伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2017/02/25

2017-02-25 07:48:12 | 一日一章・聖書通読日記
歴代志上 23:1-5
『ダビデは老い、その日が満ちたので、その子ソロモンをイスラエルの王とした。 ダビデはイスラエルのすべてのつかさおよび祭司とレビびとを集めた。 レビびとの三十歳以上のものを数えると、その男の数が三万八千人あった。 ダビデは言った、「そのうち二万四千人は主の家の仕事をつかさどり、六千人はつかさびと、およびさばきびととなり、 四千人は門を守る者となり、また四千人はさんびのためにわたしの造った楽器で主をたたえよ」。』

年老いたダビデはソロモンに王位を継承すると共に、王として最後に行った政策は礼拝の確立でした。なぜなら礼拝こそ神の国イスラエルの基本であり、最も重要な務めだからです。そのためにダビデはレビ人たちを集め、その人数を数えて適切に人員配置して彼らが日々なすべき任務を明確にしました。レビ人たちの務めは、神殿での奉仕、律法を教え民の訴えを裁くこと、神殿の警護、そして神様への讃美でした。私たちもまた礼拝を整え、神様に奉仕し、礼拝のために備えることを信仰生活の中心に据えて、神様を讃美し、仕えることを、何よりも大切にする者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/1ch.23.1-5.ja1955

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歴代志上 23:6, 13-14
「そしてダビデは彼らをレビの子らにしたがってゲルション、コハテ、メラリの組に分けた。

アムラムの子らはアロンとモーセである。アロンはその子らとともに、ながくいと聖なるものを聖別するために分かたれて、主の前に香をたき、主に仕え、常に主の名をもって祝福することをなした。 神の人モーセの子らはレビの部族のうちに数えられた。」

ダビデは神殿でのレビ人の勤めを定めるにあたり、氏族ごとに組分けして、その役割分担を明確にしました。そしてアロンの子たちを、神様の御前で直接仕えるいと聖なる祭司の務めを行う者として聖別しました。これは直接献身者である牧師や宣教師の勤めが聖別されており、一般信徒が手を触れてはならない聖職者としての領域があることを意味します。私たちも教会で奉仕を行うとき、分を越えて思い上がることなく、役割分担に従って自分に任された奉仕に専念し、誠心誠意、心を込めて神様に仕える者でありたいと願います。

http://bible.com/81/1ch.23.6,13-14.ja1955

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歴代志上 23:25-32
『ダビデは言った、「イスラエルの神、主はその民に平安を与え、ながくエルサレムに住まわれる。 レビびとは重ねて幕屋およびその勤めの器物をかつぐことはない。 -ダビデの最後の言葉によって、レビびとは二十歳以上の者が数えられた- 彼らの務はアロンの子孫を助けて主の家の働きをし、庭とへやの仕事およびすべての聖なるものを清めること、そのほか、すべて神の家の働きをすることである。 また供えのパン、素祭の麦粉、種入れぬ菓子、焼いた供え物、油をまぜた供え物をつかさどり、またすべて分量および大きさを量ることをつかさどり、 また朝ごとに立って主に感謝し、さんびし、夕にもまたそのようにし、 また安息日と新月と祭日に、主にもろもろの燔祭をささげるときは、絶えず主の前にその命じられた数にしたがってささげなければならない。 このようにして彼らは会見の幕屋と聖所の務を守り、主の家の働きのためにその兄弟であるアロンの子らに仕えなければならない」。』

出エジプトや士師の時代、神の契約の箱を安置する会見の幕屋は可動式のものであったために、レビ人の働きは神の箱と幕屋をその肩に担って運ぶことでした。イスラエル王国が確立し、神様がその御名を永遠に置くと約束された神殿が建て上げられたならば、もはや神の箱を移動する必要はありません。そこでダビデはレビ人たちに、神殿の中で絶えず神様に仕える新しい勤めを与えました。私たちもまた礼拝を確立し、教会で神様に仕える役割を担うことこそが、安定した信仰生活を送る秘訣です。

http://bible.com/81/1ch.23.25-32.ja1955
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【今日の聖句】 2017/02/25

2017-02-25 06:50:31 | 今日の聖句
コロサイ人への手紙 3:12
「だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。」

キリストの十字架と共に古い自分に死んだ私たちは、罪の性質を脱ぎ捨て、きよい性質を身に付けるべきです。憐れみと慈しみに富む神に似る者となり、謙遜、柔和、寛容などの御霊の実を結び、神に愛されている者に相応しく生きる私たちでありますように。

http://bible.com/81/col.3.12.ja1955
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