「都度、こまめに、使いここちよい形に調整をする」
レシピ通りに結んだからそのまま役立つ、とは限りません。
たとえば、袋状にしたときの持ち手の長さが、ちょっと長い/短いというときに
結び目の大きさを変えることで取っ手を伸ばしたり縮めたりできるので、
そうやって自分自身のからだにとって使いやすい状態に整えることができます。
また、使いはじめはちょうどよくても、だんだん中身の重さなどで
持ち手の布が伸びて、長すぎに変化することもあります。
結び目が緩むこともあります。
行きはげんきだから片手で持って行けたが、帰りは疲れたから
背負ったり斜めがけにしよう、ということもできます。
風呂敷は、使い方の決まった道具ではなく、いちからいかようにも
生み出せる材料なので、ちっとも我慢が要りません。
少しでも不便を感じたら、改良すべく結び直すことで、
ずっといい感じでいくことができます。
ちょっとしたさじ加減が天地の差を生みますし、
見映えのよい結び方でも、自分にとって使いやすいかどうかは
別の話です。
同じ重さでも、持つ人の体力や持ち方、身体のつかい方によって
しんどかったり軽快だったりと、千差万別です。
それでも、いつも風呂敷をつかっていると、それに合った
からだの使い方なり筋肉ができてくるので、
だんだん身体化してきます。そうなれば、
別段凝った結び方をせずにシンプルなお弁当の結び方だけでも、
自分のからだとの組み合わせによって、まことに結構な
存在となります。
この時代、テンポよく分かりやすいハウツー動画を簡単に
検索できますが、誰かがたまたま紹介したかった結びを
再現しようととらわれることなく、
愚直な独習で、布とコミュニケーションをとりながら
自己流にひも解いていく、そういう人がふえたほうが
世の中たのしくなるし、文化や技術としての深さが生まれるでしょう。
風呂敷をつかうのが目的ではなく、
自分のからだをより便利につかいこなすための
拡張&形状記憶オプションですので、
必要がなければ、ただ手でつかんで運べばよいし、
荷物が多ければ、誰かと手分けすればよい。
とにかく、無駄な無理や我慢をせず、ここちよく物事を
はこんでゆくために、自分の手足の分身として
風呂敷を役立てたらよいと思っています。
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