十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

真実と事実(14)七仏通戒偈

2024年01月30日 | 一法言

 佐々木閑 花園大学特別教授は現在アビダルマの講義をされている。

 婆沙論によると、釈尊は前世において、3阿僧祇劫+90劫の修行の期間があり、その間において228006人の仏に会いそれぞれから仏になれるという授記を受けたというのである。

 最後の90劫の間に出会った6人の仏、( 毘婆尸(びばしぶつ)、尸棄(しきぶつ)、毘舎浮(びしゃぶぶつ)、拘留孫(くるそんぶつ)、拘那含牟尼(くなごんむにぶつ)、迦葉(かしょうぶつ)、その過去仏に釈迦牟尼仏を加えたものが七仏ということになる。

 そのどの仏も共通して説かれた戒めの言葉が七仏通戒偈という。

  • 諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと莫(な)く
  • 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い
  • 自浄其意(じじょうごい) ― 自ら其の意(こころ)を浄くす
  • 是諸仏教(ぜしょぶっきょう) ― 是がもろもろの仏の教えなり

 具体的にどうするのかというと、私は次のとおりと考える。 

「諸悪莫作 衆善奉行」  事実界を分別智を用い、つまり瞑想等の実践行によって清浄ならしめること

 「自浄其意」      真実界を無分別智を用い、つまり禅定によって清浄ならしめること

 佐々木先生は、仏道修行は瞑想修行が大事と言われている。瞑想とは精神集中だと言われる。この意見には賛成できない。精神となにか、誰がどこにどのように集中するのか。

 坐禅は集中ではない。集中を解くことである。内山興正老師のいうように頭の手放しである。といってだらっとすることではない。

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