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十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

不幸のどん底

2008年07月15日 | 人生
内山老師の逸話を一つ。

ある地方に講演に行かれた時のこと。
会場に入ると異様な様相、前の方に某宗教団体の信者が大勢陣取り、地元の人は後ろの方に追いやられて坐っていた。早い時間にトラックに分乗し大勢で乗り込んで来たらしい。
講演の後質問をし講師をやり込めるのが目的で、何宗の説教にはこういう話が出るから出たらこういう質問をするというマニュアルができていて、講師が応えられず立ち往生ということになれば「勝った、勝った」と喜び、自分らの信仰が上だと誇示するのである。そしてそれをネタに信者を増やすのだという。

まあ、よほど勉強した者でも何故、何故を連発されれば答に窮するのが当たり前、受身に回ってしまってはお終いである。

さて、老師の話が一通り終わって、質問の時間が設けられていたので代表の者が質問に立った。ところが、老師はそんな質問マニュアルに出てくるような話はされない。いわゆる仏教言葉は現代の平言葉で話されるので質問者はマニュアルにある質問はできないで困ったのでしょう。
で、「先生の話では幸福になれません」と言った。老師は「幸福という言葉は漠然とした言葉です。あなたのいう幸福とは具体的にはどういうことなのか、それをお聞きしないと答えようがありません」と逆質問をしたら、一瞬とまどった顔をして「結局、金と健康でしょう」と答えた。アテがはずれてつい本音が出てしまった。

そこで、「あなたもいずれ死ぬ時が来るでしょう。死に掛かっているのだから、不健康の極みでしょうし、いくらお金を持っていても使いようもなく死に行くあなたには何の価値もないでしょう。金と健康を幸福とするなら、あなたは不幸のどん底で死ぬことになるのですね」と老師が言ったら、こらアカンと思ったのだろう。逃げるように帰ってしまったということである。

まあ、こういう宗教団体にあっては信仰も自分の欲望を満足させるための手段に過ぎず、神、仏もムシンの対象でしかない。
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