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十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

占いをすることなかれ

2010年03月26日 | 佛教
 先行き見通しが利かない時代のためか、占いがブームとなっている。
 他愛のないものが多く娯楽的にやっている分には支障はないと思うが、結構入れ込む人がいるようである。占い依存が高じると占い依存症と一種の病気状態に陥ってしまっている人もいるようである。

 私も若かりし頃挫折続きで人の運命について関心を持った時期があり、周りに祖母とか母とか占い好きの人間がいたこともあり、いろいろと本を読んでみた。それに自分を当てはめてみたが真っ当に当るようなことはなかった。当たり障りのないこと、どちらともとれることが書かれているのである。つまり、養生すれば病気が治るみたいなことが書いてある。これって治っても治らなくてもよいのである。養生が条件になっているからである。

 後日人の運命は「その人の根性によってそれに応じた運命が展開してくる。良き運命を願うなら根性の点数を上げよ」という小田原のはじめ塾の和田重正という先生の文章を読んで納得、占い事から一切手を引いた。右するか左するか大概は判断のつくところだし、まこと条件が同じで今すぐ判断を下さなければならないとしたら、コイントスでもして決めればいいのである。これでも自分の運命は自分で決めたのであるから結果はどうあれ納得というものである。

 仏教の教えにも占いを禁じる言葉ある。

「吉凶占い、天変地異占い、夢占い、(ものに表われた吉凶の)相の占いを除去し、彼は吉凶占いの誤りを捨てたのである。かの行乞者は正しくこの世に遍歴するであろう。」(360)
「呪法、夢占い、占相、また星占いを行なってはならない。また(動物による)声占い、懐妊術や治療を、わたしの弟子は行なってはならない。(927、宮坂宥勝 訳 『ブッダの教え──スッタニパータ』法蔵館、2002年



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