すっかりご無沙汰しておりました。お見限りになってしまったかもと思いつつも、見て頂いている方がおられありがたく思っています。
今回は内山興正老師の自己方程式を紹介し、その式を私なりの解釈で分り易い形にして説明したい。
まず、老師の「人生科読本」という著作から、その自己方程式の説明部分の一部を引用する。この方程式は老師自慢の方程式で、他の本や講演なんかでよく用いられたものである。そして、この方程式は自身ノーベル賞ものと冗談のように言っておられたのを思い出す。
<引用開始>
たしかに「人類」あるいは「日本人」という一般(普遍)概念に対して「一人の人間」あるいは「一人の日本人」という「個」であるかぎりは、この個は普遍のもとに包摂され、従属すべきことは当然です。しかし「生死するマッサラなこの自己」としては、このようなたんなる「個」でのみあるはずはありません。むしろこのような「普遍と個との関係それぐるみ」がじつは「生死する自己の生命体験の一コマ」なのであつて、真実の自己の生命は、それらを含みながら、しかもそれを超えてマッサラに「われ今独り自ら往く」のでなければなりません。
これを分りやすく数学的公式にたとえていうならば、
自己=1=1/1=2/2=3/3=・・・=日本人/日本人=全体/全体
なのであつて、つまり「全体分の全体」であるような自己です。
たとえば、もし国法に忠実である平均的「国民分の1の人間ばかりであるならば、いったん悪法の国においては、この悪法を改める力はもはやどこからもでてくることはないでしょう。永遠に悪法のもとの国民でなければなりますまい。その点一個の国民としてあるかぎりは、どこまでも国法に従うのでなければなりませんが、しかしどこまでも悪法のままであっていいというものではないので、もしこの場合、この国法を改め、新たに国法を創り出してゆくような力がありとすれば、「国民全体分の国民全体」というような自己
を自覚する人たちの与論によってでなければならないのではないでしょうか。<引用終了>
これはたとえば、3/3の例なら、3人家族を考えると、3人のことが頭にちゃんと入っていること、絆、連帯感が保たれているということである。家族が勝手気ままにバラバラで名ばかりのものなら単なる1員過ぎなくなり1/ 3の存在に過ぎないというのである。
しかし、老師は単に1員でもあることでもあるから、1/全体でもあると説明がある。
でも、それが式の外に放り出されているのが、私はどうも気に入らないのである。
そこで、式の変更を試みた。
自己=1=1/1=2/2=3/3=・・・=日本人/日本人=全体/全体=1/全体・全体/ 1
=1/真実・真実/ 1=事実/ 1・1/事実
1/真実・・・宇宙の一欠片、宇宙によって支えられて生かされている自己
真実/ 1・・・宇宙は一欠片の集まりによってできていて、一欠片も欠くことはできない、一欠片によって宇宙は支えられている。
事実/ 1・・・事実は自己の生命体験によって造られたもの
1/事実・・・その生命体験された事実の基づき支えられて生きている