十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

縁は切れない

2023年05月14日 | 佛教

 ヤフーの知恵袋で一切皆苦、十二支縁起、四諦、諸行無常、諸法無我等の質問があったので、下のとおり回答を書いた。

 仏教の根本教説は縁起説、あらゆる教説は縁起を根本としそれから派生したものである。

 ところが縁起が切ったり結んだり、あったりなかったりしている。私は縁は切れない、切りようがないと考える。宇宙の果まで繋がっているのである。

 

「以下知恵袋の文章」

 仏教の根本命題は苦からの解脱です。それをいろいろの視点から説いています。
 物事を分析的に見る、諸要素にバラバラしてしまう。それらが仮にくっついて成り立っている、つまり、縁起だというわけです。
 本来、バラバラなものだから実態はない、無我、無常、無自性だというわけ。だから、自分も存在しない、その苦しみも本来ないのだというのです。

 しかし、これは無茶な論理です。それで納得しているのがおかしいでしょう。

 例えば、五蘊説というのがある。人間生命を色受想行識の五蘊から成り立っているという。では五蘊に分かられるかというと実際に分けようがない、無理に分ければ死んでしまいます。
 元々、生命がちゃんとあるのです。そして、生きているのです。
バラシは頭の中での思考によるもので、実際にはバラせていない。バラしようがないのです。

 仏教の根本教説は縁起説です。
縁というのは繋がりです。それは切りようがないのです。
ところが、皆んな切って考える、切ったものをくっつけても元には戻りません。

 我々の身体も切り分けられるとして切り分けて行くと、素粒子まで行ってしまいます。素粒子には4つの力が働いていて、電磁力と重力は影響範囲が無限大で相互作用していると言います。
相互作用は仏教で言うところの縁ですから、実は縁は切れないのです。

 ところが従来の仏教の縁は切れてしまいます。切ったり結んだり、あったりなかったり。

 切れない縁で仏教を考え直す時代に来ています。
誰がそんな事を言っている? 私が言っているのです。(笑)

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