見もの・読みもの日記

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お伽草子絵巻も/狩野派と土佐派(根津美術館)

2021-03-22 23:16:28 | 行ったもの(美術館・見仏)

根津美術館 企画展『狩野派と土佐派-幕府・宮廷の絵師たちー』(2021年2月25日~3月31日)

 漢画を基礎に、約400年の長期にわたって日本の画壇に君臨した狩野派と、伝統的なやまと絵の流派で、江戸時代前期に宮廷絵師として復活を遂げた土佐派。 両派を中心に、室町~江戸時代に幕府や宮廷の御用を務めた絵師たちの作品を展観する。すべて同館コレクションなので、見覚えのある作品が多かった。

 はじめに狩野派。『四季花鳥図屏風』は、狩野派に同名の作品がいくつかあるが、根津美術館の作品(伝・元信筆)は墨画淡彩(あれ?色ついていたっけ?)で、描かれている小鳥たちが、とびきり可愛い。特に、右隻の中央、輪になって浮かんでいる三羽の鴨と、左隻、岸の仲間に呼ばれて、遠くから泳いで来る三羽の鴨が、異時同図みたいでとても好き。ほどよい遠近法で、空間の自然な広がりが感じられて気持ちいい。伝・正信筆『観瀑図』のような伝承作者の作品とか、貞和筆『芙蓉小禽図』のような、名前以外はよく分からない絵師の作品が出ているのも面白かった。

 探幽の墨画『芙蓉図』は、墨のにじみの活かしかたが、若冲か琳派みたいだと思った。探幽の『両帝図屏風』(黄帝と舜)や益信の『玄宗皇帝並笛図』を見ていると、江戸の人々(狩野派のお客)は、ほんとに中国文化好きだったんだなあと思う。狩野栄信『倣馬鱗夕陽山水図』は原本を彷彿とさせて、模写としてなかなか巧い(原本は展示されていなくて残念)。

 土佐派は、時代の古いもので、土佐行秀筆『羅陵王図』(舞楽・蘭陵王の図)(室町時代・15世紀)という作品が出ていて、最初から「やまと風」でなかったことを感じた。江戸時代になると、土佐派といえば源氏物語絵が定番。土佐光起筆『藤原家隆像』は「二三四帖」というセットものの一作品で、「二つ三つ四つ」を末尾に置いた和歌が添えられている。家隆詠は「しのびつつ人目をおもふたまづさの よまれぬ文字のふたつみつよつ」。真作かどうか疑わしいけど、面白かったのでメモしておく。

 展示室5は「変化のものがたり-お伽草子二題-」と題して同館所蔵の『賢学草紙絵巻』と『玉藻前物語絵巻』をほぼ全面にわたって広げて公開。うれしい。こういう作品について、一部の名場面だけでなく、全体像が見られる機会は貴重。どちらも室町時代・16世紀だから、狩野正信や土佐光信と同時代である。それなのに、この素朴さ。素朴だけど、じわじわと心臓に食い込むような魅力。

 この週末、SNSでは著名な歴史研究者のミソジニー発言が炎上して騒然となっていた。それに影響されたのか、私は『賢学草紙』に強いミソジニー(女性嫌悪、女性蔑視)を感じて、凹んでしまった。物語のあらすじは以下のとおり。三井寺の僧・賢学は、長者の娘と結ばれるというお告げを聞き、修行の妨げにならないよう、長者の幼い娘を殺して逃げる。しかし娘は命を取りとめ、美しく成長した。あるとき賢学は美しい姫君に一目惚れし、言い寄って契りを結ぶ。ところが、その胸の傷を見て姫君の素性を知り、怖くなって逃げ出す。姫君は大蛇(龍)となって賢学を追い、ついに取り殺してしまう。姫君は、下顎のしゃくれた、四つ足の醜怪な大蛇に変化する(この絵、滑稽だと思ったこともあるのだが、今回は笑えなかった)。賢学は朋輩に憐れまれ、後世に語り伝えられるのだが、姫君には何の救いもない。ちょっとおかしいんじゃない? もちろん、世界には女性を悪魔と同一視した古い物語がたくさんある。しかし、その一部は、ちゃんと近代に価値の転換が起きているのに(白蛇伝とか)、日本のミソジニーはなぜこうも強固なのか、と考えてしまった。

 その次が『玉藻前物語絵巻』で、これも女性が悪者の物語であることに苦笑した。しかし玉藻前は、文楽『玉藻前曦袂』ではスカッとした大魔縁ぶりを見せるので、許せる。絵柄は、どちらも鮮やかな色彩をきっちり塗って、ものの輪郭をはっきり描く。『玉藻前』は動きのある場面に躍動感がなく、二尾のキツネは腹回りが太すぎ。その点、『賢学草紙』は手練れで巧い。

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