十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

生を明らめ死を明きらむるは仏家一大事の因縁なり

2008年07月05日 | 佛教
生に暗く死に冥い人生は虚しいと書いたが、曹洞宗の修証義にも
「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」とある。
で、仏教はまず死を明らかにせよと教える。死が明らかにならなければ生の本当の意味も分からないからである。

ところが、どの宗教も死について死後の世界を持ち出してくる。誰も死後の世界なんてみたことがない。死んで生き返った者は一人もいない。つまり体験者がいないのにである。
仮死体験、臨死体験は確かにあるが、それはまだ死んでいない。生の側にあるのである。それを死を体験してきたように言う者がいる。死に損なった者のヨタ話を信用しかけがえのない己の人生をそれにまかせることの愚かしさ、憐れむべし。

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