見もの・読みもの日記

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歴史は検証されたか/新聞と戦争(朝日新聞取材班)

2009-03-29 21:53:50 | 読んだもの(書籍)
○朝日新聞「新聞と戦争」取材班『新聞と戦争』 朝日新聞社 2008.6

 昨年、本書が出たときから、興味あるテーマだと思ってはいた。最近、大門正克『戦争と戦後を生きる』(全集 日本の歴史 第15巻)が本書に触れて「当時の記者の聞き取りや資料をふまえて、正面からテーマを追求した読みごたえのある企画だった」と評価しているのを読んで、それでは読んでみよう、という気になった。

 結果からいうと、満足度はいまいち。本書は、2007年4月から翌年3月まで朝日新聞夕刊に週5回掲載された原稿をまとめたものだ。連載時の書式は縦22字×52行。本書では、小さな写真図版を含めて、ちょうど見開き2ページにあたる。そして原稿は1本ごとに、あらたな舞台・あらたな登場人物にスポットを当てるよう、仕組まれているように見受けた。私は、まずこの原稿書式に音を上げてしまった。あまりにも短すぎる。

 1,000字ちょっとでは、いつ、どこで、誰が、何をした、という基本情報を提供するのが精一杯である。その事件の歴史的な意味や、登場人物が何を感じたかは、平板で曖昧模糊とした表現でしか語られない。そして、ページをめくると、もう話は別の舞台に移っている。なんなんだよ、これは。結局、新聞原稿のスタイルって、いま起きている「事実」を伝えることが限界で、歴史の「意味」を掘り下げることはできないのだろうか。

 否、ことはスタイルだけの問題なのかどうか。本書は「第1章 それぞれの8・15」から始まる。8月15日午前0時に首相官邸の地下防空壕で終戦の詔書が発表されるとともに、正午の「玉音放送」が終わるまで配達してはならないと言い渡される。そして朝刊が組み上がるわけだが、メディア史の佐藤卓己さんは、『八月十五日の神話』(ちくま新書、2005)で、この日の新聞紙面(朝日だけでなく)の多くが、やらせ写真や予定原稿で作られていたことを検証している。けれども、本書はこの件について、巧妙に言及を避けている。予定原稿を使ったとも、使っていないとも書いていない。この小ずるさがムカつく。

 多くの人物に取材し、いろいろ興味深い事実を並べているけれど、この問題については、もう少し別のアプローチがあったのではないかと思う。ただ、収録されている当時の写真は貴重である。記事よりもずっと多くのことを語っているように思う。

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