見もの・読みもの日記

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2021年9月@関西:祈りと救いの仏教美術(大和文華館)

2021-09-25 16:06:16 | 行ったもの(美術館・見仏)

大和文華館 『祈りと救いの仏教美術』(2021年8月27日~10月3日)

 連休3日目(旅行2日目)は、京都を離れ、奈良の大和文華館へ。今回は、とにかく見たい展覧会だけをピックアップする旅行なのである。本展は、この国の風土に根付き、長い間、人々の祈りを受け止めてきた仏教絵画を中心に展示するもの。

 冒頭に中国・北魏の『石造釈迦如来坐像』(延興2年銘)があって、今回の展示では、これだけが大陸伝来の品だった。光背の裏面には釈迦の誕生場面などを表す細かい浮彫。本尊は、逆三角形の体形がはっきり分かる薄い衣が西域風。しかしおだやかな微笑みを浮かべた丸顔は、大和路の石仏みたいでもある。解説によると、北魏が西方を平定し、涼州の人々を首都(大同?)に移住させたことが仏教東漸につながった。右肩に衣をわずかに掛けるところ(偏袒右肩)や螺髪は、涼州系造像の特色であるとのこと。

 また『銅板地螺鈿花鳥文説相箱』(平安時代)は、法要のとき導師机の上に置き、次第書や説教の台本を入れる平たい箱で、外枠に螺鈿で花鳥文が施されている。正倉院御物の花鳥文に比べると、鳥がやや太めなのが可愛い。螺鈿は見る角度によって、青やピンクに輝く。

 展示はおおむね時代順で、はじめは平安時代の文書と仏画から。「留学僧空海」の度縁(度牒)の発給を求める『太政官符案』は、延暦24年(805)9月1日付けの草案を平安後期に写したもの。このとき空海はすでに唐にあり、度縁を持たずに留学したため、友人か支援者が、代わって発給を申請したと考えられているらしい。

 『金胎仏画帖』は、12面全て開いていて嬉しかった。丁寧な彩色が愛らしい作品で、あらためて由来を読んだら、室町時代には高野山の光台院にあったと分かっているが、昭和2年(1947)熊本で発見されたそうだ。『一字蓮台法華経』は、王朝の美意識に裏打ちされた信仰を感じさせるもので、見返しには、吹抜屋台に複数の僧侶と烏帽子姿の貴人が描かれている。

 鎌倉時代に進んで、気になったのは『笠置曼荼羅図』。巨大な摩崖仏の弥勒菩薩を描いたものだが、最近、ドローンで現地の岩肌を調査したところ、線刻でなく立派な浮彫だった可能性が出てきたという。この絵は、線刻の摩崖仏に極彩色の弥勒を幻視したものと考えられていたが、実景そのままだったかもしれないというのだ。おもしろい。南北朝時代の『子守明神像』も好きな作品。神仏を(物理的に)人間より巨大な存在としてイメージする気持ちはよく分かる。

 『護諸童子経』『十五鬼神図巻』は、童子に害をなす十五の鬼神の姿と、それぞれの鬼神に取りつかれた童子の症状を表現する。「楽着女人」(お母さんに甘えたがる?)も鬼神の害なのだな。童子を護る神格「栴檀乾闥婆」には、奈良博が所蔵する国宝『辟邪絵』を思い出す。

 眉間寺旧蔵『羅漢図』3幅のうち、少なくとも中央の水面を渡る羅漢には見覚えがあった。赤いサンダルで巻貝を踏みしめ、波に乗っている。振り向いた両目から光線が発せられており(よく見えないが)剣も飛んでいるようだ。調べたら、大和文華館ではなく、2015年にサントリー美術館の『水-神秘のかたち』で見ているようだ。他の2図は、従者を連れて山中を歩く羅漢と、テラスで椅子に座ってくつろぐ羅漢が描かれている。眉間寺の羅漢図は当初16幅と推定され、根津美術館も2幅を分有する。「宋元の間に制作された中国羅漢画の一本を写す南都系羅漢画の数少ない遺品」である(文化遺産オンライン)とのこと。

 本展は、仏教版画(印仏)や江戸時代の絵画資料も多数出ていて面白かった。仙厓筆『聖徳太子像』はベレー帽をかぶって、大黒様みたいな太子像。大津絵の『雷と奴図』は赤いマシュマロマンみたいな雷様。『道成寺縁起絵巻』は、後日譚として、僧侶の夢に二匹の小蛇(安珍・清姫の転生)が現れ、供養を受けて成仏するまでを描いている。赤と青の小蛇が身を寄せ合っているところが可愛い。

 いろいろ見どころの多い展覧会で、見に来てよかった!

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