見もの・読みもの日記

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初雪旅行(3):京都御所ゆかりの至宝(京博)

2009-01-15 23:07:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
○京都国立博物館 特別展覧会 御即位二十周年記念『京都御所ゆかりの至宝-甦る宮廷文化の美-』(2009年1月10日~2月22日)

http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html

 京都御所で歴代天皇が育まれた豊穣な宮廷文化の全貌をかえりみる展覧会。と聞いて、ふーん、源氏物語千年紀の焼き直しかしら?と思っていたのだが、勝手が違った。本展がスポットをあてるのは、主に院政期から近世初期の天皇たちの治世である。これは、よほどの日本史マニアでないと食いつかないんじゃないかなあ、と首をひねった。

 注目すべきは、まず歴代天皇の肖像画。神護寺蔵の『後白河法皇像』は、知らなかったが、いわゆる神護寺三像とセットであるらしい。大きさも同じくらい(→神護寺寺宝紹介)。国宝『後鳥羽天皇像』(水無瀬神宮蔵)は、丸谷才一氏のエッセイに、いつも挿絵を描いている和田誠氏の絵に可笑しいくらい似ていた。後鳥羽院はエピソード豊富な文化人帝王だが、御所に諸国の刀工を月ごとに招聘し、自らも鍛えたという、ゆかりの太刀も展示されていた。そんな体育会系(?)の一面もあったのか! 美化のカケラもない『花園天皇像』も私の好きな肖像画である。

 能書家・御陽成天皇の宸翰は、秀吉に朝鮮出兵を思い留まるよう、意見したもの。優美な散らし書きから「高麗国への下向」「朝家のため」「無勿体」などの文字が生々しく浮かび上がってくる。江戸初期の後西天皇・霊元天皇は、古記録・古典籍の副本作成を積極的に行った(→Wiki東山御文庫)。伝統文化の守護者としての天皇家には、後水尾天皇みたいに天才的なクリエイターがいる一方、こういう地道な貢献もあったのだなあ、と初めて知った。

 「宮廷と仏教」のセクションでは、京博所蔵の十二天像のうち『水天像』が眼福。智積院の『孔雀明王像』は特別拝観で一度見ている。妙法院の『普賢菩薩騎象像』は、見たような、見てないような、記憶が曖昧で、友人に確かめたら「1日違いで見られなかったはず」と言われた。なかなかの優品。一瞬、東京・大倉集古館の普賢菩薩騎象像が来ているのかと思った。あと絵画では、東福寺の狩野孝信筆『羅漢図』が「初公開」となっていたが、私はそっくりなものを鎌倉・円覚寺の風入れで見たと思う(数人の羅漢、右手に滝、異形の小者たちが石塔を組み建てようとしている)。孝信筆は「明兆筆の下絵をもとにしている」とあり、円覚寺のものは明兆筆とされていた。

 御所を飾った障壁画(門跡寺院などに下賜された)も多数出品されているが、興味深いのは、紫宸殿の『賢聖障子絵』20面(狩野孝信筆)。元服や即位、大嘗会などの重要儀式を行う紫宸殿には、中国の賢聖名臣を描くことが通例だった。そうか~私は神宮外苑の絵画館で、明治天皇の即位図を見たとき、まわりの壁に中国風の人物図が並んでいるのを奇異に感じたけど、長い日本の伝統だったんだな。障子絵では、誰が誰だか確認できないのだが、探幽筆の縮図を見ると、杜如晦、魏徴、房玄齢、李勣(以上、唐太宗の功臣)あるいは諸葛孔明とか、張良とか、よく知られた名前が記されている。ちょうど中国からの観光客(?)2人組が興味深そうに覗き込んで、何事か話していた。

 孝明天皇の冕冠(べんかん、中国風の天子の冠)も面白かったし、東山天皇の礼服(らいふく)にはびっくりした。上下に分かれ、チマチョゴリに似ている。平安初期、嵯峨天皇の詔で決められたという由緒正しいものだが、明治以降は用いられていないそうだ。復活させたら大ブーイングだろうなあ、面白いけど。

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