〇倉本一宏『公家源氏:王権を支えた名族』(中公新書) 中央公論新社 2019.12
「源氏」と聞くと、どうしても清和天皇もしくは陽成天皇から出た武家の源氏に目が行きがちだが、実はほとんどの源氏は京都で貴族として活躍していた。本書は、日本の権力中枢に深くかかわりながら、あまり表面に現れて来なかった公家源氏(武家源氏と区別するための本書の用語)の、主に鎌倉時代初期までの様相を紹介するもの。
その発端は平安時代初期(9世紀)、嵯峨天皇が皇子女8人に源朝臣の姓を賜り、臣籍に降下させたことだった。理由としては、財政問題の解決、自分の子を藩屏化する政治的意義、皇位継承者の削減など、さまざまな説がある。なお「源」氏の由来は北魏の太武帝が南涼王の禿髪破羌に源姓を与え、源賀と名乗らせた故事だという。一字名も源賀に倣ったというのは知らなかったのでここにメモ。
以後、淳和(源氏賜姓の記録なし)、仁明、文徳、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐、村上、冷泉(なし※)、円融(なし)、花山(※冷泉源氏とも称する)、一条(なし)、三条天皇まで、それぞれ即位の事情や政治状況を紹介し、婚姻関係、皇子女とその子孫が網羅的な系図で示されている。すごい。これ、平安文学や史料を読むときのハンドブックとして使える。
なじみのある名前もたくさん発見した。応天門の変で放火犯の濡れ衣を着せられかけた源信(嵯峨源氏)は『伴大納言絵詞』に描かれた貴公子。光源氏のモデルと言われる源融も嵯峨源氏。「近き皇胤をたづねば、融らもはべるは」のエピソードは昔から好きだ。光孝源氏の源是忠は、賜姓後に再び親王に戻された。その曾孫が仏師の康尚である。これは知らなかったので、本書の目配りの広さに感心した。
公家源氏は、臣籍降下直後はそれなりの優遇を受けたが、二世、三世になると、天皇のミウチ意識が薄れ、急速に官位が低下していくのが常だったようだ。その中で、村上源氏だけは、藤原道長の妻・源明子と源倫子に始まり、摂関家と一体化して繁栄を続けた。
本書には「公家源氏のすごい人たち」という章が設けられていて、政治中心の記述では漏れてしまった「すごい人」が多数紹介されているのも嬉しい。大学者・源順(嵯峨源氏)もここに登場する。歌人の源重之(清和源氏)、源宗于、源公忠、源道済(光孝源氏)。「〇〇源氏」で整理すると、同世代(同時代)感がよく分かる。安倍晴明の相棒にして琵琶の名手・源博雅も、『宇治大納言物語』を編集したと伝えられる源隆国も醍醐源氏だ。王朝文学と公家源氏のかかわりは深い。しかし河原院に集った安法法師(源融の末裔)の名前が出てきたときは驚いた。大学でこのあたりを亡き恩師に習ったので、とても懐かしかった。あと、『鳥獣戯画』の鳥羽僧正・覚猷は源高明(醍醐源氏)の子孫なんだな。おお、天台座主・明雲も醍醐源氏だ。
中世以降は、後三条、後白河(以仁王である)、順徳、後嵯峨、後深草、後醍醐、正親町天皇に源氏賜姓の例がある。院政期以降は、村上源氏が摂関家をしのいで大いに権力を振るった。北白川の鉢伏山の北斜面に、村上源氏一族の墓地があるというのも覚えておこう。村上源氏は、天皇家とのミウチ関係を続け、大臣を輩出しながら明治維新に至る。一方、公家源氏が地方に下って武士となった家も、数は少ないが存在するという。肥前の松浦党、近江源氏などがそうだ。
「貴種」に淵源を持ちながら、世代が下るに従い、大量の没落貴族を生み出した、悲しい運命の一族。そのわずかな例外だけが、学問や芸術の領域、あるいは地方に生きた証をとどめたのだと思うと感慨深い。