○保立道久『黄金国家:東アジアと平安日本』(シリーズ民族を問う 3)青木書店 2004.1
奈良時代後半から平安前期(8-10世紀)の日本と東アジア地域の関係を「通史的に」著述したもの。私は、まさか『中世の愛と従属』(平凡社, 1986)『平安王朝』(岩波書店, 1996)の保立先生が、古代国家論に踏み込むとは思っていなかったので、8世紀を論じた章が、とりわけ興味深かった。
古代日本は、つねに東アジアの国際情勢と緊張関係を保っていた。白村江の戦いに敗れた後も、日本の朝廷には、「黄金の国」新羅を侵略したいという衝動が存在した。藤原不比等の四子が諸道の鎮撫使・節度使に任ぜられたのも(疫病の流行で頓挫)、淳仁天皇と仲麻呂が、弓の材料である「牛角」を大量に調達し、唐と軍事同盟を結ぼうと図ったのも、その一例である。
韓半島って、こんなにも古い時代から、日本の欲望の対象であったのか。しかし、一方には、聖武天皇とか称徳=孝謙女帝とか、この国を平和と融和の政策に導こうとした人々もいた。
百済系・高句麗系の渡来氏族は、天皇の「親衛隊」として軍制に大きな役割を担うとともに、東宮学士や后妃を輩出した。また、公卿のうちに必ず渡来系の王族・貴族を加えるという慣習も9世紀の仁明朝まで続いた(これって、ちょっとびっくり!)。古代日本は、小さいながらも「民族複合国家」であり、「軍国主義的な性格をもつ開発独裁国家」であったと著者は規定している。
9世紀に至ると、渡来系氏族への賜姓(天皇家の系譜への取り込み)によって、「民族複合国家」の解消が進む。動乱・革命の続く中国・韓半島に対し、平和と秩序を保つ日本を優れた国とする思想、すなわち「万世一系」の思想が成立し、黄金国家のイメージをまとうナショナリズムと排外的イデオロギーが固定化する。
10世紀に起きた遣唐使の中止以後、「国風文化が発展した」という説が根強い。実際には、このあと、天皇と異国人の面接タブーが形成されるものの、平安貴族たちは、ますます「唐物」を追い求め、天皇は、物欲だけの唐物趣味に閉じこもるようになる。この「面接の忌避」と「物欲だけの唐物(舶来品)趣味」というイメージは、日本の歴史を語るとき、たびたび現れるカリカチュアではなかろうか。
王権論とは別に、円仁の入唐体験を例にして、10世紀の東アジアにおける宗教者のネットワークについて論じた段も面白かった。これは、もとの「入唐求法巡礼行記」が面白いということでもある。それから、タイトルの「黄金国家」の含意も非常に興味深いのだが、これはこれで1冊、別の本を書いてほしいと思う。
奈良時代後半から平安前期(8-10世紀)の日本と東アジア地域の関係を「通史的に」著述したもの。私は、まさか『中世の愛と従属』(平凡社, 1986)『平安王朝』(岩波書店, 1996)の保立先生が、古代国家論に踏み込むとは思っていなかったので、8世紀を論じた章が、とりわけ興味深かった。
古代日本は、つねに東アジアの国際情勢と緊張関係を保っていた。白村江の戦いに敗れた後も、日本の朝廷には、「黄金の国」新羅を侵略したいという衝動が存在した。藤原不比等の四子が諸道の鎮撫使・節度使に任ぜられたのも(疫病の流行で頓挫)、淳仁天皇と仲麻呂が、弓の材料である「牛角」を大量に調達し、唐と軍事同盟を結ぼうと図ったのも、その一例である。
韓半島って、こんなにも古い時代から、日本の欲望の対象であったのか。しかし、一方には、聖武天皇とか称徳=孝謙女帝とか、この国を平和と融和の政策に導こうとした人々もいた。
百済系・高句麗系の渡来氏族は、天皇の「親衛隊」として軍制に大きな役割を担うとともに、東宮学士や后妃を輩出した。また、公卿のうちに必ず渡来系の王族・貴族を加えるという慣習も9世紀の仁明朝まで続いた(これって、ちょっとびっくり!)。古代日本は、小さいながらも「民族複合国家」であり、「軍国主義的な性格をもつ開発独裁国家」であったと著者は規定している。
9世紀に至ると、渡来系氏族への賜姓(天皇家の系譜への取り込み)によって、「民族複合国家」の解消が進む。動乱・革命の続く中国・韓半島に対し、平和と秩序を保つ日本を優れた国とする思想、すなわち「万世一系」の思想が成立し、黄金国家のイメージをまとうナショナリズムと排外的イデオロギーが固定化する。
10世紀に起きた遣唐使の中止以後、「国風文化が発展した」という説が根強い。実際には、このあと、天皇と異国人の面接タブーが形成されるものの、平安貴族たちは、ますます「唐物」を追い求め、天皇は、物欲だけの唐物趣味に閉じこもるようになる。この「面接の忌避」と「物欲だけの唐物(舶来品)趣味」というイメージは、日本の歴史を語るとき、たびたび現れるカリカチュアではなかろうか。
王権論とは別に、円仁の入唐体験を例にして、10世紀の東アジアにおける宗教者のネットワークについて論じた段も面白かった。これは、もとの「入唐求法巡礼行記」が面白いということでもある。それから、タイトルの「黄金国家」の含意も非常に興味深いのだが、これはこれで1冊、別の本を書いてほしいと思う。
保立先生の著作には私も注目しているつもりですが、この本の存在は知りませんでした。今度、書店で手にとってみたいと思います。
先日、井上満郎氏の『古代の日本と渡来人』(明石書店)という本を読んだので、少し渡来人については知見が広がりました。まず渡来系氏族(蘇我氏を含めず)が朝廷内の有力者になったのは、どうやら光仁-桓武-平城・嵯峨・仁明の3世代限りとのこと。この3世代では渡来系氏族から后妃を招いたこともあり、有名な坂上田村麻呂などが登用されましたが、それはどうやらこの時期独特のものであると先の著書にはありました。やはり桓武の母高野新笠の存在が大きいのでしょうか。このあたりは保立先生の著書も読んで確認したいところです。
また講談社版の『中国の歴史 第6巻』でも、円仁の旅行記が取り上げられていました。あの本は相当に面白いようですね。岩波文庫にありましたが、残念ながら中身を確認したことすらありません。9世紀の中国の旅とはどんなものなんですかねえ。もしかすると現在よりも旅しやすいのではないか、なんてことも考えてしまいました(笑)
駄文をダラダラと失礼しました。また来ますね。
東洋文庫でした。失礼しました。
私も保立先生には注目しているのに、この本は最近まで見逃してました。
円仁の旅は、決して楽ではなかったようですよ。ときの皇帝・武宗は、仏教を弾圧し(円仁も還俗を強制される)、国情も騒然としていたとか。政略結婚でウイグルに下っていた皇女がウイグル王の死去にともない、王子を殺して帰国したとか、反乱した節度史の首が高さ十丈余の槍に貫かれて長安市中を引き回されたとか、本書に引用されている部分はわずかですが、東洋文庫の全文を読んでみたい!と思いました。
Sonicさんのサイトでは、テッサさんの新刊を、さっそく取り上げてましたね(私は書店では未見です)。読んだら、訪ねていきます。では。