見もの・読みもの日記

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2019年3月:承久本『北野天神縁起』を見る(京都文博)

2019-03-11 23:56:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都文化博物館 特別展『北野天満宮 信仰と名宝-天神さんの源流-』(2019年2月23日~4月14日)

 関西旅行2日目は奈良を出発して京都へ。見たかったこの展覧会に直行する。朝イチだというのに思ったより人が多い。冒頭は『菅家文章』や『寛平御遺誡』などの文書資料から始まるが、江戸の写本なのでまあいいかと思って流す。『北野天神縁起』の写真パネルで道真の生涯を紹介するコーナーにはずいぶん人が立ち止まっていた。それから北野天満宮の創建に関する資料、「根本障子」と呼ばれる鎌倉時代の障子絵『舞楽図』2基、大きな束帯天神像を中央に描いた『北野曼荼羅』(室町時代)、北野天満宮に安置されていたという十一面観音像(平安時代、曼殊院門跡所蔵)など。前近代の北野社は神仏習合の地だった。

 しかし、それら興味深い展示物をすっ飛ばして、私が駆け寄ってしまったのは、根本縁起と言われる承久本『北野天神縁起絵巻』(鎌倉時代)。よかった、いちばん好きな第6巻だ(3/19-第8巻、9巻に展示替え)。湧き上がる黒雲とともにおちゃめな雷神が清涼殿に降臨した場面。展示はその前段からで、御殿の濡れ縁に男性貴族たちが控えている。糊のきいた正装の衣は角ばった印象。源氏物語絵巻みたいに整然と雅やかな場面である。短い詞書をはさんで、次の場面に移ると、風をはらんで丸々と膨れ上がった貴族たちが宙に吹き飛ばされている。この落差、愉快だなあ。雷神の右手では、風船のように転がっている人々が、左手では、なんとか地に下りて、ほうほうの体で物語の進行する左方向へ逃げ去っていく。巧い。そして次の場面では、僧侶に抱きかかえられるようにして頭を丸めているのが醍醐天皇らしい。階(きざはし)の下では、泣いているのか笑っているのか、御殿の内を気にする武士たち。全く無駄のない構成である。

 弘安本(鎌倉時代)の上巻と残欠本(室町時代)も見ることができた。残欠本は牛や馬の描写が巧み。謎の多い伝本らしい。全て北野天満宮所蔵。室町時代の万部経会の様子を描いた『北野経王堂扇面図』(個人蔵)は、最近どこかで見たと思ったら、東博の『大報恩寺』展に出ていたのだった。このほか、桃山時代から江戸にかけての北野社頭を描いた遊楽図・名所図屏風が多数出ていたのは、さすが文博。楽しかった。図録を見ていたら、海北友松の『雲龍図屏風』が載っていたが、これは後期。源氏ゆかりの太刀「鬼切丸、別名・髭切」も後期展示である。

 本殿内陣に安置されていたという小さくて愉快な鬼神像(13躯のうち4躯、平安時代)は初めて見た。菅原家の吉祥天信仰を物語る吉祥天立像は由来が興味深かった。なお、私が承久本『北野天神縁起絵巻』の存在を知ったのは、先日亡くなられた橋本治氏の『ひらがな日本美術史』が最初だった。橋本先生、ありがとう。

臨済宗東福寺派大本山 東福寺(京都市東山区)

 文博で意外に時間を要してしまったので、行きたかった京大総合博物館や京大附属図書館の貴重書展示などを諦め、東福寺に向かう。「京の冬の旅」で光明宝殿が公開されていたからだ。他より公開期間が短くて3月1日から18日まで。



 一部屋は絵画の展示で、鈴木松年が描く明兆の肖像画(ずいぶん偉そう)や久保田米僊による『明兆、涅槃図を描く図』があった。猫をモデルにしているのが微笑ましい。もう一部屋は仏像。定朝様のアンニュイな感じの阿弥陀如来坐像は、もと白河法皇の皇女郁芳門院の六条御堂の仏という言い伝えもあるそうだ。3メートルを超える二天王立像(室町時代)は阿吽形。衣を大きくなびかせ、ダイナミックな印象。鎧はごまかしがなく、しっかり作られている。金剛力士像(鎌倉時代)も大きい。興福寺の金剛力士像に似ているが、誇張が少なく、よりリアルな肉体を感じさせる。ほかにも地蔵菩薩像、僧形坐像など。めったに見られない仏像を見ることができて満足した。

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