・化け物…-』(2020年7月18日~9月13日)

 今年は三連休に職場の休業日がくっついたので、3泊4日で関西方面に出かける計画を立てた。行き先は大阪・奈良・京都の1府2県周遊。基本、ひとり静かに神社仏閣と美術館をまわる旅行なので許してほしいと念じながら。最終日に名古屋の徳川美術館にも寄ろうと思ったのだが、連休明けの11日(火)は休館と判明。それなら、初日に行ってしまえ!と考えて、土曜日の朝、名古屋駅に下りた。

 徳川美術館は1年半ぶり。やっぱりどの部屋も面白いなあと思ってじっくり見る。特に「大名の数寄-茶の湯-」は名品揃いだった。『唐物茶壺(銘・夕立)』やキューブ形の『古備前釣瓶形水指』、舐めたくなるような肌合いの『青磁浮牡丹花生』などが印象に残った。『仙果双禽図』は沈南蘋かと思ったら津田応圭の作で、尾張で初めて南蘋の画風を学んだ画家だそうだ。「大名の雅び」の部屋に飾られた『津島社祭礼図屏風』も面白かった。赤い提灯を山盛りに飾った車楽(だんじり)船、絵空事みたいだが、調べたら、実際の写真も美しい(※あいちの山車まつり)。覚えておいて、いつか行きたい。

 蓬左文庫の展示エリアへ。今期の企画展では、古典文学に記された怪奇現象や、描かれた幽霊や鬼・妖怪などの世界を紹介する。はじめに「枕草子」「源氏物語」「平家物語」等に記された怪奇現象に関係する箇所を、同館(徳川美術館&蓬左文庫)の蔵書で紹介する構成は、さすが、知っているなーと選択眼に感心した。それから同館独自の写本や伝本が登場する。『長谷寺縁起絵巻』は、関東だとゆるい素朴絵ふうの伝本を見る機会が多いのだが、徳川美術館本は湧き上がる黒雲がおどろおどろしくて、なかなかリアル。『春日権現験記絵巻模本』は白描に少しだけ色がついている。巻八は疫神を、屋根から覗き込む鬼と騎馬武者集団の姿で描いている。しかし猛々しい騎馬武者集団も「唯識論」一巻の前には手が出せない。

 そして水野正信著『青窓紀聞』からはアマビコ(天彦)の図。今般メディアで流布している、毛むくじゃらのゴリラみたいな図が展示してあったが、実は次ページ(裏面)には別のアマビコ図があるそうで(写真展示)これが妙にゆるくてキュートだった。『青窓紀聞』には、興味深い記事が多数あり、安政4年(1857)には風邪が流行したため、役人たちが「御用済次第、勝手次第、早々退散」という勤務体制になったことも書き留められている。慶応2年(1866)には大坂城のお堀で見つかった身長2メートルの怪獣(オオサンショウウオ?カワウソ?)のスケッチも。将軍家茂がこれを見たというが死の直前ではないだろうか。伝・狩野栄信筆『白澤図』は四つ足にいきなり人の頭を載せたような珍妙な図で「白澤が来る」(麒麟か!)というキャプションに笑ってしまった。

 また徳川美術館には『百鬼夜行絵巻模本』二巻(江戸時代)が一括で伝わっている。一本は有名な真珠庵本の模本。手練れで色鮮やかで楽しい。もう一本は、鳥獣戯画ふうの人間臭い動物(ウサギやカエル、ネコ、キツネ)が小さな妖怪たちの中に混じっている。半分くらいしか開いていなかったが、もっと見たかった。

 次に大展示室の特別展は、世界的コレクションとして知られる徳川美術館の唐物漆器を中心に、日本、朝鮮、琉球などの諸作品を通じて、漆工芸の美しさと魅力を紹介する。私は屈輪文(ぐりもん)が好きなのだが、本来、単純な渦巻きの繰り返しを複雑・繊細に組み上げた『屈輪文犀皮食籠』に感嘆した。『梔子連雀文堆朱盆』などの花鳥文も華美になりすぎず、生気にあふれていてよい。元代の『牡丹文堆朱盆(彫銘・張成造)』は、裏面にパスパ文字で「ZIN(仁)」と記されているそうで、朱漆(?)の文字の写真が添えてあった。展示品には見覚えのあるものが多く、このパスパ文字入り作品も初見ではないような気がしたが、いま記録では確認できなかった。とにかく徳川美術館の唐物漆器は、ちょっと他で見ることのできない、すごいコレクションである。

 愛知県緊急事態宣言の中、お客さんはまだ少なくて大変そうだけど頑張ってほしい。また秋に行きます。

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国と民族を背負った英雄/孫基禎(金誠)

2020-08-06 22:55:01 | 読んだもの(書籍)

〇金誠『孫基禎(ソンギジョン)-帝国日本の朝鮮人メダリスト』(中公新書) 中央公論新社 2020.7

 1936年のベルリン五輪マラソンで金メダルをとった孫基禎(1912-2002)の評伝である。孫基禎は、1912年、鴨緑江に面した国境の町・新義州に生まれた。この前年、大日本帝国による大韓帝国併合が行われた。そして1912年という年は、日本が初めてオリンピックに参加した年でもある。と聞いても、以前なら何の感慨も湧かなかったと思うが、昨年の大河ドラマ『いだてん』を、ポツポツ見ていたので、三島弥彦と金栗四三の名前に出会って懐かしさを感じた。

 貧しさに耐えながら学校に通い、次第に陸上競技で注目されるようになる。19歳で養正高等普通学校に入学し、名門陸上部で技術を高めるが、ロサンゼルス五輪の日本代表選考会では成績が振るわなかった。1936年、ベルリン五輪に出場した孫は、オリンピック新記録で優勝する。金栗四三から24年目の金メダルだった。三位にも朝鮮人選手の南昇龍が入った。多くの日本人が「日本の勝利」「日本の英雄」に熱狂したことを、本書は当時の新聞記事や記事の見出しから検証している。そこに民族的差別は全くない。それは、孫がオリンピックに優勝したからである。マージナルな存在でも、偉大な功績があれば「日本人」の仲間と見なされることは、現在のスポーツ選手を見ていてもよく分かる。

 もちろん朝鮮の人々も熱狂したが、そこにはスポーツの勝利の喜びだけでなく、朝鮮民族の自信と優秀性を見ようとする気持ちがあった。そして『東亜日報』が孫基禎の写真を掲載する際、ユニフォームの日章旗を抹消する事件が起きる。東亜日報の社員らは朝鮮の人々の期待に応えたのだが、「内鮮融和」の方針に反するものとして停刊処分を受ける。自らの意図とは無関係に「要注意人物」扱いとなった孫基禎は、監視にさらされる朝鮮での生活を捨て、「再び陸上をやらない」ことを条件に日本の明治大学へ留学する。

 「再び陸上をやらない」と言っても、日本に押し付けられる役割があって、1938年には「国民精神作興体育大会」(伊勢神宮に奉納した六本の聖矛を各地の神社に奉納しながらリレー方式で明治神宮まで走る)に出場している。1940年に朝鮮に戻ると、朝鮮スポーツ界の指導者の一人として、体育振興、体育向上を唱え、さらに学徒志願兵の勧誘にも協力する。

 1945年、植民地支配からの解放。しかし朝鮮知識人は、この解放が自主独立ではなく日本を屈服させたアメリカの力によるもので、しかもソ連とアメリカによる朝鮮の分断管理が決定されたことに挫折と憂鬱を味わっていた。そうか、単純に解放されて嬉しかっただろうというくらいで、この「挫折と憂鬱」はあまり考えたことがなかった。

 国家に翻弄される孫基禎の運命は変わらない。李承晩は、スポーツ選手が「韓国」ナショナリズムの高揚と反共スローガンに利用できることをよく分かっていた。1964年の東京五輪を前にして、孫は日本の産経新聞に「マラソンは日本が勝て!」と語ったことが問題視される。孫は日本を含むアジアの国の優勝を期待しているという意図だったという。1970年には、韓国の国会議員がベルリンのオリンピックスタジアムの壁に刻まれた孫基禎の国籍「JAPAN」を勝手に「KOREA」に差し替える事件が起きた。どこの国にも厄介な国会議員はいるものだ。1988年のソウル五輪で、孫は聖火リレーの最終走者に予定されていたが、事前に情報が洩れてしまったため、交代を余儀なくされる。

 とにかく当人の意志とは無関係に「英雄」を欲しがる人々(権力者も大衆も)の間で翻弄され続けた生涯だったように思う。死後は、国家に殉じた者の墓所・大田の国立墓地に眠るというが、果たして孫の望んだことだったか。それとも、墓所などどこでもいいと思っているだろうか。孫が、李承晩の参列した席で語った言葉「最後にお願いですが、選手たちに英雄心を与えず、選手たちを商品化せず、選手たちを政治道具化しないことを強く願います」には、胸を打たれた。それでも大衆は「スポーツの英雄」を求めてやまないし、権力者と資本家は、その欲望を利用しようと手ぐすねひいている。だからオリンピックは難しいのだ。

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門前仲町グルメ散歩:2020夏・初かき氷

2020-08-05 22:28:43 | 食べたもの(銘菓・名産)

日曜日に門前仲町の伊勢屋で、この夏初めてのかき氷(ソフト氷いちご)を食べた。

若い店員さんの姿がなくて、おじいちゃんとおばあちゃんが店をまわしていたのはコロナの影響だろうか。心配。テキパキ対応しなくていいから、のんびりお店を続けてほしい。

7月初旬から職場の方針で、ほぼ在宅勤務がなくなって1ヶ月になる。途中に連休があったものの、ちょっと疲れた。そこで明日は「休暇」を取って、自宅で必要なメール対応だけすることにした。こういうことは、以前にもやったことがあるけど、4-6月の出勤自粛期間に、仕事で使うファイルをなるべくクラウド上に移設・整理したので、何かあったときの在宅対応に不安が減った。

8月は、こんな感じの休暇/在宅勤務日を自主的に何回かつくろうと思っている。

明日のランチは、久しぶりにご近所で!

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影響し合う東アジア/美の競演(静嘉堂文庫美術館)

2020-08-04 22:31:23 | 行ったもの(美術館・見仏)

静嘉堂文庫美術館 『美の競演-静嘉堂の名宝-』(2020年6月27日~9月22日)

 三菱創業150周年を記念し、三菱の第2代社長・岩崎彌之助、第4代社長・岩崎小彌太らが蒐集した古典籍や古美術品から名品を精選し展観する。会期が9月までなので、ゆっくり行こうと思っていたら、前後期で展示替えがあると分かり、慌てて前期の最終日である8月2日に見てきた。

 展示室に入ってすぐ、前田青邨『獅子図(旧衝立)』は、色も形も斬新で親しみやすくカッコよく、子ども向けアニメーションのキャラクターみたい。実は小彌太コレクションのおちゃめな三彩獅子俑(唐代)を参考に制作されたのだそうだ。本展は、このように何らかの関係のある作品どうしの「競演」が見どころになっている。ところで、パネルの解説によれば、前田青邨は小彌太夫妻の絵の師匠で、厳しく指導していたというのが面白かった。

 名品揃いの茶道具のうちでも随一の曜変天目(稲葉天目)は、当初この展覧会には出品されない予定だったが、新型コロナの影響で三菱一号館美術館の『三菱の至宝』展が来年に延期になったため、急遽、こちらに出品されることになったのは目出度い。いつもより展示台が低いケースに収められていて(たぶん)見込みを覗き込みやすい。

 「東アジア山水画の競演」は前期限りだというので、見に来てよかった。孫君沢『楼閣山水図』二幅対(元代)は修復後初公開とのこと。左右それぞれ、枝を垂らした松が佇立し、その間に雲とも霧とも靄ともつかない縹渺とした空間が広がる。「文清」印『遠浦帰帆・漁村夕照図』二幅対は朝鮮絵画で、鳥瞰図というか、上空のドローンから見ているような視点。山も島影も夢のようにぼんやり、ふわふわした感じ。雲渓永怡『山水図』(日本・室町時代)はお手本どおりに描いているというか生真面目な印象。

 「信仰の造形」は仏画の名品が並んだ。やっぱり高麗時代の『水月観音像』がよい。表情が優しく全体に丸っこくて、美しくも親しみやすい観音様。足元の珊瑚や蓮華、小さな善財童子も可愛い。実はさらに小さな雷神(!)もいることは、同館のツイッターで初めて知った。日本・南北朝時代の『如意輪観音像』は美しすぎて禍々しいくらい。深緑の荒々しい岩(?)と輝くような紅蓮華の取り合わせも妖艶でドキドキする。南宋時代の『羅漢図』は、羅漢が手にした石が金に変化していくところを描く。よく見ると、羅漢が座っている丸いクッション、隣りの花瓶台の装飾など、豪華で繊細。

 屏風は大和絵系の土佐派と漢画系の狩野派の競演。伝・土佐光信『堅田図』は、大徳寺瑞峯院の襖絵を屏風に改装したもの。地を撫でるような低い樹々、低い家屋、そして低い山並み。日本の風景だなあと思う。高い脚をつけいた百葉箱みたいなものが水辺に並んでいて気になった。伝・狩野元信『韃靼人打毬図』も、もとは襖絵。右隻に露営の準備をしているところか。左隻に馬に乗って打毬に興ずる人々が描かれる。20人(20頭)くらいがぎゅっと固まっている。低い丘の上にはテントがあり、敷物に座って見物している赤い服の男が1人。そのまわりに10人くらいの侍者が立っている。以前、似た作品を見たことがあると思ったのは、狩野宗秀筆『韃靼人狩猟・打毬図屏風』で、綴プロジェクトによる複製品の展示を京都国立博物館で見たのだった。しかし、金の雲を多用している宗秀作品に比べると、こちらはずっと素朴。

 このほか、沈南蘋『老圃秋容図』と原在明『朝顔に双猫図』の競演(どちらも白に黒のブチ猫がいる)、宋版と嵯峨本の競演なども面白かった。

 最後にロビーに飾られた陶磁器(日本と中国)を見ていたら、壁に立派な洋館の大きな写真が飾られていることに気づいた。深川別邸?清澄園? 現在の清澄庭園のことか! 三菱創業者の岩崎弥太郎が土地を買い取り、三菱社員の慰安と賓客接待を目的とした庭園を造成し、弥之助の依頼でジョサイア・コンドル設計による洋館が建てられた。庭園には陳列室が設けられ、岩﨑家がフランシス・ブリンクリーから一括購入した東洋陶磁が展示された。当時、日本人の間では人気のなかった清朝陶磁を含め、西洋人の目で選ばれた品を西洋風に展示するという点で、画期的なものであったという。私は深川に住んで3年以上になるのに、まだ清澄庭園の中に入ったことはない(塀の前は何度か通っている)。三菱創業者の人々を偲んで、今度、行ってみなくては。

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原理と実践テクニック/勉強の哲学(千葉雅也)

2020-08-03 20:41:31 | 読んだもの(書籍)

〇千葉雅也『勉強の哲学:来たるべきバカのために』(文春文庫) 文藝春秋 2020.3

 吉見俊哉氏の『知的創造の条件』での紹介が気になったので読んでみた。本書の前半は「原理篇」で、勉強とは何か?を深く考えてみる。勉強とは自己破壊である。これまでの環境のコードにノッていた自分を捨てて、別の環境=別のコード/言語に引っ越すことである。するとノリが悪くなる。使っている言語に違和感を感じる。その違和感を「言語をそれ自体として操作する意識」へ発展させる。そして、ツッコミ=アイロニー(根拠を疑う)とボケ=ユーモア(見方を多様化する)というテクニックによって環境のコードを転覆させ、新たなノリ、自己目的的なノリ=来たるべきバカの段階へ進むことができる。

 言いたいことはだいたい分かる。巻末の「付記」によれば、ドゥルーズ&ガタリ、ラカン、フーコー、ウィトゲンシュタインなどフランス現代思想をベースにした文章だが、軽い表現、平易な用語で書かれているので、苦労なく読むことができた。その分、あまり新鮮味もなかった。

 むしろ興味深かったのは、第3章以降の「実践編」である。これは、たとえば大学で初めてレポートを書く学生には、とても参考になると思った。勉強は「生活にわざと疑いを向けて、問題を浮かび上がらせる」ことから始まる。この「わざと」が大事。毎日の生活にだいたい満足していて、権力を糾弾したり社会を変えたりしたいとは思わない場合でも「わざと」問題を見出し、その不快な状態を楽しむのが勉強である。

 まずは生活の場面を淡々と思い浮かべ、その背景にある環境のコードをあぶり出し、そこにツッコミを入れていく。その中で「抽象的で堅いキーワード」を見出し、そのキーワードを含む「専門分野」のノリを参照する。しかし深追いをしすぎてはいけない。絶対的な根拠を求める「最後の勉強」をしてはいけないので、「まあこれだろう」というところで勉強を中断(ある結論を仮固定)する。以上は「勉強のプロセス」の説明として完璧だと思う。

 続く第4章には、さらに詳細で具体的な勉強のテクニックが書かれている。専門分野に入門するには何から読んだらよいか。基本はネットよりも紙の本だ。入門書→教科書→基本書と進むのがよい。入門書は1冊でなく複数読むこと。教科書は辞典のように引くもので、読み通す必要はない。入門書や教科書に繰り返し名前が出てくる文献が基本書。ううむ、私はこういうことを学校(大学)で体系的に学んだ覚えがないが、いまはちゃんと教えてくれるのだろうか。

 勉強というのは、自分で文献を読んで考察することが本体で教師の話は補助的なものだと著者はいう。いま、新型コロナの影響で対面授業をしていない大学が批判に晒されているけど、私はこの風潮にあまり賛同しない。対面授業が大学生に「どうしても必要なもの」とは思えないからだ。ただ、もちろん教師には役割があって、教師とは「このくらいでいい」という勉強の有限化をしてくれる存在である、という説明は大変おもしろいと思った。

 入門書を選ぶときは、信頼できる人物や機関の情報を信頼するしかない。勉強にあたって信頼すべきは、勉強を続けている他者であって、決めつけや押しつけの語りは、どんなに人気があっても勉強の足場にすべきではない。これは本当に大事。それから研究書と一般書の違い。研究書は「厳密」なもので、一字一句を「文字通り」読むことが期待されている。一般書から有効な部分を取り出すには読者に専門知識が必要なので、初学者はすべての一般書に警戒してほしい。これも大事。難しい本は、無理に納得しようと思わず、実感に引き付けず、「テクスト内在的」に読めというアドバイスもためになると思った。

 また、文献を読むだけでなく、書き留めること、つくること(絵画、音楽、身体運動)、生活や空間を設計することが「勉強」にどのような影響を与えるかにも触れられている。総じて、私が学生時代から今日まで体験的に会得してきたことと矛盾するところはないのだが、今の現役学生はどんなふうに反応するだろうか。

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