つい先日の朝刊に載っていたピアニスト「イェルク・デームス」の訃報記事。
90歳でしたか・・。クラシックの演奏家はだいたい長寿の傾向があるようで、おそらく練習の虫だからよく体を動かすせいだろうか。
さて、デームスといえば真っ先に「冬の旅 D911」(シューベルト)の伴奏を思い出す。
「20世紀最高のバリトン」と称されているディースカウ(ドイツ)は都合7回の「冬の旅」の録音を行っているが、「美しさと表現力のピークにあった」とされているのがこの3回目の録音(1965年)だ。
「冬の旅」はシューベルトの死の前年に作曲された24の歌曲集だが、全体的に暗くて陰鬱、そういう曲調が延々と続いていく。その底流にはテーマとして「死」が通奏低音のように流れている(ような気がする)。
なぜ気候のいい春とか秋ではなくて「冬の旅」なのか。
まるで「人生とは結局厳しい冬の旅だった」とシューベルトの詠嘆が聴こえてきそうな気がするが、5曲目の「菩提樹」あたりでほのかな灯というかやさしい慰撫というのか、その気配を少しでも感じ取れればいいのだろう。
シューベルトは老人に優しい音楽だと誰かが言ってたが、これはやはり老人の心情じゃないと分からない要素がありますな(笑)。
死の床にあったベートーヴェンが「シューベルトには神聖な灯がある」と励ましたのは有名な話である。
肝心のピアノ伴奏のデームスだが、出しゃばらず、さりとて引っ込み過ぎず、自らの立場をわきまえたたいへん立派な演奏でした!
ところで、スピーカーの話だがはじめに「トライアクショム」で聴き、次に「ウェストミンスター」(改)で聴いてみたところ、後者の方に少しゆとりと明るさを感じた。
やはり「バリトン」の再生ともなると中低音域に余裕があるシステムの方が有利のようですよ(笑)。
次に、デームスがソリストとして弾いた「ピアノ・ソナタ32番 作品111」(べートーヴェンの最後のソナタ)にいこう。
幾多の作曲家の数あるピアノ・ソナタの中でも頂点として君臨するこの「32番」には音楽評論家「小林利之」氏の名解説がある。
「深い心からの祈りにも通ずる美しい主題に始まる第二楽章の変奏が第三変奏でリズミックに緊張する力強いクライマックスに盛り上がり、やがて潮の引くように静まって、主題の回想にはいり、感銘深いエンディングに入っていくあたりの美しさはいったい何にたとえればよいか。
ワルトシュタインなどが素晴らしく美しくて親しみ深いと言っても、まだこれだけの感銘深い静穏の美しさにくらぶべくもないことを知らされるのです。」
20代の一時期、この「32番」のイメージと深く結びついた面影を求めて必死になって聴き込んだ時期があり、実は今でもこの曲を聴くたびに当時の懐かしい青春の想い出が蘇ってくる・・。
恥ずかしながら現在13枚のCD盤を所持している。
バックハウス、内田光子、アラウ、グールド、ミケランジェリ、リヒテル、ケンプ、ブレンデル、シフ、コヴァセヴィッチ、ギュラー、ゼルキン、そしてデームス
この中からデームスを改めて聴いてみたところ、以前聴いたシステムと様変わりしたせいか「月並みな演奏」のイメージがすっかり変わってしまった。素晴らしい!
とはいえ、これほどの名曲ともなるとどんなピアニストでも優劣をつけるのがおこがましい気がしてくるから不思議。 歳を取って寛容になったせいかな(笑)。