十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

上座仏教の生命観

2023年01月14日 | 佛教

 以前はヤフーの知恵袋で、多くの回答を書いてきたが、近頃はあまり覗かなくなった。回答する気の起こらない、私の関心を呼ばない質問が増えて来たようだ。

 で、近頃はツイッターを見ることが多くなった。仏教関係のツイートにリツイートすることがほとんどである。

 その中で、特に気になるものがあったので、紹介する。

アーチャン・チャーと上座仏教の僧侶の言葉である。

「もし、あなたが「人」というものは実際には存在せず、本当はただ五蘊とその要素だけが存在すると明晰に理解することができるのなら、誰かがあなたに何か言っても、もはやそれは大したことではないでしょう。

 けれども、もしただ存在するのは五蘊だけであるということを理解していない人が中傷されたり、侮辱されたりしたら、彼はあまりいい気はしないでしょう。その場合、中傷に対し、彼は歯を食いしばって自分を抑えなければならないことになるのです。」

 これは、「人」は存在せず、五蘊だけが存在すると言っている。

 「人」は五蘊と要素からできており、縁起による要素の寄せ集めに過ぎない。だから、「人」が存在すると言えないと言うのである。

 「無我」ということを文字通りに我の存在を否定している。が、存在している自分を否定するのはやはり無理がある。五蘊があって「人」があるのではない。

 五蘊なんてどこにある?

 初めに「人」がいるのである。「初めにいのちありき」である。それを分析的に考えると、五蘊に分けて考えることができる。

 考えられるが実際には分けようもない。無理に分けようとすれば「人」は死んでしまう。ありもしない五蘊を組み合わせて「人」にできるはずもないのである。

 縁起というのは、いろんな要素の寄せ集めである。その要素は無限なのである。人間の思量では届かないものである。

 五蘊なんてたった5つの要素にすぎない。

 人体(内向考察)→37兆の細胞→分子→原子→素粒子⇒宇宙力
 人体(外向考察)→地球→太陽系→銀河→銀河団→大規模構造→宇宙⇒宇宙力

 宇宙力とは宇宙を生み出し構成する力、私の造語(多分)である。 

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