○鴨長明;浅見和彦校訂・訳『方丈記』(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2011.11
数ヶ月前から、鴨長明の「発心集」が読みたいと思っている。学生時代、授業で使ったテキスト(新潮日本古典集成)を今でも持っているはずなのだが、なかなか探し出せない。文庫本でないのかなーと思ったが、ないようだ。こういう作品がすぐに購入できるなら、電子ブック大賛成なんだけど。「方丈記」は何種類か文庫本が出ているので、適当に買って読んでみた。ちょうど、大河ドラマ『平清盛』も福原遷都が近づいているので、その予習のつもりもあった。
しかし、あらためて福原遷都の前後って多事多端だなあ。しかも悲惨なことばかり…。安元の大火(1177/安元3年:鹿ケ谷の変の年)、治承の辻風(1180/治承4年:以仁王の乱の年)、福原遷都(1180/同上:同じ年、頼朝挙兵)、養和の大飢饉(1181/養和元年:清盛没)、元暦の大地震(1185/文治元年:平家壇ノ浦に滅ぶ)。これをドラマは描くんだろうか。
「方丈記」の福原京の描写は、量的にさほど多くないが、長明の目のつけどころが鋭く、描写が的確なので、非常に興味深い。「程せばくて、条理を割るに足らず」「波の音、常にかまびすしく、潮風ことにはげし」とか、先だって仕事で神戸に行ってきた記憶に引き比べても、実感が添う。「車に乗るべきは馬に乗り、衣冠、布衣なるべきは多く直垂を着たり。都の手振り、たちまちにあらたまりて、ただ、ひな(鄙)たるもののふ(武士)にことならず」というのも面白い。社会が、まさに音を立てて、武士の世に変わっていくのが目に見えるようだ。
本書は、冒頭に「方丈記」の校訂済み原文(全文)を掲げ、続いて、一段ずつ「原文+訳+評」を示すという構成を取る。評(釈)部分には、写真や図版もあり、各種文献資料も博引旁証されている。九条兼実の『玉葉』とか、藤原定家の『名月記』とか、この時代は、多くの日記資料が残っているので、あやしげなゴシップ記事もいろいろ読める。
平家が壇ノ浦に滅んだ三ヶ月後に起きた元暦の大地震(マグニチュード7.4とも)について、『愚管抄』は「平相国、龍になりて振りたると、世には申しき」と記す。養和の飢饉においては、乞食法師が上皇の御所に入り込んで餓死したため、「院中三十日の穢れあり」(玉葉)という事態まで出来した。
というような騒がしい前半から一転して、後半は、作者晩年の閑寂な草庵生活について記す。これが…ハッとするほど、よかった。むかし、高校生から大学生の頃「方丈記」を読んでも、この良さは分からなかった。「方丈記」後半の、貧乏くさい閑居のありさまを、したり顔で賞賛する中年教師、あるいは評論家とかエッセイストが大嫌いだった。それはそうだろう。高校生くらいから「方丈記」にビビッドに反応するようでは、人生を捨てていると怪しまれても仕方ない。
しかし、私も五十の坂を過ぎて、「方丈記」に描かれた草庵生活の魅力が、ようやく理解できるようになった。妻子もなく、官職もない気楽な身。財産は、一丈四方(5.5畳)の運搬自在な住宅(!)と、皮籠(かわご)三合の書物(和歌、管弦、往生要集)、阿弥陀・普賢の絵像、大好きな楽器。
気ままに読経し、気ままに休み、興を催せば、音楽にしたしむ。人恋しいときは、山守の小童を友として、山中を逍遥する。莫大な富や特権が必要なわけではない。望めば誰でも手に入れられそうで、大多数の凡人は(分かっちゃいるけど)「世のしがらみ」にひきずられ、手に入れることのできない「自由の境地」が、まばゆいばかりの光輝につつまれ、描き出されている。
いや。私は、絶対、手に入れるぞ。そのときが来たら、わずかな財産、人間関係、知識、名誉欲、前半生の執着の全てを捨てて…。そんな衝動を掻きたてられる古典である。
数ヶ月前から、鴨長明の「発心集」が読みたいと思っている。学生時代、授業で使ったテキスト(新潮日本古典集成)を今でも持っているはずなのだが、なかなか探し出せない。文庫本でないのかなーと思ったが、ないようだ。こういう作品がすぐに購入できるなら、電子ブック大賛成なんだけど。「方丈記」は何種類か文庫本が出ているので、適当に買って読んでみた。ちょうど、大河ドラマ『平清盛』も福原遷都が近づいているので、その予習のつもりもあった。
しかし、あらためて福原遷都の前後って多事多端だなあ。しかも悲惨なことばかり…。安元の大火(1177/安元3年:鹿ケ谷の変の年)、治承の辻風(1180/治承4年:以仁王の乱の年)、福原遷都(1180/同上:同じ年、頼朝挙兵)、養和の大飢饉(1181/養和元年:清盛没)、元暦の大地震(1185/文治元年:平家壇ノ浦に滅ぶ)。これをドラマは描くんだろうか。
「方丈記」の福原京の描写は、量的にさほど多くないが、長明の目のつけどころが鋭く、描写が的確なので、非常に興味深い。「程せばくて、条理を割るに足らず」「波の音、常にかまびすしく、潮風ことにはげし」とか、先だって仕事で神戸に行ってきた記憶に引き比べても、実感が添う。「車に乗るべきは馬に乗り、衣冠、布衣なるべきは多く直垂を着たり。都の手振り、たちまちにあらたまりて、ただ、ひな(鄙)たるもののふ(武士)にことならず」というのも面白い。社会が、まさに音を立てて、武士の世に変わっていくのが目に見えるようだ。
本書は、冒頭に「方丈記」の校訂済み原文(全文)を掲げ、続いて、一段ずつ「原文+訳+評」を示すという構成を取る。評(釈)部分には、写真や図版もあり、各種文献資料も博引旁証されている。九条兼実の『玉葉』とか、藤原定家の『名月記』とか、この時代は、多くの日記資料が残っているので、あやしげなゴシップ記事もいろいろ読める。
平家が壇ノ浦に滅んだ三ヶ月後に起きた元暦の大地震(マグニチュード7.4とも)について、『愚管抄』は「平相国、龍になりて振りたると、世には申しき」と記す。養和の飢饉においては、乞食法師が上皇の御所に入り込んで餓死したため、「院中三十日の穢れあり」(玉葉)という事態まで出来した。
というような騒がしい前半から一転して、後半は、作者晩年の閑寂な草庵生活について記す。これが…ハッとするほど、よかった。むかし、高校生から大学生の頃「方丈記」を読んでも、この良さは分からなかった。「方丈記」後半の、貧乏くさい閑居のありさまを、したり顔で賞賛する中年教師、あるいは評論家とかエッセイストが大嫌いだった。それはそうだろう。高校生くらいから「方丈記」にビビッドに反応するようでは、人生を捨てていると怪しまれても仕方ない。
しかし、私も五十の坂を過ぎて、「方丈記」に描かれた草庵生活の魅力が、ようやく理解できるようになった。妻子もなく、官職もない気楽な身。財産は、一丈四方(5.5畳)の運搬自在な住宅(!)と、皮籠(かわご)三合の書物(和歌、管弦、往生要集)、阿弥陀・普賢の絵像、大好きな楽器。
気ままに読経し、気ままに休み、興を催せば、音楽にしたしむ。人恋しいときは、山守の小童を友として、山中を逍遥する。莫大な富や特権が必要なわけではない。望めば誰でも手に入れられそうで、大多数の凡人は(分かっちゃいるけど)「世のしがらみ」にひきずられ、手に入れることのできない「自由の境地」が、まばゆいばかりの光輝につつまれ、描き出されている。
いや。私は、絶対、手に入れるぞ。そのときが来たら、わずかな財産、人間関係、知識、名誉欲、前半生の執着の全てを捨てて…。そんな衝動を掻きたてられる古典である。