「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「教師の質の低下」そして「出世を決めるのは能力か学歴か」

2024年05月24日 | 読書コーナー



「こんなに使える経済学」(大竹文雄編、ちくま新書刊)
   

本書は現実のさまざまな社会経済問題(27本のテーマ)を経済学の視点で一般の人にも分かるような記述方法で紹介したもの。そのうち読者の興味がありそうな2本をピックアップしてみた。

☆ 教師の質はなぜ低下したのか

(個々の先生の中には当然のごとく優秀な方もおられるだろうが、あくまでも一般論ということなので悪しからず。)

公立校の教育レベルが下がり、学力低下を心配した親たちが、子供を私学に入れようとして小、中、高等学校への受験熱が高まるばかりという。

≪都会で進む公立不信≫

こうした私学ブームは特に大都市圏に見られるようで、その背景の一つにあるのは「教師の質の低下」である。

わいせつ、万引きなどの問題教師は論外だが、平均的な教師の(教える)レベルも落ちてきているそうだ。

教師の質の低下は実は米国でも大きな問題になってきた。その原因として経済学者たちが指摘してきたのが1960年代から始まった「労働市場における男女平等の進展」である。

どうして、女性の雇用機会均等が教師の質を低下させるのだろうか?

かっては米国の労働市場でも男女差別が根強く存在し、一般のビジネスの世界では女性は活躍できなかった。このため、学業に優れた大卒女性は教職についた。つまり、学校は男女差別のおかげで優秀な女性を安い賃金で雇用できた。

ところが、男女差別が解消されてくると優秀な女性は教師よりも給与が高い仕事やより魅力的な職種を選べるようになり昔に比べて教師になる人がはるかに少なくなった。

ここで、「男性教師もいるではないか」という反論が出てくるが、教師の採用数が一定だとすれば優秀な女性が集中して教師を希望していた時代よりも、
優秀ではない男性が教師になれるチャンスが広がる結果
となり、レベルの低下は否めないことになる。

そして、もう一つの反論。

「教師になる人は子供を教えたいという情熱を持った人ばかりなので経済的動機ぐらいで志望を変えるはずがない」。


これに対しては、高校時代(教師になりたい人は高校時代の終わりに教職系を志望する)の成績と教師になった人たちの詳細な関連データによって経済学的な検証(省略)が行われ、教師といえども収入や待遇などのインセンティブに基づき選ばれる職業の一つであることが証明される。

この分析が日本においてもそっくり当てはまるという。

日本では小中学校の教師の多くが教員養成系学部の出身者である。これらの学部の難易度を調べれば教師の質が変化してきた原因をおよそ推定できるが、90年代以降全国的に平均偏差値がずっと低下してきている


次に、男女間賃金格差と教員養成系学部の偏差値の相関も高いことがわかった。

つまり地方では現在でも優秀な女性が働ける職場の絶対数が都市部に比べて不足しているので女性教員の質の低下、ひいては全体的な質の低下が少なくて済んでいるが、都市部では女性の雇用機会の改善が急速に進みそのことが教員の質の低下を促進している。

結局、「教師の質の低下」は「労働市場における男女平等」に起因しているとみるのが経済学的思考による一つの解答となる。

さらにもう一つのテーマを挙げてみよう。


☆ 出世を決めるのは能力か学歴か

毎年のごとく春先になると、週刊誌がこぞって出身高校別の難関大学合格者数のリストを掲載する。目を通す人が多いのは、やはり大学受験の成否が人生の一大事だと思うからだろう。

ただ、その一方、「実社会においては学歴や学校歴による能力差がさほどあるわけでもない」ということも、多くの人が日々実感していることではあるまいか。

実際のところ、出身大学によって出世はどのくらい左右されるのだろうか。経済学はこうした問題に対しても科学的なアプローチで解明を進めている。

現状分析~学歴と年収の相関~

アメリカ・テキサスA&M大学の小野浩助教授によるサンプル調査(日本人570人)によると、学歴と年収の相関は次のとおりになっている。

サンプルの平均値である偏差値52の4年制大学の卒業生は高卒に比べて年収が約30%高い。次に偏差値62の大学の卒業生は約42%も高くなっており、明らかに両者に相関関係が認められる。

ここで自然に出てくるのが次の疑問。

高い偏差値の大学を出た人の年収が高いのは、「大学名のブランド」のせいなのか」それとも「教育内容や個人の能力が優れていたおかげで高い実力を身につけたためか」。

この疑問に対して本書では具体的に「東大」を例に挙げて検証が進められた結果、
概ね「官庁は学歴主義、民間は能力主義」が裏づけされる形となった。

最後に、ブログ主の感想を言わせてもらうと個々の人生にとって肝要なのは学歴なんぞに左右されずに「幸せ感に満たされているかどうか」に尽きると思うが、実はこれがなかなか難しい(笑)。

ふと、僧侶の玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)さんの言葉「幸せと楽の違い」が蘇った。

「幸せ」は「お金」「長寿」「愛情」などに左右され、求めてもきりがない。常に目標が上方修正され「幸せ」を感じ取る暇がない。

一方「楽」というのは「安楽な状態」でわかるように身体状況を伴い、「足るを知る」という感情面での基盤も重要となるので限度がある。

そして、僧侶は年をとるほどに深い「楽」を味わい、最も円熟するのは、死ぬ間際なのだと思考している。

結局、煎じ詰めると「身体の健康と心の健康がいちばん」ってことですか~(笑)。



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