見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

週末・東京の美術館めぐり(4)/和様の書(東京国立博物館)

2013-08-03 14:48:01 | 行ったもの(美術館・見仏)
週末東京旅行2日目(7/28)。朝のうちにひとつ用事を済ませて、さらに午後から別の用事があるので、フリータイムは3時間くらい。それでも東博に1時間半くらいはいられるかなと思い、出かける。

東京国立博物館 特別展『和様の書』(2013年7月13日~9月8日)

 中国の書法の影響を受けながら独自の発展を遂げ、仮名と漢字が融合した「和様の書」を展観。やっぱり書の展覧会って、なじみがないと思われたのだろうか。第1章(第1室)が、光悦の『鹿下絵和歌巻断簡』とか、屏風、蒔絵、小袖など、書にかかわる工芸中心につくられていることに違和感。それは枝葉末節ではないのか。あと信長・秀吉・家康の自筆を並べて、戦国三傑の筆跡を見比べてみよう、みたいな。いやいや、そんなことはどうでもいいから、と舌打ちして、奥へ急ぐ。

 寸松庵色紙「あきはきの」(五島美)・継色紙「よしのかは」(文化庁)・升色紙「むはたまの」(五島美)が並んでるあたりまで来て、ほっとする。こういうのを見に来たんだから。三色紙は、8/6から展示替え。図録写真で見ると、寸松庵色紙(三種あり)の料紙がどれもきれいだ。でも図録だと表具を一緒に楽しめないのが惜しい。「よしのかは」の解説に「古様の仮名を使った」というのは、書風のことなのかな。それとも「か」を「可」でなく「閑」、「は」を「波」でなく「者」の変体仮名で書いているとか、そういうこと?と考える。

 京博の『藻塩草』は、展示室の長い壁に沿って、ほとんど解説を挟まず、ひたすら広げてあって、無心に眺めた。なぜ冒頭が定信筆「戸隠切」?といぶかしんだが、聖徳太子筆という伝承があるからか。所収の「高野切」は、連綿が強いので「う~ん第二種かな」と素人判断。ネットで答え合わせした限りでは、合っているみたいで嬉しい。第2室も、MOAの『翰墨城』がひたすら開いている。やっぱり冒頭は「戸隠切」。こっちの「高野切」は一種か三種か判断がつかなかった。まだまだです。正解は一種。個人的にイチ押しは『藻塩草』所収の「岡寺切」。きれいだなあ、書も料紙も。

 第1室から第2室に移動する壁に、いくつかの書作品が拡大してあしらわれている(確か黒っぽい壁に白文字のデザイン)。あくまで展示室の装飾なので、何の説明もないのが却って素敵で、しばらく足を留めて、うっとり眺めた。そのうち、中央の書の特徴ある文字が、藤原佐理の『国申文帖』であることを思い出した。ということは、両隣は小野道風と藤原行成か。ええと、どっちがどっちだっけ?

 第2章(第2室)「仮名の成立と三蹟」を見ながら、壁の装飾に使われていた作品を探す。ああ、円珍に「智証大師」の諡号を贈る勅書(醍醐天皇より)を揮毫しているのは小野道風なのか。男性的で、墨つきの濃いド迫力の書。このひとは柳とカエルの逸話とか、あまりにも多くの作品の「伝承筆者」に祀り上げられてしまったため、実像が見えなくなってしまって、可哀相だ。実質は、中国の普遍的書法を徹底的に学んだ唐様の人だと思う。「屏風土代」の漢詩に見覚えがあって、どこで見たんだろう?と考えていたが、京博の『宸翰(しんかん)』展だった。本展での展示は8/13から。『玉泉帖』はいいものを見せてもらった。好きだわーこの自由闊達さ。中国の連綿草の名手を挙げて比べてみようと思ったけど、そんな比較が無意味なくらい、確固とした独創性と魅力に満ちている。行成は、いちばん謹直で常識人の書だな、と思う。

 このへんで正午。すでに1時間経過していることに気づき、焦る。第3章は「信仰と書」。見どころは『平家納経』の「法師品」だろう。あ、でも図録は「書」に集中しているから、笛・鞨鼓・磬・蓋・幡など、飛天の持ちものだけ(飛天の姿なし)を描いた可憐な見返し絵は収録されていないのか。残念。経文は「当代随一の能筆の手になる」という。以上、戎光祥出版のムック本『国宝 平家納経』による。展示替えあり。

 その直前の『久能寺経』も同時代の名品。待賢門院璋子の逆修供養(生前供養)のため、鳥羽院および美福門院得子が中心となって院近臣・女房らが結縁したものという説明を読むと、感慨深い。『目無経』は、後白河法皇を中心に制作されていた絵巻が、法皇の崩御によって中止されたため、写経の料紙に転用されたものと伝える。経文の書写者の静遍(じょうへん)は平頼盛の子。晩年の西行の書跡もあったり、いろいろとすごい。大阪の藤田美術館で見たことのある『阿字義』も来ていた。

 第4章以下、いよいよ本格的に古筆(かな)の美が展開するところは、あきらめて30分で流し見る。8月にもう1回、東京に来よう。でも『古今和歌集 巻十七(曼殊院本)』が崇徳院の秘蔵本であったことは見逃さなかった。巻末に「新院御本」ナントカという跋文がある。いつまで持っていらしたのだろう。やはり都落ち前までか。

 後半には、藤田美術館の『善無畏金粟王塔下感得図』(~7/28)や『平治物語絵詞・六波羅行幸巻』(~8/4)も出ていた。どういうサービスなのかと思ったら、前者は藤原定信筆、後者は藤原教家筆の書跡を示すためであるらしい。

 ということでこの日はタイムアップ。八月中に必ず再訪問の予定(ねらいは8/6~登場の藤原忠通書状)。午後は池袋で同窓の友人と会い、夕方、札幌に戻った。この日も東京から友人が訪ねてきていて、遅い時間から駅前で飲む。どこが本拠なんだか、ヘンな生活w
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週末・東京の美術館めぐり(3)/つきしま かるかや(日本民藝館)

2013-08-03 01:41:45 | 行ったもの(美術館・見仏)
日本民芸館 特別展『つきしま かるかや-素朴表現の絵巻と説話画』(2013年6月11日~8月18日)

 同館所蔵の室町時代の絵巻『つきしま(築島物語絵巻)』とサントリー美術館所蔵の絵入本『かるかや』。この二作品をを軸に、絵巻物、物語絵、十王図など素朴表現の絵画を展観。ちょうど私が東京に行こうと決めていた週末に、矢島新先生の記念講演会『素朴絵と柳宗悦』(7月27日、18:00~)があることが分かったときは嬉しかった。こういう遅い時間からの講演会は珍しいと思うのだが、時間を有効に使えるという点で、私はありがたく感じた。16:00過ぎに入館して、まず大展示室の作品をじっくり見る。大展示室は17時に閉室になって、そのあと、講演会場に模様替えする。その間、館内のほかの展示室を見て、時間をつぶす。けっこう余裕があったので、外に出て、お茶でも飲んできたかったのだが「一時退出はできません」と言われてしまったので、ガマン。

 定刻になると、学芸員さんが銅鑼を叩いて館内をまわりながら「開場しま~す」と知らせてくれた。さっきまで、大展示室の中央にあった『築島物語絵巻』の展示ケースが外に出され(『かるかや』は別室)、50~60席ほどの椅子が並べられている。ただし、それ以外の展示物はそのままで、講師の演台と映写用スクリーンが『御馬印屏風』の前に置かれているのが可笑しかった。

 講師は、1989年に渋谷区立松涛美術館に就職し、1993年に『中世庶民信仰の絵画』という展覧会を実施した。このとき、『築島物語絵巻』を借り受けたとおっしゃっていたと思う。もともと日本人の美意識には、中国文明の完璧主義・普遍主義とは相容れない「素朴好き」の遺伝子がある。さらに、古代社会の崩壊とともに、寺院や神社は貴族の保護だけに頼っては存立できなくなり、庶民への布教の重要性が増す。そこで庶民にも分かる「素朴な信仰絵画」が生まれたのではないか、と推察。『厳島明神縁起』『長谷寺縁起』『富士参詣曼荼羅』(※狩野派でないもの)などのスライドを紹介する。

 また、室町中期の「わび茶」の発生と比較し、井戸茶碗(無作為の素朴美が発見されたもの)-楽茶碗(創作された素朴美)-織部(意図的に強調された素朴美=ゆがみ)という構造が(※私の理解です)絵画作品にも当てはまるのではないか、という仮説も面白かった。この展覧会で扱う「つきしま かるかや」的素朴美と「南画や俳画の素朴美」「禅画の素朴美」って、ちょっと違う気がする…気がする一方で、「つきしま かるかや」的素朴美が、本当に「無作為の素朴美」なのかどうかも分からないよねえ。

 庶民は常に素朴を愛するかといえば、そうではなくて、江戸時代後期の庶民の好みは高度な技術を要求する劇画タッチだった。明治初期は西洋的リアリズムが尊重されたが、大正時代には「素朴」好みが復活する。

 『築島物語絵巻』について、根津美術館にほぼ同じ図様の絵巻(ただし日本民芸館本よりかなり写実的で巧い)があるそうだ。並べて見たいなあ。それから、この『築島物語絵巻』、以前から好きだったのだが、清盛の経ヶ島造営譚→幸若舞曲『築島』をもとにしているという認識は薄かった。先日行った神戸の来迎寺(別名・築島寺)が、まさにこの絵巻の舞台なのか。絵巻をよく見ると、お菓子のひよこみたいなモコモコした造形の一人に「しやうかい」(浄海=清盛)と書かれた場面があり、隣の女性二人は「きをう」(祇王)「きによ」(祇女)である。そうすると烏帽子に白装束の起き上がりこぼしみたいなのが宗盛で、端近くに控えているのが盛国かな、などと想像する楽しみが増えてしまった。

 講師は、いま江戸時代の十王図や地獄絵の調査研究を行っているそうで、滋賀の宝幢院、千葉の長柄町、葛飾区の東覚寺(白衣の二人はキリシタン?)、川崎の明長寺、春日部の円福寺(地獄絵レリーフ)、品川の長徳寺などの作品を見せてもらった。面白いな~。日本民芸館所蔵の『十王図屏風』(淡彩のほう)もかなり好きな作品だ。いつか集めて展覧会をやってほしい。中国や朝鮮の庶民信仰の絵画(六道輪廻図)との比較考証もしてほしいところだが、中国の場合、石窟や寺院の扉などに直接描かれる場合が多いから、なかなか持ってこられないだろうな。

 展示には大津絵もいくつか出ていた。為朝とか弁慶とか頼光とか、役どころから言えば「劇画」調の似合う武者を、素朴タッチで描くギャップが面白いのだろう。室町時代の『調馬図』断簡は、人の腕に噛みつく白馬の猛々しさが描かれている。素朴絵の対極のようなリアリズム作品。

 講演が終わったとき、外がどしゃぶりになっていて、どうしようかと思ったが、30分ほど雨宿りしている間に、なんとか傘なしでも駒場東大前駅まで走っていける程度の降りまでおさまった。館内の照明に灯がともった、夜の民芸館は初めての体験で、雰囲気の違いが面白かった。『つきしま』全編の図版の掲載された図録を購入。欲しかったので、嬉しい。
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