ふろしき王子のブログ◎
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雨です。
今日は放課後時間に、近所の造形教室で子どもと大人と
絵の具や絵をします。

こんな日にお似合いの、カエル柄の小風呂敷を10枚ほど縫っていました。

余った布をつなげて、同じカエルながら地色が2色ある
パッチワーク風呂敷にして、2枚しかとれないし
家族用にしましたが、むしろこの余りきれを生かした風呂敷も
おしゃれで作品感がある。

普通の方が1枚1000円なら、つなげたものは1500円で出せそう。
もちろん、手間も多くかかっているわけで。

ともあれそんな雨の日なので、この後行く造形教室でも
カエルやおたまじゃくしの絵を描きたくもある。

庭では雨の降り初めなどしとしとする前後に
樹上のアマガエルがアヒルのように鳴く。

それが、先日、都心の田町(品川と浜松町の間)の運河沿いの樹の辺りからも
アマガエルの声が聞こえたのにはびっくりした。

自然に触れたきゃ田舎や山奥へ行かなきゃなんないなんてことはなくて、
ちょっとした居場所があれば、生きものは躍動するのだ。
何しろ、蟻にとっては一本の木だって生涯かけても周り切れないほどの
大世界なのだ。

子どもからカエルの描き方分かんないから描いて、と頼まれたとき、
描くときもあるけど、あえて「あたしも分かんないから、
とりあえず、カエルの居そうな所を描こう」と言って、

水辺や池、水草、木、餌の虫など、環境をまず描く。
すると、白紙によりもずっとカエルが描きやすくなる。

カエルがいるから池が現れるというよりは、
池があるからカエルが出現する方が自然で、
育む側が先にある。宇宙が地球を育み、地球がわたしたちを生かさす。

けれども、母親というのは赤ちゃんを産んでからなっていくもので、
先に母親になってから赤ちゃんを産むわけではない。
産み、育てることで母親になっていく。
それは里親であっても同じ。

そういう視点では、もちろん初めに池があるわけだけど、
そこにカエルが棲みつくことによって、池が豊かになっていく。
持ちつ持たれつで、カエルが虫を食べて糞をして、
その糞が池の水草を殖やし、お蔭で稚魚の隠れ家ができるように。

一見脈絡のないことでも、裏で全てつながっている。

雨が降ったことで、家仕事となり、カエルの風呂敷を縫って、
それが元で誰かと交流が生まれたりする。


末娘に収穫されてしまった、まだ白い苺。

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