見もの・読みもの日記

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貴族たちの中国/侯景の乱始末記(吉川忠夫)

2020-01-09 22:41:25 | 読んだもの(書籍)

〇吉川忠夫『侯景の乱始末記:南朝貴族社会の命運』 志学社 2019.12

 『侯景の乱始末記』(中公新書、1974年)は面白いのに絶版で入手できないのが惜しい、という噂をSNSで見かけて気になっていた。そうしたら、2018年に創設された小さな学術出版社が、これを復刊してくれることになり、さっそく購入した。

 自分は中国史には興味のあるほうだと思うが、侯景の乱と聞いても、いつの時代の話か、全く分からなかった。舞台は6世紀の中国、六朝とか魏晋南北朝と呼びならわされる時代の末つかたである。本書によれば、もと六鎮の一つである懐朔鎮(内蒙古)の守備に従事し、胡引氏を本姓とする羯族の出身とされる侯景(503-552)は、南朝梁を攻め落とし、武帝を幽閉し、横死せしめたことで知られる。

 侯景の名前は知らなくても、梁武帝の名前は知っていた。しかし梁武帝(蕭衍、464-549)って、篤く仏教を信仰し、文化や学問の保護にもつとめた皇帝のイメージがあったのだが、それは治世の前半のことで、本書に描かれる晩年は惨憺たるものだ。脇目もふらぬ仏教への没入ぶりには、虚無と退廃の香りがつきまとう。小説の題材としては魅力的だが、為政者がこれでは民草はたまったものではない。

 侯景は東魏の武将であったが、離反して梁に帰順した。しかし梁への反乱を起こし、健康(南京)を陥落させ、自ら皇帝に即位し、国号を漢と定めた。と思ったら、即位の半年後、梁にゆかりの義兵に敗れ、海上を逃亡する途中、近侍の者に殺害されてしまった。ここには書き切れないが、人間の感情の複雑さ、生々しさを語る数々のエピソードが、ちゃんと残っているのが中国史のすごいところである。

 それにしても全編の主人公だと思っていた侯景が、3分の1くらいでが死んでしまったときは、ちょっと戸惑った。実は、第2章には徐陵(507-583)、第3章は蕭詧(しょうさつ、555-562)という別の主人公が用意されており、同時代の江南貴族社会を多角的に描き出している。そして、范曄(はんよう、398-445)をめぐる補論も。

 徐陵は梁の文人官僚であったが、侯景の乱によって北土に抑留され、のち江南に帰還し、陳に仕えた。陳朝で貴顕をきわめたとはいえ、いわば折々の権力に利用される生涯を過ごした徐陵には、人間の努力を超えた天命への信仰が見て取れるという。

 蕭詧は梁の昭明太子蕭統(梁武帝の長男)の三男。侯景の乱の後、西魏の後援によって南朝後梁の天子となった。全く北朝の傀儡政権であったが、西魏、北周、隋の三代にわたり、三分の一世紀の歴史を保った。それは(江南の)民間において貴種崇拝、あるいは蕭氏一族に対する声望がのちのちまで高かったため、北朝諸政権は新占領地を間接支配する道具として後梁政権を必要としたのではないかと本書は説く。

 補論に登場する范曄は、南朝宋文帝に仕えた史家・官僚で『後漢書』の作者であるが、政争に巻き込まれ、謀反に加担した罪で処刑された。「解すべからざる」范曄の謀反は、貴族社会の調和と安定が頂点に達し、衰退の影が忍び込んでいることへの不安と焦燥が引き起こしたのではないかという。

 本書によって知ることのできた南朝貴族社会というのは、日本人になじみの「古典中国」とは全然違っていて、繊細で可憐で、ややデカダンで、面倒臭いが魅力的な世界だった。最近、中国の架空歴史ドラマが、この時代を匂わせる設定を使って名作を生み出しているわけが分かる気がした。

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