歴代志上 15:1-4
『ダビデはダビデの町のうちに自分のために家を建て、また神の箱のために所を備え、これがために幕屋を張った。 ダビデは言った、「神の箱をかくべき者はただレビびとのみである。主が主の箱をかかせ、また主に長く仕えさせるために彼らを選ばれたからである」。 ダビデは主の箱をこれがために備えた所にかき上るため、イスラエルをことごとくエルサレムに集めた。 ダビデはまたアロンの子孫とレビびとを集めた。』
一度は神の箱をエルサレムに迎え入れることに頓挫したダビデでしたが、自らの家を構えた後、再び神の箱をダビデの町にお迎えすることに取り組みました。そのためにダビデは場所を整え、神の箱を安置する幕屋を張って、用意周到に準備しました。そしてイスラエルの全会衆をエルサレムに集め、神様がモーセに告げられた定めに従って祭司と神の箱を肩に担うレビ人たちを召集しました。
私たちが礼拝を捧げるとき、また神様を心にお迎えするとき、礼拝に備えて心を整えることが大切です。そのために聖書をよく読み、御言葉に聞き従い、神様の御心に適う信仰生活を日々送ることが、礼拝への備えとなります。私たちは神の宮です。よく整えられ、きよめられた心に、聖霊なる神様は喜んで住んでくださいます。
http://bible.com/81/1ch.15.1-4.ja1955
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歴代志上 15:11-15
『ダビデは祭司ザドクとアビヤタル、およびレビびとウリエル、アサヤ、ヨエル、シマヤ、エリエル、アミナダブを召し、 彼らに言った、「あなたがたはレビびとの氏族の長である。あなたがたとあなたがたの兄弟はともに身を清め、イスラエルの神、主の箱をわたしがそのために備えた所にかき上りなさい。 さきにこれをかいた者があなたがたでなかったので、われわれの神、主はわれわれを撃たれました。これはわれわれがその定めにしたがってそれを扱わなかったからです」。 そこで祭司たちとレビびとたちはイスラエルの神、主の箱をかき上るために身を清め、 レビびとたちはモーセが主の言葉にしたがって命じたように、神の箱をさおをもって肩にになった。』
神の箱をエルサレムの町にお迎えするに際し、ダビデ王はレビ人たちに、身をきよめてこの奉仕にあたるように命じました。そして以前、神の箱をダビデの町に運び入れることができなかった理由は、神様が命じられた方法ではなく、自分たちのやりやすい方法で運んだからだと、自らの非を認めて反省し、正しい手順で行うように改めました。
私たちもまた、自分たちの都合の良いように神様を礼拝し、勝手気ままに日々の生活を送ってはいないでしょうか。神様を自分のやり方や生き方に当てはめようとするのではなく、聖書の御言葉、神様のご命令に合致するように、私たちが自らの考えやライフスタイルを変えて行かなければなりません。聖書を読み、あるいは礼拝メッセージを通して、心に刺さる御言葉を示され、改めなければと感じたことには直ちに取り組み、神様に喜ばれる信仰生活を送る者へと変えられてゆく私たちでありますように。
http://bible.com/81/1ch.15.11-15.ja1955
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歴代志上 15:16, 25-28
「ダビデはまたレビびとの長たちに、その兄弟たちを選んで歌うたう者となし、立琴と琴とシンバルなどの楽器を打ちはやし、喜びの声をあげることを命じた。
…
ダビデとイスラエルの長老たちおよび千人の長たちは行って、オベデ・エドムの家から主の契約の箱を喜び勇んでかき上った。 神が主の契約の箱をかくレビびとを助けられたので、彼らは雄牛七頭、雄羊七頭をささげた。 ダビデは亜麻布の衣服を着ていた。箱をかくすべてのレビびとは、歌うたう者、音楽をつかさどるケナニヤも同様である。ダビデはまた亜麻布のエポデを着ていた。 こうしてイスラエルは皆、声をあげ、角笛を吹きならし、ラッパと、シンバルと、立琴と琴をもって打ちはやして主の契約の箱をかき上った。」
神の箱をエルサレムの町にお迎えするにあたり、ダビデ王はレビ人たちに命じて聖歌隊を編成して力の限り主を讃美し、また主に向かって犠牲の雄牛と雄羊を捧げました。それぞれ7頭ずつの犠牲は、完全な捧げものを表します。私たちもまた神様を礼拝するにあたり、精一杯の讃美と最大限の捧げものをもって、神様を心にお迎えする喜びを表す者でありたいと願います。
http://bible.com/81/1ch.15.16,25-28.ja1955
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歴代志上 15:29
「主の契約の箱がダビデの町にはいったとき、サウルの娘ミカルが窓からながめ、ダビデ王の舞い踊るのを見て、心のうちに彼をいやしめた。」
サムエル記下6章には、神様の御前に喜びを表すために力を尽くして歌い踊ったダビデを蔑んだミカルはその後、死ぬまで子どもを授からなかったと記されています。当時の女性にとって、子宝に恵まれることは最高の神様の祝福と見なされていましたから、ミカルは祝福を得ることなく死んでいったこととなります。
礼拝や讃美のスタイルはいろいろありますが、讃美や踊りなどをもって力の限りを尽くして神様を心にお迎えする喜びを表す者の輪に加わろうとせず、斜に構えて見下すような態度を取る者は、決して神様の祝福に与ることはできません。たとい自分の好みではなく、受け入れられなくても、神様に栄光を帰する姿を批判したり、蔑むような態度を決して取ってはなりません。むしろ自分の殻を破って讃美の輪に入り、全身全霊を傾けて共に主を喜び祝う私たちでありますように。
http://bible.com/81/1ch.15.29.ja1955
『ダビデはダビデの町のうちに自分のために家を建て、また神の箱のために所を備え、これがために幕屋を張った。 ダビデは言った、「神の箱をかくべき者はただレビびとのみである。主が主の箱をかかせ、また主に長く仕えさせるために彼らを選ばれたからである」。 ダビデは主の箱をこれがために備えた所にかき上るため、イスラエルをことごとくエルサレムに集めた。 ダビデはまたアロンの子孫とレビびとを集めた。』
一度は神の箱をエルサレムに迎え入れることに頓挫したダビデでしたが、自らの家を構えた後、再び神の箱をダビデの町にお迎えすることに取り組みました。そのためにダビデは場所を整え、神の箱を安置する幕屋を張って、用意周到に準備しました。そしてイスラエルの全会衆をエルサレムに集め、神様がモーセに告げられた定めに従って祭司と神の箱を肩に担うレビ人たちを召集しました。
私たちが礼拝を捧げるとき、また神様を心にお迎えするとき、礼拝に備えて心を整えることが大切です。そのために聖書をよく読み、御言葉に聞き従い、神様の御心に適う信仰生活を日々送ることが、礼拝への備えとなります。私たちは神の宮です。よく整えられ、きよめられた心に、聖霊なる神様は喜んで住んでくださいます。
http://bible.com/81/1ch.15.1-4.ja1955
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歴代志上 15:11-15
『ダビデは祭司ザドクとアビヤタル、およびレビびとウリエル、アサヤ、ヨエル、シマヤ、エリエル、アミナダブを召し、 彼らに言った、「あなたがたはレビびとの氏族の長である。あなたがたとあなたがたの兄弟はともに身を清め、イスラエルの神、主の箱をわたしがそのために備えた所にかき上りなさい。 さきにこれをかいた者があなたがたでなかったので、われわれの神、主はわれわれを撃たれました。これはわれわれがその定めにしたがってそれを扱わなかったからです」。 そこで祭司たちとレビびとたちはイスラエルの神、主の箱をかき上るために身を清め、 レビびとたちはモーセが主の言葉にしたがって命じたように、神の箱をさおをもって肩にになった。』
神の箱をエルサレムの町にお迎えするに際し、ダビデ王はレビ人たちに、身をきよめてこの奉仕にあたるように命じました。そして以前、神の箱をダビデの町に運び入れることができなかった理由は、神様が命じられた方法ではなく、自分たちのやりやすい方法で運んだからだと、自らの非を認めて反省し、正しい手順で行うように改めました。
私たちもまた、自分たちの都合の良いように神様を礼拝し、勝手気ままに日々の生活を送ってはいないでしょうか。神様を自分のやり方や生き方に当てはめようとするのではなく、聖書の御言葉、神様のご命令に合致するように、私たちが自らの考えやライフスタイルを変えて行かなければなりません。聖書を読み、あるいは礼拝メッセージを通して、心に刺さる御言葉を示され、改めなければと感じたことには直ちに取り組み、神様に喜ばれる信仰生活を送る者へと変えられてゆく私たちでありますように。
http://bible.com/81/1ch.15.11-15.ja1955
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歴代志上 15:16, 25-28
「ダビデはまたレビびとの長たちに、その兄弟たちを選んで歌うたう者となし、立琴と琴とシンバルなどの楽器を打ちはやし、喜びの声をあげることを命じた。
…
ダビデとイスラエルの長老たちおよび千人の長たちは行って、オベデ・エドムの家から主の契約の箱を喜び勇んでかき上った。 神が主の契約の箱をかくレビびとを助けられたので、彼らは雄牛七頭、雄羊七頭をささげた。 ダビデは亜麻布の衣服を着ていた。箱をかくすべてのレビびとは、歌うたう者、音楽をつかさどるケナニヤも同様である。ダビデはまた亜麻布のエポデを着ていた。 こうしてイスラエルは皆、声をあげ、角笛を吹きならし、ラッパと、シンバルと、立琴と琴をもって打ちはやして主の契約の箱をかき上った。」
神の箱をエルサレムの町にお迎えするにあたり、ダビデ王はレビ人たちに命じて聖歌隊を編成して力の限り主を讃美し、また主に向かって犠牲の雄牛と雄羊を捧げました。それぞれ7頭ずつの犠牲は、完全な捧げものを表します。私たちもまた神様を礼拝するにあたり、精一杯の讃美と最大限の捧げものをもって、神様を心にお迎えする喜びを表す者でありたいと願います。
http://bible.com/81/1ch.15.16,25-28.ja1955
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歴代志上 15:29
「主の契約の箱がダビデの町にはいったとき、サウルの娘ミカルが窓からながめ、ダビデ王の舞い踊るのを見て、心のうちに彼をいやしめた。」
サムエル記下6章には、神様の御前に喜びを表すために力を尽くして歌い踊ったダビデを蔑んだミカルはその後、死ぬまで子どもを授からなかったと記されています。当時の女性にとって、子宝に恵まれることは最高の神様の祝福と見なされていましたから、ミカルは祝福を得ることなく死んでいったこととなります。
礼拝や讃美のスタイルはいろいろありますが、讃美や踊りなどをもって力の限りを尽くして神様を心にお迎えする喜びを表す者の輪に加わろうとせず、斜に構えて見下すような態度を取る者は、決して神様の祝福に与ることはできません。たとい自分の好みではなく、受け入れられなくても、神様に栄光を帰する姿を批判したり、蔑むような態度を決して取ってはなりません。むしろ自分の殻を破って讃美の輪に入り、全身全霊を傾けて共に主を喜び祝う私たちでありますように。
http://bible.com/81/1ch.15.29.ja1955