〇太田記念美術館 『江戸の凹凸-高低差を歩く』(2019年6月1日~6月26日)
浮世絵に描かれた江戸の凸凹(おうとつ)-地形の高低差に焦点を当てる展覧会。浮世絵の楽しみ方にもいろいろあって、有名人や歴史的事件を描いたもの、怪奇や悪人、芝居と芸能、女性のファッションや化粧に注目する楽しみもある。しかし「高低差」に注目するという発想はなかった。もちろんブラタモリ人気の今だからこそできる企画だが、学芸員さんGJ!
私は東京東部の生まれなので、幼い頃は平たい低地だけで暮らしていた。中学、高校と山手線内に通うことになり、大学時代に東京西部に引っ越して、行動範囲が広がるにつれて、だんだん東京の高低差を知るようになった。江戸の浮世絵を眺めていると、描かれた高低差に「納得」するものがけっこうある。代表例は御茶ノ水付近。学生時代はずっと総武線・中央線を使っていたので、JR御茶ノ水駅のホームから、深い谷底の神田川を見下ろす風景は目に焼き付いている。歌川広重の『名所江戸百景 昌平橋聖堂神田川』などは、緑に覆われた崖もそのままだ。あと、神田上水を掛樋のかたちで神田川を渡らせた「水道橋」を描いた浮世絵はたくさんあるんだな。これまで見落としていた。神田明神、湯島天神の参道の坂を描いたものも多い。江戸の聖地は高いところにあるもので、参詣の楽しみは眺望とセットだったようだ。芝の愛宕山(愛宕神社)、増上寺、王子稲荷なども。
本展は、東京スリバチ学会会長の皆川典久氏とのコラボで、皆川氏作成の地形図「御茶ノ水・神田」「王子・飛鳥山」「愛宕山・芝」「目黒」「品川・御殿山」「上野」等々が掲示されている。このへんは、地形図的にも、描かれた浮世絵からも、凹凸がせめぎあっているエリアだというのがよく分かる。いま、私が住んでいる東京東部はやっぱりないか、と思っていたら、最後に「浅草(向島を含む)」「日比谷・日本橋」「佃島・築地」「深川・木場」もあって嬉しかった。
ああ、墨堤の桜って徳川吉宗が植えたのか、とか、江戸時代の築地本願寺は普通の木造建築であることを知る(現在のインド風建築のイメージが強すぎるので)。広重が描いた、情緒豊かな雪景色が『名所江戸百景 深川木場』であることに驚く。今回、展示九割以上は広重の作品だった。東京の名所だけでこんなに描いているとは知らなかった。
永代橋東南の深川新地(私の現在の住所にかなり近い)について、一時は繁華な遊興の地だったが、全て取り壊され(移転させられ?)たあとの光景を描いたのが『東都名所 永代橋深川新地』(天保末期頃)という解説があったように思う(※訂正補記)。同じ江戸時代のうちでも、風景って大きく変化してるんだなあと感慨深く思った。いま、調べても確かめられないのだが書き止めておく。『名所江戸百景 深川三十三間堂』は浅草から移ってきたもの。すぐ向かいが海でびっくりしたが、実際は水路(大横川)だったらしい。『名所江戸百景 五百羅漢さゞゐ堂』は、現在の江東区大島にあった。まわりが低地だから、三階建ての三匝堂(さんそうどう)の眺めはよかっただろうなあ。五百羅漢寺は明治になって目黒へ移転している。
残念ながら図録はなかったが、雑誌『東京人』2019年7月号「特集・浮世絵で歩く東京の凸凹(でこぼこ)」を受付で売っていたので買って帰った。これから読んで楽しむつもり。
6/23訂正補記:雑誌『東京人』を読んでいたら、見覚えのある図版が掲載されていた。『浮絵和国景夕中洲新地納涼之図』という。そして、わずか20年で取り潰された幻の歓楽地は「中洲新地」のことだった。いまの箱崎のあたり(隅田川西岸)で「日本橋中洲」の地名が残っている。