ふろしき王子のブログ◎
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世の中は、たまに大きな変わり目こそあれ、
基本的には一歩いっぽ歩んでいく。

流れの方向を変えることは難しいが、行き着く所までいけば、
自ずから流れの向きは変化する。
それは、佳きことでも嘆かわしきことでも同じ。
体験しながら徐々に意識が変わり、新しい流れのベクトルが決まる。

だから、火種のあるうちは戦争が起きる方向に進みやすく
それを変えるのはとても難しいけれど、
もしも起きて凄惨を身にしみた人々の意識は
新たしき風を生む。
希望のない言い方かもしれない。
でも、戦争といえども、一人一人の不平やストレスがより集まったエネルギーを、
どなたか戦争によって益する人間が利用して起こされるものだから、
大もとは、一人ひとりの、毎日の暮らしや人づきあいの中での
ちょっとした不満や憎しみが原因。
そこにつけ込んだ武器商人によって、規模や加害力が増すにすぎない。

戦争は起きないにこしたことはないが、
たとえば、いじめられっこがずっと我慢しつづけていたり
奴隷が苛酷な搾取の中、反乱を起こさなければ平和なのか。

兄弟喧嘩も、何かがきっかけで爆発して、
親の介添えまたは自分たちで折り合いつけて解決する
というのは戦争と似ているが
大人の兄弟喧嘩は殺傷力と周囲の巻き込み度合いも大きく、
しかも 勝ったほうが負けた方に後々まで制裁を与えつづけるという
不徳の極み。

ただし、人類全体の意識は昔よりも今のほうが愛があると信じるので、
非道い勢力がそのまま勝って幅をきかせることは
この先は減っていくだろう。
とはいえ、はじめに述べたように一歩ずつしか世は変わらないから、
むごい行為をはたらいている側への反撃、懲罰の大義があれば
核爆弾も平気で使用される可能性がある。

大昔のほうが平和だったということもなく、
血族の絆がつよい分、よそ者との小競り合いは頻発していたし、
その時代に核兵器があれば使われていただろう。
幾度もの戦を経験してきた遺伝子を持つ今の人ほうが
安定を求める思いはつよいでしょう。

これからも大変な時代がつづくだろうけど、
今まで隠されてきたことを明らかにしながら
真の解決や前進を地道に築きかさね、
みなで明日に向かっていこう。
今は変わり者扱いされようと、氣づいた人から
希望あふれる将来のために、純真に大胆に、チャレンジしよう。

今宵、なばなはスルスルとはぐくむ。
虫の巣のフタはひらき、すやすやと寝息が漏れる。

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