呑む気オヤジ/蔵王山麓蓬莱庵便り

蔵王山麓暮らしのオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

呑む気オヤジの、読む!~「出口のない海」

2012-09-09 | 温泉
出口のない海 (講談社文庫)
横山 秀夫
講談社


♪「出口のない海」横山秀夫著(講談社文庫)

会社の読書部(勝手に仙台支店内でそう呼んでいる)メンバーからの推薦図書。せめて8月は60数年前の日本の惨状、誤った政治や軍部独走の恐怖、当時の国民の苦難と悲嘆の日々に思いを馳せよう、という意味もあり。

甲子園の優勝投手で、将来を嘱望され大学に入学した並木だったが、腕の故障で鳴かず飛ばずの日々を過ごす。そのうちに日中戦争の戦果は広がり、ついに日米開戦。並木は自分ではどうしようもない時代の流れ、運命により、海軍の特殊作戦である人間魚雷「回天」搭乗の任務に就く。
死ぬための過酷な訓練が続く中、それでも並木は夢であり絶対できると信じている「魔球」完成に余念がない。そして最初で最後の出撃が近づくが…。

警察小説の雄、横山秀雄が描く戦記ものなので、これは息もつけぬほどの迫力ある文章で、ぐいぐい引っ張りこまれるものと思って読み始めた。しかしその文章は淡々としていて、ちょっと拍子抜け。しかし、将来国家を背負って立つ大学生までが、戦地に駆り立てられ、要は健康な若い男はみんな戦争に行けという異常な状況が、その淡々とした文章からもヒシヒシと伝わってくる。
そして並木の最後。何とも無念だったことだろう。最後になってようやく本作のタイトルの意味が分かる。なんともむなしい、でも並木たち当時の若者の志の高さに感銘を受け、ある意味読後感は爽やかだった。

敗戦から67年。大戦の記憶はどんどん風化している。戦前・戦中生まれはどんどん減少している。昭和5年生まれで終戦時に15歳だったウチの母も、もう82歳。
僕たちぐらいまでは、親たちからそれなりに戦中・戦後の辛い時代の話を聞いているが、当然実体験ではない。まして我々の子供の代になれば、全く実感を伴わないだろう。
我々も、いろいろな形で戦争の実態を後世に伝え、二度と過ちを繰り返さないようにしなければならないことを強く感じた小説だった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また、また、また、蜂窩織炎!

2012-09-09 | 健康の話
金曜の午後から、なんだか体がだるくなってきた。
夕方には熱も出てきた感じ…。
ン?右足の脛が熱っぽい? おいおい、ついこの前左足が蜂窩織炎になったばっかりじゃないか。
でも熱感が出てきたよ。
えー、勘弁してよー、土曜日は朝早くから川崎に行って、合唱練習に参加するのにー。
あー、やっぱり右の脛が張って熱っぽくなってきた。
頭痛もするぞ、これは38℃は超えているな。
ダメだー、調子悪いー、帰ります!

6時前に会社を出て、タクシーで帰って来た。
熱を測ったら38.8℃、なんかいつもより体がフラフラする。風邪かなぁ、蜂窩織炎かなぁ。
7月の月初に初めて左足に蜂窩織炎が出て、治るまでに1か月以上かかった。治ったのは数週間前ではないか。いい加減嫌になるね。
なんか体内の免疫力というか、自浄能力というか、そういったものが相当に落ちている気がする。
蜂窩織炎で39℃の熱が出るのは、もう慣れたものだが、今回はなんだか辛くて、頭も朦朧としている。
2Fに上がるのも面倒で、仏壇の前に布団を敷いて、翌日の上京のための新幹線を「えきねっと」でキャンセルして、9時には寝た。

PS)
今朝、僕の主治医である従弟の病院に行って診てもらったら、やっぱり蜂窩織炎でしょう、ということ。
点滴してもらって、抗生物質と痛み止めの薬を出してもらった。昼に薬を飲んでまた寝ていたら、夜には平熱に下がった。
今回は炎症の度合いが軽かったようだ。軽けりゃ良いというものではないんだけどね…。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする