○孫崎享『戦後史の正体:1945-2012』(戦後再発見双書) 創元社 2012.8
とりあえず虚心坦懐に読んでみよう。話はそれからだ。著者は1966年に外務省に入り、外交官としてキャリアを積み、情報部門のトップである国際情報局長もつとめた、2002年から2009年までは防衛大学校で安全保障について講義した人物。そんな著者が、嬉しいことに「高校生にでも読める」ように、戦後の日米関係史を総ざらいに語ったのが本書である。
記述は1945年9月2日、戦艦ミズーリ号上における降伏文書調印式から始まる。「みなさんはこの降伏文書を読んだことがありますか?」と著者は問いかける。確かに、日本人が国際社会に生きようとするなら、知っておかなければならないのは、8月15日の玉音放送ではなくて、降伏文書であるはずだ。そんなふうに、本書はわれわれのガラパゴス化した戦後史の固定観念を、公文書等の客観的な物証に基づき、ゆさぶる一面を持っている。
本書は日本の戦後史を、米国から加えられる圧力に対する「自主」路線と「追随」路線の相克として描き出している。それは、日米の外交史にとどまらない。対ソ連、対中国など日本の外交政策全般ともかかわるし、日本の内政問題にも深く影を落としている。
敗戦直後の10年は「追随」路線の吉田茂と「自主」路線の重光葵が激しく対立した時代だった。それから岸信介と保守合同の時代に続き、経済成長の1960年代。このへんから私の記憶に残る首相たちが次々に登場し、厳しい評価の俎上にのる。同時代の印象とは180度異なる評価を与えられている首相もいて、興味深かった。参考までに、著者の分類まとめ(367頁)を引用しておくと、以下のとおり。
(1)自主派…重光葵、石橋湛山、芦田均、岸信介、鳩山一郎、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫、宮沢喜一、細川護熙、鳩山由紀夫
(2)追随派…吉田茂、池田勇人、三木武夫、中曽根康弘、小泉純一郎
(3)一部抵抗派…鈴木善幸、竹下登、橋本龍太郎、福田康夫
岸信介が、1960年の新安保条約締結など「対米追随一辺倒」に見えて、実はそうでない人物だったのではないか、という指摘には大いに共感。このひとは、私もよく分かっていないけど、まだまだ研究すべき余地があると思う。佐藤栄作も、米国との蜜月を保って、長期政権と経済成長を達成したイメージが強かったけど、本書を読むと、首相としての晩年は、ずいぶんニクソンに嫌われたんだなあ。尖閣諸島問題について米国が日本の主張に対する支持を修正し、曖昧な態度を取り始めたのも、この頃からだという。
なぜか上述の分類から名前が落ちているが、今日、非常に評価の高い大平正芳は「追随派」と見られている。大平が、福田政権の「全方位外交」の旗を降ろし、「対米協調」路線に舵を切ったことが、のちの中曽根、小泉ラインにつながった。「日米同盟」という言葉を公式の場で初めて使ったのも大平だという。逆に「田舎の村長」呼ばわりされて、私もほとんど忘れていた鈴木善幸の外交哲学を、著者は高く評価する。最近の話では、福田康夫首相が、まるで政権を投げ出すように突然の辞任をした水面下では、米国からの圧力(巨額融資の依頼)と戦っていたというのも、納得がいくように思った。
また、本書執筆の時点まで、25年以上にわたって続いてきた「円高」が、竹下、中曽根政権時代、「米国産業が国際競争に負けるのは米国が悪いのではなく、相手国が悪いからだ」と言い始めた米国をなだめることから始まった(1985年、プラザ合意)というのも、なるほどねえ、と思いながら読んだ。そうすると安倍政権のもとで「円安」が許されるようになった現在は、何が変わったのだろう。経済オンチの疑問として、つぶやいておく。
ただし、本書には、米国に抵抗し「自主」路線を取ろうとした政治家や官僚の多くが、短期間で権力の座から引きずり降ろされているだけでなく、よく分からない病気や不慮の事故で亡くなったことを、やや思わせぶりに記述しているところがあって、私は少し居心地悪く読んだ。こういうところが、「謀略史観」「陰謀論」と言われて、本書が排撃される理由になっているように思う。まあ、どこまで共感し、信用するかは読者の自由裁量である。読んでみるに如かず。
とりあえず虚心坦懐に読んでみよう。話はそれからだ。著者は1966年に外務省に入り、外交官としてキャリアを積み、情報部門のトップである国際情報局長もつとめた、2002年から2009年までは防衛大学校で安全保障について講義した人物。そんな著者が、嬉しいことに「高校生にでも読める」ように、戦後の日米関係史を総ざらいに語ったのが本書である。
記述は1945年9月2日、戦艦ミズーリ号上における降伏文書調印式から始まる。「みなさんはこの降伏文書を読んだことがありますか?」と著者は問いかける。確かに、日本人が国際社会に生きようとするなら、知っておかなければならないのは、8月15日の玉音放送ではなくて、降伏文書であるはずだ。そんなふうに、本書はわれわれのガラパゴス化した戦後史の固定観念を、公文書等の客観的な物証に基づき、ゆさぶる一面を持っている。
本書は日本の戦後史を、米国から加えられる圧力に対する「自主」路線と「追随」路線の相克として描き出している。それは、日米の外交史にとどまらない。対ソ連、対中国など日本の外交政策全般ともかかわるし、日本の内政問題にも深く影を落としている。
敗戦直後の10年は「追随」路線の吉田茂と「自主」路線の重光葵が激しく対立した時代だった。それから岸信介と保守合同の時代に続き、経済成長の1960年代。このへんから私の記憶に残る首相たちが次々に登場し、厳しい評価の俎上にのる。同時代の印象とは180度異なる評価を与えられている首相もいて、興味深かった。参考までに、著者の分類まとめ(367頁)を引用しておくと、以下のとおり。
(1)自主派…重光葵、石橋湛山、芦田均、岸信介、鳩山一郎、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫、宮沢喜一、細川護熙、鳩山由紀夫
(2)追随派…吉田茂、池田勇人、三木武夫、中曽根康弘、小泉純一郎
(3)一部抵抗派…鈴木善幸、竹下登、橋本龍太郎、福田康夫
岸信介が、1960年の新安保条約締結など「対米追随一辺倒」に見えて、実はそうでない人物だったのではないか、という指摘には大いに共感。このひとは、私もよく分かっていないけど、まだまだ研究すべき余地があると思う。佐藤栄作も、米国との蜜月を保って、長期政権と経済成長を達成したイメージが強かったけど、本書を読むと、首相としての晩年は、ずいぶんニクソンに嫌われたんだなあ。尖閣諸島問題について米国が日本の主張に対する支持を修正し、曖昧な態度を取り始めたのも、この頃からだという。
なぜか上述の分類から名前が落ちているが、今日、非常に評価の高い大平正芳は「追随派」と見られている。大平が、福田政権の「全方位外交」の旗を降ろし、「対米協調」路線に舵を切ったことが、のちの中曽根、小泉ラインにつながった。「日米同盟」という言葉を公式の場で初めて使ったのも大平だという。逆に「田舎の村長」呼ばわりされて、私もほとんど忘れていた鈴木善幸の外交哲学を、著者は高く評価する。最近の話では、福田康夫首相が、まるで政権を投げ出すように突然の辞任をした水面下では、米国からの圧力(巨額融資の依頼)と戦っていたというのも、納得がいくように思った。
また、本書執筆の時点まで、25年以上にわたって続いてきた「円高」が、竹下、中曽根政権時代、「米国産業が国際競争に負けるのは米国が悪いのではなく、相手国が悪いからだ」と言い始めた米国をなだめることから始まった(1985年、プラザ合意)というのも、なるほどねえ、と思いながら読んだ。そうすると安倍政権のもとで「円安」が許されるようになった現在は、何が変わったのだろう。経済オンチの疑問として、つぶやいておく。
ただし、本書には、米国に抵抗し「自主」路線を取ろうとした政治家や官僚の多くが、短期間で権力の座から引きずり降ろされているだけでなく、よく分からない病気や不慮の事故で亡くなったことを、やや思わせぶりに記述しているところがあって、私は少し居心地悪く読んだ。こういうところが、「謀略史観」「陰謀論」と言われて、本書が排撃される理由になっているように思う。まあ、どこまで共感し、信用するかは読者の自由裁量である。読んでみるに如かず。