列王紀下 25:1-3
「そこでゼデキヤの治世の第九年の十月十日に、バビロンの王ネブカデネザルはもろもろの軍勢を率い、エルサレムにきて、これにむかって陣を張り、周囲にとりでを築いてこれを攻めた。 こうして町は囲まれて、ゼデキヤ王の第十一年にまで及んだが、 その四月九日になって、町のうちにききんが激しくなり、その地の民に食物がなくなった。」
傀儡政権にすぎないゼデキヤは愚かにもバビロン帝国に反逆したため、ネブカデネザル王は大軍を率いてエルサレムを包囲し、総攻撃を掛けました。ユダの人々は堅固な天然の要塞都市であるエルサレムに籠城する作戦を採りましたが、戦いが2年にも及ぶとさすがに食糧も尽き、極度の飢饉に陥りました。その様子は自分の子どもを殺し、あるいは家族同士でも殺し合って食べてしまうほどの鬼畜の有様で、さながら生き地獄の様相を呈していました。主の御言葉に聞き従わず、自分たちの力や持てるものに頼り、意地を張って主の御心に逆らい続ける者は、このような悲惨な結末を迎えます。主の御言葉を知る私たちは、決して彼らのような悔い改めを拒む強情な民となってはなりません。
http://bible.com/81/2ki.25.1-3.ja1955
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列王紀下 25:4-7
「町の一角がついに破れたので、王はすべての兵士とともに、王の園のかたわらにある二つの城壁のあいだの門の道から夜のうちに逃げ出して、カルデヤびとが町を囲んでいる間に、アラバの方へ落ち延びた。 しかしカルデヤびとの軍勢は王を追い、エリコの平地で彼に追いついた。彼の軍勢はみな彼を離れて散り去ったので、 カルデヤびとは王を捕え、彼をリブラにいるバビロンの王のもとへ引いていって彼の罪を定め、 ゼデキヤの子たちをゼデキヤの目の前で殺し、ゼデキヤの目をえぐり、足かせをかけてバビロンへ連れて行った。」
ゼデキヤと兵士たちは、バビロン軍の包囲網の一瞬の隙をついてヨルダン川の方に逃げ落ちようとしましたが、バビロン軍はすぐに彼らを追跡し、ゼデキヤ王を捕らえて、目の前で子どもたちを一人ずつなぶり殺しにした後、その目をえぐり取って余生を送らせるという、極めて残忍な刑に処しました。身の程知らずで主に悔い改めることもしなかったゼデキヤは、慰めを見ることもできず生き地獄のような後悔の日々を一生涯過ごさなければなりませんでした。今も神様の御心に聞き従わないで自分の好き勝手な人生を送り、滅びに向かっている人々がこの世には何と多いことでしょうか。自分たちだけが救われれば良いのではなく、一人でも多くの人々に福音を伝えなければなりません。
http://bible.com/81/2ki.25.4-7.ja1955
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列王紀下 25:8-12
「バビロンの王ネブカデネザルの第十九年の五月七日に、バビロンの王の臣、侍衛の長ネブザラダンがエルサレムにきて、 主の宮と王の家とエルサレムのすべての家を焼いた。すなわち火をもってすべての大きな家を焼いた。 また侍衛の長と共にいたカルデヤびとのすべての軍勢はエルサレムの周囲の城壁を破壊した。 そして侍衛の長ネブザラダンは、町に残された民およびバビロン王に降服した者と残りの群衆を捕え移した。 ただし侍衛の長はその地の貧しい者を残して、ぶどうを作る者とし、農夫とした。」
戦う者も守る者も一人もいなくなったエルサレムを、バビロン軍が破壊の限りを尽くします。神様がその御名を置くと言われた麗しい都エルサレムは、見る影もなく焼き尽くされ、焦土と化してしまいました。そしてエルサレムに残っていた群衆は、葡萄畑を耕す貧しい小作人だけを残して皆、バビロンに捕らえ移されてしまいました。エルサレムに、かつての栄華はもはやありません。これもすべて主の御言葉に聞き従わないで背き続けた罪の結果です。主に聞き従わない者は、一時的には栄えても、最後は滅ぼされてしまうことを、私たちは反面教師として学ばなければなりません。
http://bible.com/81/2ki.25.8-12.ja1955
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列王紀下 25:13-16
「カルデヤびとはまた主の宮の青銅の柱と、主の宮の洗盤の台と、青銅の海を砕いて、その青銅をバビロンに運び、 またつぼと、十能と、心切りばさみと、香を盛る皿およびすべて神殿の務に用いる青銅の器、 また心取り皿と鉢を取り去った。侍衛の長はまた金で作った物と銀で作った物を取り去った。 ソロモンが主の宮のために造った二つの柱と、一つの海と洗盤の台など、これらのもろもろの器の青銅の重さは量ることができなかった。」
ソロモン王が主の宮のために捧げた青銅の器や礼拝のための様々な用具も、バビロン軍によって破壊され、すべてバビロンに持ち去られてしまいました。その重さは量ることができなかったほどおびただしい量でした。
なぜ主はこのような主の宮が徹底的に破壊されることを許されたのでしょうか?それはユダの民が単なる形式的な礼拝に陥り、更には偶像礼拝を行って主の宮を汚したからです。主に心から礼拝を捧げるのでなければ、どんな尊い器も無用の長物です。御言葉に聞き従わない礼拝を主は拒まれ、二度とそのような見かけ倒しの礼拝が行われないように、また神殿そのものが偶像と化さないように、主の宮を無に帰されたのです。私たちの捧げるべき礼拝は、心から主を求め、主の戒めに堅く聞き従う、まことの礼拝です。
http://bible.com/81/2ki.25.13-16.ja1955
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列王紀下 25:22, 24-26
『さてバビロンの王ネブカデネザルはユダの地に残してとどまらせた民の上に、シャパンの子アヒカムの子であるゲダリヤを立てて総督とした。
…
ゲダリヤは彼らとその部下の人々に誓って言った、「あなたがたはカルデヤびとのしもべとなることを恐れてはならない。この地に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすればあなたがたは幸福を得るでしょう」。 ところが七月になって、王の血統のエリシャマの子であるネタニヤの子イシマエルは十人の者と共にきて、ゲダリヤを撃ち殺し、また彼と共にミヅパにいたユダヤ人と、カルデヤびとを殺した。 そのため、大小の民および軍勢の長たちは、みな立ってエジプトへ行った。彼らはカルデヤびとを恐れたからである。』
ネブカデネザル王はイスラエルを治めさせるために、かつてヨシヤ王の家臣だったシャパンの孫ゲダリヤを総督として任命しました。彼は預言者エレミヤとも親しく、今はバビロンに従うことが主の憐れみであると民に言い聞かせましたが、民族思想が強く、強情で気位の高い王家の一族によって殺されてしまいました。逆賊たちはエジプトに落ち延びようとしましたが、その途中で滅びてしまいました。ユダの民は最後まで主の御心に聞き従うことを拒み、自滅しました。私たちは失敗したとき、悔い改めて御言葉に聞き従うことこそが正しい生きる道です。
http://bible.com/81/2ki.25.22,24-26.ja1955
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列王紀下 25:27-30
「ユダの王エホヤキンが捕え移されて後三十七年の十二月二十七日、すなわちバビロンの王エビルメロダクの治世の第一年に、王はユダの王エホヤキンを獄屋から出して ねんごろに彼を慰め、その位を彼と共にバビロンにいる王たちの位よりも高くした。 こうしてエホヤキンはその獄屋の衣を脱ぎ、一生の間、常に王の前で食事した。 彼は一生の間、たえず日々の分を王から賜わって、その食物とした。」
ソロモンの治世と壮大な神殿建築に始まり、その神殿が完全に破壊され荒廃する歴史を書き連ねた列王記の最後に、バビロンに捕らわれ生きる道を選んだエホヤキン王のその後の人生で終わります。彼はバビロンに捕らえ移されたことで、真の悔い改めと徹底的な服従を学び、最後はかつての王としての尊厳が回復されました。絶望的な人生であっても、主に立ち返り生きることを選んだ者は、最後に希望が残されていることを聖書は明確に告げています。今は苦難と試練の日々であっても、耐え忍んで主に聞き従い続ける者に主は最後の勝利を与えてくださいますから、その希望を信じて生きる道を選ぶ私たちでありますように。
http://bible.com/81/2ki.25.27-30.ja1955
「そこでゼデキヤの治世の第九年の十月十日に、バビロンの王ネブカデネザルはもろもろの軍勢を率い、エルサレムにきて、これにむかって陣を張り、周囲にとりでを築いてこれを攻めた。 こうして町は囲まれて、ゼデキヤ王の第十一年にまで及んだが、 その四月九日になって、町のうちにききんが激しくなり、その地の民に食物がなくなった。」
傀儡政権にすぎないゼデキヤは愚かにもバビロン帝国に反逆したため、ネブカデネザル王は大軍を率いてエルサレムを包囲し、総攻撃を掛けました。ユダの人々は堅固な天然の要塞都市であるエルサレムに籠城する作戦を採りましたが、戦いが2年にも及ぶとさすがに食糧も尽き、極度の飢饉に陥りました。その様子は自分の子どもを殺し、あるいは家族同士でも殺し合って食べてしまうほどの鬼畜の有様で、さながら生き地獄の様相を呈していました。主の御言葉に聞き従わず、自分たちの力や持てるものに頼り、意地を張って主の御心に逆らい続ける者は、このような悲惨な結末を迎えます。主の御言葉を知る私たちは、決して彼らのような悔い改めを拒む強情な民となってはなりません。
http://bible.com/81/2ki.25.1-3.ja1955
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列王紀下 25:4-7
「町の一角がついに破れたので、王はすべての兵士とともに、王の園のかたわらにある二つの城壁のあいだの門の道から夜のうちに逃げ出して、カルデヤびとが町を囲んでいる間に、アラバの方へ落ち延びた。 しかしカルデヤびとの軍勢は王を追い、エリコの平地で彼に追いついた。彼の軍勢はみな彼を離れて散り去ったので、 カルデヤびとは王を捕え、彼をリブラにいるバビロンの王のもとへ引いていって彼の罪を定め、 ゼデキヤの子たちをゼデキヤの目の前で殺し、ゼデキヤの目をえぐり、足かせをかけてバビロンへ連れて行った。」
ゼデキヤと兵士たちは、バビロン軍の包囲網の一瞬の隙をついてヨルダン川の方に逃げ落ちようとしましたが、バビロン軍はすぐに彼らを追跡し、ゼデキヤ王を捕らえて、目の前で子どもたちを一人ずつなぶり殺しにした後、その目をえぐり取って余生を送らせるという、極めて残忍な刑に処しました。身の程知らずで主に悔い改めることもしなかったゼデキヤは、慰めを見ることもできず生き地獄のような後悔の日々を一生涯過ごさなければなりませんでした。今も神様の御心に聞き従わないで自分の好き勝手な人生を送り、滅びに向かっている人々がこの世には何と多いことでしょうか。自分たちだけが救われれば良いのではなく、一人でも多くの人々に福音を伝えなければなりません。
http://bible.com/81/2ki.25.4-7.ja1955
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列王紀下 25:8-12
「バビロンの王ネブカデネザルの第十九年の五月七日に、バビロンの王の臣、侍衛の長ネブザラダンがエルサレムにきて、 主の宮と王の家とエルサレムのすべての家を焼いた。すなわち火をもってすべての大きな家を焼いた。 また侍衛の長と共にいたカルデヤびとのすべての軍勢はエルサレムの周囲の城壁を破壊した。 そして侍衛の長ネブザラダンは、町に残された民およびバビロン王に降服した者と残りの群衆を捕え移した。 ただし侍衛の長はその地の貧しい者を残して、ぶどうを作る者とし、農夫とした。」
戦う者も守る者も一人もいなくなったエルサレムを、バビロン軍が破壊の限りを尽くします。神様がその御名を置くと言われた麗しい都エルサレムは、見る影もなく焼き尽くされ、焦土と化してしまいました。そしてエルサレムに残っていた群衆は、葡萄畑を耕す貧しい小作人だけを残して皆、バビロンに捕らえ移されてしまいました。エルサレムに、かつての栄華はもはやありません。これもすべて主の御言葉に聞き従わないで背き続けた罪の結果です。主に聞き従わない者は、一時的には栄えても、最後は滅ぼされてしまうことを、私たちは反面教師として学ばなければなりません。
http://bible.com/81/2ki.25.8-12.ja1955
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列王紀下 25:13-16
「カルデヤびとはまた主の宮の青銅の柱と、主の宮の洗盤の台と、青銅の海を砕いて、その青銅をバビロンに運び、 またつぼと、十能と、心切りばさみと、香を盛る皿およびすべて神殿の務に用いる青銅の器、 また心取り皿と鉢を取り去った。侍衛の長はまた金で作った物と銀で作った物を取り去った。 ソロモンが主の宮のために造った二つの柱と、一つの海と洗盤の台など、これらのもろもろの器の青銅の重さは量ることができなかった。」
ソロモン王が主の宮のために捧げた青銅の器や礼拝のための様々な用具も、バビロン軍によって破壊され、すべてバビロンに持ち去られてしまいました。その重さは量ることができなかったほどおびただしい量でした。
なぜ主はこのような主の宮が徹底的に破壊されることを許されたのでしょうか?それはユダの民が単なる形式的な礼拝に陥り、更には偶像礼拝を行って主の宮を汚したからです。主に心から礼拝を捧げるのでなければ、どんな尊い器も無用の長物です。御言葉に聞き従わない礼拝を主は拒まれ、二度とそのような見かけ倒しの礼拝が行われないように、また神殿そのものが偶像と化さないように、主の宮を無に帰されたのです。私たちの捧げるべき礼拝は、心から主を求め、主の戒めに堅く聞き従う、まことの礼拝です。
http://bible.com/81/2ki.25.13-16.ja1955
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列王紀下 25:22, 24-26
『さてバビロンの王ネブカデネザルはユダの地に残してとどまらせた民の上に、シャパンの子アヒカムの子であるゲダリヤを立てて総督とした。
…
ゲダリヤは彼らとその部下の人々に誓って言った、「あなたがたはカルデヤびとのしもべとなることを恐れてはならない。この地に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすればあなたがたは幸福を得るでしょう」。 ところが七月になって、王の血統のエリシャマの子であるネタニヤの子イシマエルは十人の者と共にきて、ゲダリヤを撃ち殺し、また彼と共にミヅパにいたユダヤ人と、カルデヤびとを殺した。 そのため、大小の民および軍勢の長たちは、みな立ってエジプトへ行った。彼らはカルデヤびとを恐れたからである。』
ネブカデネザル王はイスラエルを治めさせるために、かつてヨシヤ王の家臣だったシャパンの孫ゲダリヤを総督として任命しました。彼は預言者エレミヤとも親しく、今はバビロンに従うことが主の憐れみであると民に言い聞かせましたが、民族思想が強く、強情で気位の高い王家の一族によって殺されてしまいました。逆賊たちはエジプトに落ち延びようとしましたが、その途中で滅びてしまいました。ユダの民は最後まで主の御心に聞き従うことを拒み、自滅しました。私たちは失敗したとき、悔い改めて御言葉に聞き従うことこそが正しい生きる道です。
http://bible.com/81/2ki.25.22,24-26.ja1955
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列王紀下 25:27-30
「ユダの王エホヤキンが捕え移されて後三十七年の十二月二十七日、すなわちバビロンの王エビルメロダクの治世の第一年に、王はユダの王エホヤキンを獄屋から出して ねんごろに彼を慰め、その位を彼と共にバビロンにいる王たちの位よりも高くした。 こうしてエホヤキンはその獄屋の衣を脱ぎ、一生の間、常に王の前で食事した。 彼は一生の間、たえず日々の分を王から賜わって、その食物とした。」
ソロモンの治世と壮大な神殿建築に始まり、その神殿が完全に破壊され荒廃する歴史を書き連ねた列王記の最後に、バビロンに捕らわれ生きる道を選んだエホヤキン王のその後の人生で終わります。彼はバビロンに捕らえ移されたことで、真の悔い改めと徹底的な服従を学び、最後はかつての王としての尊厳が回復されました。絶望的な人生であっても、主に立ち返り生きることを選んだ者は、最後に希望が残されていることを聖書は明確に告げています。今は苦難と試練の日々であっても、耐え忍んで主に聞き従い続ける者に主は最後の勝利を与えてくださいますから、その希望を信じて生きる道を選ぶ私たちでありますように。
http://bible.com/81/2ki.25.27-30.ja1955