呑む気オヤジ/蔵王山麓蓬莱庵便り

蔵王山麓暮らしのオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

では、僕は22歳の頃に何をやっていたのか~クラギ三昧でした

2009-07-31 | 徒然なるままに

(要安静でちょっと暇なもので、つい余計なことを書いておりますが・・・)

息子のことをどうのこうのという前に、オヤジはその頃なにをやっていたんだい?

僕は一浪して大学に入ったので、22才と言えば3年生。
勉強はほとんどしなかったけれど、それでもゼミに参加して先生や仲間と楽しく勉学に勤しんでおりました。
それとクラブ活動。これは本当に一生懸命やったね。
クラシックギターのアンサンブルのクラブだった。
僕が3年の時のアンサンブルは20名強の小編成だったけれど、一応指揮者でしたよ!
自分なりに独学で楽典やら指揮法を勉強して、何とかやっておりました。
定演では、アンサンブルの他にソロやデュオ、僕がフルートを吹いてギターと二重奏をしたこともある。
クラブそのものは、その他に初心者グループとかリタイア4年生を加える総勢は40名ぐらいだった。
ゼミの時間と要出席の授業時間以外はほとんど部室に入り浸り。
帰りはクラブの連中と駅まで行って、夕飯を食べるか一杯呑むか・・・。毎日のようにみんな一緒だったね。
帰りが別なときでも、駅の「伝言板」を見ると「クラギ、○○」と安居酒屋の名前が書いてある。
そこへ顔を出せば、みんなに会えるというわけ。
まぁ、いろいろ辛いことも大変なこともあったけれど、やっぱり楽しかったなぁ。
今の男声合唱団の雰囲気が、昔のクラブ活動に通ずるものがあり、楽しいんだね。
合唱団のメンバーと呑んでいると学生時代を思い出す。
今の仲間も、20代の青年のようにキラキラ輝いていますよ!


画像は30年前の我が勇姿!?別人みたい??
(ブロガーって、やっぱりナルシストだな・・・)
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またまた蜂巣炎!体調が悪いときは弱気になる・・・

2009-07-31 | 健康の話
一昨日は、北海道支店で一緒だったメンバーが研修で上京してきたために、当時の仲間が6名ほど集まった。
数寄屋橋の「いちにいさん」で豚しゃぶを食べながら焼酎を呑んで、久々に北海道ネタで盛り上がったのだが、呑みながらどうも右足の脛に違和感がある。
ありゃぁ~、また蜂巣炎(蜂眼窩織炎=ほうかしきえん)かなぁ~。
段々脛が赤くなってきて熱も持ち始めたので、これは間違いなし。
家に帰って熱を計ってみると、37.4℃だ。こりゃ、この前の続きだな。
しかしこの前は6月の末だった。その時が1年ぶりだったので何でかと思ったが、1ヶ月もしないうちに「再発」状態だ。
確かに前回は1週間抗生物質を呑んで、足の腫れも熱も引いたのだが、なんか脛に違和感が残っていたんだよね。
案の定、再発した。ということは完全に治っていなかったということだ。
薬は暫く飲み続けなければならないんだろうか。
お医者さんは「もういいですよ、お酒も別に大丈夫でしょう」と言っていたのに。

ということで、木曜日はお休みを頂いた。だから「京葉線が停電で止まって大混乱」というニュースには関係なし。幕張の皆さん、すみません!
そして今日、熱もほぼ平熱に戻ったので会社に行こうと思えば行けないことはなかったんだけれど、医者は極力安静にしておけというし、遠距離を無理して出社して、また熱が上がっても困る。(会社にもあまり行きたくない事情もあり・・・?)
お医者さんの言いつけをしっかり聞いて、今日もお休みといたしました。
ハイ、まじめに専業主夫をやりながら、ブログの更新などやって「安静」に努めております!

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体調の良くないときは、気分も乗らず、気弱になるものだ。
ブログで息子のことなどを書き、昔の写真をアップしていたら、万感の想いが胸に迫ってきた。
息子たちの屈託のない笑顔、妻にまとわり付く次男、ひょうきん顔の長男、妻だって僕だって平和な顔をしている。
あの頃はたった10年後にこんなことになっているとは誰一人思わなかった。
何でこんなことになってしまったんだろう。誰が悪いんだろう・・・?
息子たちはこんな写真をみて、何を想うんだろう。
妻は空の上で、どんな気持ちで僕たちを見下ろしているんだろう・・・。
体調を崩して家に一人でいると、なんか弱気になるなぁ~。
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長男の誕生日

2009-07-31 | 家族のこと

今日は長男の22回目の誕生日だ。
22歳、大学4年生・・・、親としては感慨深きこと一入(ひとしお)である。

これまでも何度か書いてきたが、長男は小さい頃から僕の型に嵌めて育ててきた気がする。
僕の思うところ、目指すところに長男を何とか導こうとしてきた。
だから勉強も遊びも僕の押し付けで、「これは面白いぞ、こうすると上手くいくぞ」
で、上手く出来ないと「何でこんなことが出来ないんだ、簡単じゃないか」と思わず怒ってしまう。
だから、長男は子供の頃から「良い子・聞き分けの良い子」だった。
多分父親に気に入られよう、父親に怒られないようにしよう、と無意識に行動していたのではないか。
成人した今でも、それこそ無意識のうちに父親の顔色を窺ってるところがある。
長男のいろいろな可能性やら能力をスポイルしてしまったのではないかと、今でも後悔している。
世の中を斜に構えて見るところ、優柔不断なところ、集中力がないところ、みんな僕のせいじゃないか・・・。
妻に対する後悔とともに、子育てについても悔いが残る。

そうは言っても、取り敢えず22歳だ。
この世界的大不況の中、一応就職も決まった。
CDやDVDレンタルの大手(TSUTAYAではありません)で、要員確保のため相当大量採用しているようだし、一体どういう職種になるのか、将来性はどうなのか・・・。
親としてはいろいろ心配な部分は多いが、まぁ正社員として働けるのだから良しとすべしだね。
息子たちとは、今でも親というよりは、もう大人同士対等に接しているつもりだ。
特に長男とは、これからは「社会人同士(同志)」の付き合いだ。
そして親としては、まさに息子たちに悔いのない人生を過ごして欲しいと望むばかりだ。
Yuよ、これからの君の活躍を祈念する。Many happy returns of the day!

PS)
妻には、せめて長男の大学卒業(=就職)や次男の大学入学までは見届けさせたかった。
結果的に、長男はなんとか卒業し就職するだろうが、次男は早くも大学をリタイア。
でも、少なくとも次男の高校の卒業証書や入学通知、長男の大学の卒業証書ぐらいは見たかったろう。
息子たちだって同じ気持ちに違いない。
失くして(亡くして)分かる家族の大切さ、ありがたさ、その愛情・・・。
せめてその気持ちを糧に、残った僕たちは毎日々々を大事にして生きていこう!


*画像は、10~11年前の襟裳岬。北海道最後の夏か。
長男が12歳?次男は9歳?妻はまだ40歳になったばかりかなぁ。
コメント (2)
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