見もの・読みもの日記

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人生ひまつぶし/見仏記・道草篇(みうらじゅん、いとうせいこう)

2019-06-01 23:40:58 | 読んだもの(書籍)
〇みうらじゅん、いとうせいこう『見仏記:道草篇』 角川書店 2019.4

 雑誌『文芸カドカワ』2018年3月号から2019年5月号まで連載していたものというから、出来立てホヤホヤの原稿である。自分と同世代であるみうらさん、いとうさんの近況を知ることができて嬉しい。そうか、みうらさんは還暦か。朝早いことが苦にならなくなったとか、長い山道では体力の温存を考えるとか、我が事のように分かる分かる。しかし男二人の見仏旅が、20年以上を経てまだ続いているのはうらやましい限り。

 今回の行先は、長野(西光寺、善光寺、清水寺、高山寺、智識寺、長雲寺)、群馬(慈眼院、達磨寺)、大分(文殊仙寺、両子寺、長安寺、天念寺、熊野摩崖仏、真木大堂、富貴寺、宇佐神宮)、青森(長勝寺、西福寺、最勝院、久渡寺、恐山菩提寺)、そして中国四川省に飛び、峨眉山、接引寺、華厳寺、報国寺、楽山大仏。

 私は、長野の善光寺には何度か行っている。その他、隠れた名刹を訪ねてまわったこともあって、清水寺(せいすいじ)へは行った記憶があるのだが、あとは思い出せなかった。でも本書のイラストを見ると、魅力的な仏像ばかりだなあ。行ってみたい。大分の国東半島もずいぶん前に定期観光バスで簡単にまわったことがある。実は、今年の夏は九州に行こうと思っていて、最近、国東半島(六郷満山開山1300年)のホームページを見たばかりだった。見仏コンビも20数年前に『見仏記』第1弾あたりで来たことがあるそうだが、旧作は振り返らずに前へ進む。それでいいと思う。しかし真木大堂は、そんなにゲストフレンドリーで洗練された施設ができていたのか。行ってみたい。

 国東半島で、奇岩の目立つ山並みを「中国の聖地=峨眉山っぽい」と感じたコンビは、これを「ガビる」と表現し始める。「あそこ、ガビってるんじゃないの?」と。同じことを青森の岩木山や恐山にも感じる。あれ?山西省・五台山篇はあったけれど、峨眉山へも行ったことがあったっけ?と首をひねったら、なかった。しかし勝手に「ガビってる」などと言い出した結果、聖地への憧れがつのり、ついに「自前でいいから峨眉山ツアーに参加してくる」と編集者に連絡して、二人で訪中することに。笑った。おじさんたち、自由でいいな~。

 そして11月下旬の峨眉山に出かけるのだが、頂上付近は吹雪で極寒。二人の記念写真のイラストには、申し訳ないが大笑いした。なお、晴れた日なら山頂には黄金に輝く巨大な普賢菩薩像(もちろん象に乗っている)が見られるらしい。私が峨眉山に行ったとき(2000年頃)はなかったと思う。見たいなあ。しかし、吹雪と霧の白いベールの中で、幻のように見える金色の象(普賢菩薩までは見えず)というのも、仏の示現らしくて乙な感じがした。あと、パンダ基地でパンダを愛でるみうらさんを想像すると微笑ましい。

 本作は「道草篇」ということで、いつも以上に見仏以外の話題が多いことを筆者のいとうさんは律儀に断っている。長野のリンゴ食べ比べとか、戸倉上山田温泉の貯金箱博物館、大分臼杵のフジジンの白味噌「夜明け」とか。しかし、さまざまな道草も含めて「見仏記」だというのは、長年の読者なら分かっていると思う。どこへ行っても(特に若い世代のご住職さんが)「あ、いとうさん!みうらさんも!」みたいな反応をしているのは嬉しい。むかしは、けっこう怪しがられていたから。

 みうらさんが時々、ドキリとする名言をつぶやくのを、いとうさんが逃さず聴き取って、我々に伝えてくれるのもありがたい。列車の中で夕日を見ながら「こうやって来迎しているんだ、仏は毎日」という発言が好き。あと、イラストページに小さな文字で書き込まれた「要するに人生、暇つぶしなのである」も、深い意味はないかもしれないけど好き。
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