今年の夏はどうやら「節電」一色のようで、エアコンに比べてあまり電気を食わない「扇風機」が「大売れ」だそうである。
自分も現在、専用の扇風機を3台駆使している。
いずれも小さな卓上型のもので、うち1台はパソコンをいじるときに脇に置いて使用しており、もう1台は音楽やテレビを視聴するときの応接椅子の横に、そして最後の1台は真空管アンプの冷却用である。
そう、少なくとも我が家では真空管アンプはせめて夏ぐらいは涼しく快適に過ごしてもらおうと、人間様と同等の扱いなのである。
とまあ、これは冗談だが周知のとおり真空管が熱を発するのは当たり前の話だが、素人考えながら少しでも風を当てて冷やしてやると寿命が長持ちするかもしれないという淡い期待があるのは言うまでもない。
昨今の近代菅とは違って1950年代前後に製造された「銘管」ともなると、ペアで軽く10万円以上するのだからユメユメ粗末には扱えず、見かけや面子にこだわってはおられないといったワケで、まあ、結構”みみっちい男”と言われればそれまで。
たしかに、真空管アンプの正面に扇風機を据えて音楽を聴く姿は他人様が見てあまり見栄えのするものではなかろう。
それに、音楽を聴いているときは”まったく”といっていいほど気にならないが、ふと(音が)鳴り止んだときとかピアニシモのときに、扇風機のモーター音と風切り音がイヤでも耳に届くのがちょっと難題。
したがって、お客さんが見えて一緒に試聴するときはさすがに”扇風機はやむなく使用せず”の状態に至っている。
そういうことから、これまでず~っと、もっと「音の静かな扇風機」がどこかにないものかと、気にかけてきた。
ところが先日、パソコン用印刷機のインクが切れたので近くの量販店に行ったところ出入り口の付近で見かけたのが「静音」が売り物の小さな扇風機。
「ほぅ~」と、興味を引かれすぐにスイッチを入れてみたところたしかに「静か」である。
「これはいい」。
捜し求めていた扇風機にやっと巡りあえた感じで、すぐに購入を決めた。
カミさんに”ばれる”と、「モォ~、扇風機を4台も購入して」と散々イヤミを言われそうなのでもちろん内緒。
梱包したダンボールも扇風機の文字が隠れるように、きれいに分解して紐で縛ってうまく纏め上げた。
さあ、試聴である。雑音に満ちた店内のSN比の悪い場所と違って静寂そのもののオーディオ・ルームではどうだろうかと若干の不安もあったところ。
第一印象はこれまでの扇風機と比べると風力も強いのにやっぱり静かだった。
とはいえ完全無欠の無音ではなかった。
モーター音は完璧に聞こえないが、風切り音はかすかに「サーッ」という音が聞えるがまあ、これくらいなら十分合格の範囲内。
よ~し、これからお客さんが来てもスイッチを切らなくて済みそうだし、冷やし効果も向上して長時間の連続使用にも(真空管が)十分耐えてくれそうである。
おまけに、扇風機の角度をうまく上向きに調整すると真空管の背後の電源トランス、その後ろの真空管式チャンネルデバイダー、そのまた後ろにあるDAコンバーターまで冷やせて、これはまことにうれしい悲鳴。まるで一石四鳥。
とにかく、これからは音楽を聴いた後に引き続き同じアンプとSPでテレビの視聴が可能になったのが大きな収穫。
これまでテレビ視聴用には別のシステムを利用していたのだが、いくらテレビの音とはいえ、映画などでは画質に加えて音響効果のほうも無視できないのは映画ファンなら先刻ご承知のとおり。
おかげで最近は日頃あまり観ない洋画を録画することが多くなったが、NTTの「ひかりTV」〔何と36チャンネル!)で録画した西部劇は久しぶりに見応えがあった。
題名は「リバティ・バランスを射った男」。
1962年製作で監督はあの「ジョン・フォード」。
主演はジョン・ウェイン(トム)、ジェームス・スチュアート(ランス)、ヴェラ・マイルズ(ハリー)、リー・マービン(リバティ)といった錚々たる役どころ。
公開当時は地味すぎてパッとしなかったそうだが、今ではジョン・フォード監督の代表作の一つになっているほど。
ずっと昔、一度観たことがあってなんとなく記憶に残っていたので録画して再度じっくり鑑賞したわけだが、若い頃には気付かなかったさりげないシーンの一つひとつに深い意味が込められているのがよ~く分かった。
録画した映画は一度観てしまうと十中八九、消去するのが常だがこの映画だけは別格で「永久保存」決定。
「銃と暴力」が支配する古い西部への訣別と「法と秩序」に拠って立つ新しい西部の到来との対比が興味深く、結局「ペンは剣よりも強し」(これ、たしかどこかの東大受験校の校是のはず)となる。
それに男の勇気や美女をめぐる三角関係、決闘シーンなどがあって山場には事欠かない。
これまで観た西部劇の中では文句なしにダントツ、ナンバー1のお気に入り。まあ、J・スチュワートのファンでもあるから仕方ないか。
ネットでもこの映画に関するレヴューが沢山寄せられていたが一番共感した「アルメイダ」さんのものを無断で引用させてもらおう。
西部劇苦手な私がはじめて全体的に面白いと思った作品です。脚本もさることながら先が読めるのにそれでもまた面白い。
この時代の作品として白黒ではどうなのかは疑問ですが、見てゆく途中で違和感もなく見られたのは画質も向上しているからか。
西部劇というよりも人間ドラマ西部劇風とでもいえましょうか。見終えたあとにまた冒頭を観てみたいなぁと思える作品です。
この作品の面白さは(誰がリバティ・バランスを殺したのか)ということなのですが、正直見ていてオチがわかったのにそのオチの切り出しがうまいのです。
だからあとに考えるものがあり単純な西部劇ではないと。J・ウェイン演じるトムの気持ちがよくわかります。この役は役得というかいい役ですよ~ でもJ・ウェインだからこそとも思います。
無骨で不器用な硬派・・日本では高倉健さんのような。トムにしてみれば急に現れたような、J・スチュワート演じるランスの存在とは・・ 両方適役といっていいでしょう。
無骨なトムはハリーを愛しているのに、ハリーは知的なランスに一目ぼれ状態。リバティ・バランスに襲われてランスは運ばれて来ましたが、またこの街にバランスが現れるのは間違いはない。
銃社会を非難し法で悪を裁こうとするランス。しかし脅迫のような成り行きで決闘という形で銃を使うことに・・ 銃を練習しているランスをからかうトムに伏線が見られます。
なぜそんなに腕が立つのに自分で撃とうとしないのか・・ 決闘の日にランスの選択眼はふたつしかありません。つまり素人同然のランスが銃で決闘するか、この街から去るか・・ トムが助けてくれるんじゃないか?
ところが素人のランスは奇跡的にバランスとの決闘に勝つのです。しかし彼は弁護士の立場であります。 映画の演出もなかなかいい。
冒頭からトムの棺とサボテンの謎、 (妻となったハリーとともに)街に帰ってきたというランスは上院議員・・ そこから回想シーンとなり本編の始まりです。
キスも抱擁もないのに恋愛ドラマとして切ない味わいがあるし、銃社会に対する批判もそれだけではない描き方。
愛する女性が一番幸せな道を選んだトム。それは西部では名誉なのかトムにはどうでもいいこと。単純明快なようでいて複雑な人間ドラマでもあります。
まったく、”簡にして要を得ている”素晴らしい「レヴュー」だが、まだご覧になっていない方には 是非お薦めしたい映画である。