「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

格安の小型スピーカー

2013年01月29日 | 独り言

「巳年」といえば我が家にとっては金運への期待が高まる年、滑り出し早々幸先のいいスタートを切っている。

あまり「お金」を前面に出し過ぎるとちょっと品位が下がるが(笑)、「オーディオとお金」は切っても切れない縁があるのでここはひとつ許していただいて、前回に続いて「お買い得品」の第二弾を紹介させてもらおう。

☆ 格安の小型スピーカー

社会生活が希薄になって、他人と面会する機会が少なくなると、ついおろそかになるのが「身だしなみ」でとりわけ「散髪」。

とかくズボラになって、今では自宅でカミさんから切ってもらうことが多くなった。お金もさることながら、時間の節約という点からも重宝している。な~に、もう「見てくれ」はどうだっていいんだから(笑)。

以前、名画「ローマの休日」の主役だった「グレゴリー・ペック」の自伝をテレビで観ていたら、晩年に自宅の庭で娘さんから散髪をしてもらっていたシーンが印象的だったが、年齢がいくとどこのご家庭でも似たり寄ったりかもしれない。

それはともかくまあ、いくらなんでも虎刈りばかりでは収まりがつかなくなるので、ときには専門家の手で散髪してもらい、「標準型」に修正してもらっているわけだが、つい先日のこと、その散髪が済んで隣の「リサイクルショップ」にたまたま立ち寄ったところ、店頭に小型スピーカー(ケンウッド)が沢山のガラクタと一緒に展示してあった。

付けられた値段を見てビックリ。ペアで何と300円!

          

画像では分かりづらいので実寸を記載すると15センチ(横)×25(縦)×20(奥行)。


似たサイズの小型スピーカーとしては40年以上も前に購入したフォステクス(当時フォスター)の10センチ口径のフルレンジが実にいい音で鳴っていたのだが、昨年の8月に新たな転勤先の福岡でマンション住まいしている娘に引き取られていったのでスペアが丁度欲しかったところだった。

もちろん、使途は鑑賞用ではなくてアンプが故障したときのテスト用に使うつもり。ノイズの有無の確認や過大入力などで壊れても構わないという目的にピッタリの代物。

外観がそれほど荒れてもいないし、もしかすると掘り出し物かと、乗り気になってレジにスピーカーを持って行ったところ、「実際にテストしていませんので鳴るかどうか分かりませんが、それでいいですか」と念を押された。値段が値段だけに、「はい、いいですよ」。

鳴らないときは、どうせハンダ付けの不良ぐらいだろうから、ためらうことなく分解してやろうという腹積もり。

自宅に戻って、さっそくテスト開始。付属している”ちゃち”なSPコードを真空管アンプ「PX25シングル」に繋いで鳴らしてみたところ、澄んだ音でスピーカーの真中に綺麗に音楽が定位した。

オ~ッ、なかなかいいじゃない!これはとても300円の音ではない(笑)。まるで盆栽の世界みたいだがこれはこれで音楽の世界に浸るのも悪くはない。

つい、以前観たテレビ番組を思い出してしまった。

「建物探訪」という長寿番組があって、斬新な設計による新築の建物を紹介する内容だが、ごくまれにオーディオ好きのご主人が登場されることがあって、その時は地元で「第九を歌う会」の事務局長をされていた方で、「これがオーディオルームです」と映し出されたのを拝見させてもらった。

6畳ほどの書斎に机があって、その机の上の両端に今回購入したほどの大きさのスピーカーが載せてあり、真中には小さな真空管アンプが置いてあった。

「エ~ッ、マンション住まいや家庭の事情で大きな音を出せない方はこういうシステムで聴いているケースもあるのか」と想像もしなかった世界に驚いて認識を新たにしたことだった。

もちろんオーディオ・システムは何でもありなので、ご本人が納得していれば傍からあれこれ言う必要はないし、大型スピーカーが必ずしもいい音を出すとは限らないのも十分承知している。たしかにツボにハマったときは凄いが、録音状態が違うソースによっては無残な音になったりするし、当たりはずれが多くてむしろ、鳴らすのに苦労するケースが多いのも現実。

したがって小型スピーカーの無難でまとまりのいい点は十分心得ているつもりだが、博打大好き人間の自分にとっては”大化け”する可能性が少ない分、ちょっと淋しい。

これに関連するが、やや小振りのスピーカーを使って近接試聴(ニアフィールドリスニング)の良さに触れた本を、つい最近図書館から借りてきて読んだばかり。

                   

「和田博巳」さん(オーディオ評論家?)という方がオーディオ専門誌「ステレオサウンド」に1998年から2011年まで寄稿されたエッセイを取りまとめたもので、興味深く拝読させてもらったが、オーディオに対する情熱、ジャズに対する愛情には感心した。

たとえば267頁の「音を良くする極意」では「音楽をどのくらい好きか、どれほど愛しているかということではないかと。音楽の知識が豊富で、かつたくさん音楽を聴いている、これがオーディオ装置からいい音を引き出すために最も大切なことだと思う」には、同感。

ただし、あえて言わせてもらうと全体的にクラシックにあまり触れてないのがちょっと残念だった。

「クラシックへの愛情を抜きにしては語れないオーディオ論」、たとえば「五味康祐」さんの「西方の音」や「瀬川冬樹」さん(いずれも故人)の文章を熟読玩味した経験を持つ人間にとって、それ以降のオーディオ論は押しなべて「音キチ」の域を出ていないように思うがどうだろうか。

オーディオの世界において、声が大きくてアウトプットが巧みな人たちは圧倒的にジャズ・ファンに偏っている気がして仕方がない。その一方、クラシック・ファンのオーディオ・マニアも結構いるはずなのに、そういう方々は「インプット型」というか、どうも声が”か細くて”引っ込み思案タイプが多いようだ。

どうやら思慮深くて奥床しい人が多いのかな(笑)。

 


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