見もの・読みもの日記

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講演・日本美術応援団、東京国立博物館を応援する(東博)

2012-08-05 23:56:24 | 行ったもの2(講演・公演)
東京国立博物館・講演会 東京国立博物館140周年『日本美術応援団、東京国立博物館を応援する』(2012年8月4日、13:30)

 数日前、東博のメルマガを購読している友人から「こんなのあるけど…」と教えてもらった。実は、先週末も東博の平常展を見に行っているのに、全然気づいていなかったので、あわてて「行く!行く!」と騒いでしまった。

 当日「平成館大講堂前にて9:40より整理券を配布」というシステムで、定員380名なら、よほどのことがない限り、あぶれることはないだろうと思ったが、「整理券はお1人様1枚です」なんて厳格な運用を宣言されてしまうと、これは…早起きして行かないと…と、気があせった。結局、10:30頃に行ってみたら、平成館は(というか、暑さのせいか、上野公園そのものが)閑散としていて、少し拍子抜けした。でも、この、のんびりした博物館の「日常感」が私は大好きなのである。

 お昼に友人と落ち合って、久しぶりに法隆寺館のレストランでランチ。13:00開場の少し前に、再び平成館に赴く。まだ整理券は余っていたようだが、いい席を取りたい熱心なお客さんが、けっこう並んでいた。

 定刻の13:30少し前、壇上にあがった東博の職員らしき方が「実は講師の先生から、渋滞で少し遅れるという連絡がありまして…申し訳ありません」と釈明。説明するまでもないが、「日本美術応援団」とは、山下裕二先生、赤瀬川原平さん、南伸坊さんのこと。どなたが遅れているんだろう?と思っているうち「お着きになりました。もうしばらくお待ちください」という報告。

 やがて、舞台上手に登場したのが山下先生。下手に現れたのが、車椅子に乗った赤瀬川さんと、それを押す南伸坊さんだったので、ちょっとびっくりした。山下先生の説明では、朝、車を運転して、町田の赤瀬川さんを迎えに行くのに高速が大渋滞で、さらに赤瀬川さんを乗せて、上野までくる高速も渋滞で…とのこと。日本美術応援団も、すっかり偉く(有名に)なったように思っていたが、東博から迎えの車は出ないのか。自助努力というか、団員どうしの相互扶助なんだな。車椅子姿の赤瀬川さんを見て、みなさん、びっくりされたかもしれませんが、大丈夫です、とフォローあり。

 応援団の結成が1996年で、あれから16年、当時、30代(山下)・40代(南)・50代(赤瀬川)だった僕らも、50代・60代・70代になりました、という。それぞれ、いい年のとり方をしてるなあ。そして、私は山下先生と同世代だが、こんなふうに「いい年のとり方」のお手本を間近に見ることができるのって、うらやましいことだと思う。

 「それにしても、東博から僕たちにオファーがくるなんてね~ェ」という三人の、感慨と揶揄のまじったつぶやきが可笑しかった。山下先生の後ろでパソコンを操作していた東博の職員らしき男性が楽しそうに苦笑していたが、彼は、日本美術応援団の結成時は、まだ学生だった世代だろうか。

 まずは三人の「東博初体験」を聞く。赤瀬川さんは、1950年代半ばのメキシコ美術展だそうで、東博って、昔はそんな特別展もやっていたのか。東京育ちの南さんは、小学生のとき、社会見学で来た写真があるが、何を見たかは全く覚えていない。山下さんは東大に入学して、上京してからだという。ああ、私も東京育ちなので、南さんと同じだ。前庭の池と芝生の記憶だけ、妙に鮮明にあるんだよなあ…。

 それから、山下先生が撮った写真(平常展の東博を訪ねる)を見ながら、三人でトークを展開。上野駅のホームに始まり、東博に到着するまでが長い。確かに最近、東博正面の上野公園がきれいに整備されて、私も驚いていたところだ。冬の頃(?)深い木立がばさばさと伐り払われて、緑地の見通しをよくしたのは英断だと思っていたが、しゃれたカフェもできて、ずいぶん垢抜けた印象になった。「むかしの上野なんてね~ェ」というのはオジサンの昔話。

 館内では、日傘サービス(これは京博とどっちが早いんだろ?)や基本的に館内撮影可のサービスを褒める。最近はずいぶん観客が増えたこと、外人率が高いこと(平日は特にそうだろうな)、しかし日本人の若者も目につくようになった、と山下先生。最近の若者はガイジンになってるから、外人の目で見ると、日本美術が面白いんだよ、という話になる。

 平常展(総合文化展)の展示品も、適宜トークの題材に。南さんが柿右衛門の壺に「いいねー」と反応したり、山下先生が飛鳥時代の菩薩立像(横から見るとものすごく薄い)に「これ、むかしから好きなんですよ!」とおっしゃるのが興味深かった。7/24から展示の始まった久隅守景の『納涼図屏風』の話題には、三人とも熱が入る。2階の途中に黒電話があり、かつ、その上に昔の手回し電話箱の遺物があるのは気づかなかったな…講演のあと、友人と探しに行った。

 結局、1時間半でトークが終了したときは、まだまだたくさん写真を残していたようである。最後に、途中をとばして「いつも空いている法隆寺館」の写真を見せてくれた。「こんなに空いているのに、レストランの強気の値段設定」(笑)とおっしゃっていたが、講演会の直前、私と友人が早めのランチを終えて出ていくときは、お客さんが空席待ちをしていましたけどね。

 この「日本美術応援団、国立博物館を応援する」、ぜひシリーズ化して、京都・奈良・九州でもやってほしい。お願い!
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