”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2016年01月09日 19時07分12秒 | Weblog

1月9日(土) 晴

昨日は思いもかけず知り合いからのお誘いがあって町に出かけた。なんでも昼のパーティーの帰りだと言うことなので、そのまままた飲むと言うのもと思いながら、いろいろ考えていたのだが諸事情があって時間はちょっと早いが飲みに行くことになったのであるが、馴染みの店には断られ、別の知り合いのバーに開店前からおじゃまして何とか事なきを得た。食事もおいしく、飲み物もゲストの要望に合わせたカクテルを作ってくれるので気の利かない自分としてはありがたかった。まぁ自分はあまりお酒が強くないのですがお酒にまつわる話は結構好きなのである。たとえばカクテルなんかについては昔学生時代にパブが流行って、恰好つけてよく行ったものである。

ところでカクテルの女王と言えばご存じとは思いますが「マンハッタン」ですよね。カクテルグラスにレッドチェリーがいいですよね。ではこのマンハッタンですが誰が創案したものかご存知でしょうか?実はイギリスの元首相のウインストン・チャーチルのお母さんなんですね。彼女はニューヨーク生まれで若い頃はニューヨーク社交界の花形だったと言われていました。当時アメリカ大統領選挙の際民主党候補の後援会幹事として熱心に活動していたそうです。ある時その後援会がニューヨークの高級クラブ「マンハッタン」で応援パーティを開くことになった。この時彼女の発案でウィスキーとスイートベルモットを組み合わせたオリジナルカクテルで乾杯することになったそうです。その味は好評で、カクテル名もクラブの名にちなんで「マンハッタン」と決まったそうです。チャーチルのご母堂がカクテル史に名前を残したなんて意外でしょ。
まぁあまり長くなってもなんですがカクテルの女王があるならカクテルの王様もあるはずですがご存知でしょうか?
それは皆さんご存知のドライ・マティーニなんですね。一説にはルーズベルト大統領が良く飲んだことからアメリカ上流社会に広まったと言われています。ではカクテルの王子は・・・と言いだすとキリガ無くなりますのでこの辺で。

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しんさんのよもやま話(ウォーキング16-01)

2016年01月07日 22時50分27秒 | 趣味

1月7日(木) 晴

今日からジパング倶楽部のチケットが使えるため、新幹線で静岡の駿府城跡に出かけました。静岡に越したばかりの先輩と二人で駿府城内を隈なく歩き回りました。駿府城は徳川家康の隠居の城ですが、この場所は戦国時代家康が今川氏の人質となって少年時代を過ごした場所でもあります。今川氏は歴史上は織田信長の奇襲に会って非業の最期を遂げた間抜けな大名のように言われていますが、教養もあり立派な治世をした殿様でした。そのため人質であった竹千代(後の家康)にも有名な臨済寺の住職を付けて教育させていました。それゆえ後に天下を治める素養をこの地で付けたとも言われています。
駿府城は安土城や大阪城にも劣らない立派な天守を持っていた城でしたが、江戸時代に火事で天守を失い、明治になると陸軍の兵舎となったため内堀や石垣しか残っていない城になってしまいましたが、最近東門や巽櫓などが再建され、少し城跡らしくなりました。
写真は東門入口から撮影した写真です。



こちらは内堀と巽櫓の写真です。



本丸跡には家康像があります。



静岡の町はこの駿府城があった駿府公園の周囲に繁華街が立ち並んでおり、自分もこの地に2回勤務していました。従って10数年ぶりに訪れた静岡は懐かしくもあり、昔を忍びながら繁華街もぐるりと回って来ました。もっとも自分が勤務した頃は内堀に囲まれた駿府公園と言うだだっ広い公園しかなかったのですが最近家康公没後400年と言うことでだいぶ整備されて城跡らしくなって来ました。実は駿府城跡は昔いつも行っていた所であるし、いつでも行けると言う安心感から行かずにいましたが、もう中部・北陸の100名城はほとんど行ってしまったので丁度いい機会でした。日帰りで行ける城を適度に入れながら毎年旅行を兼ねて遠くの城に行くつもりなので今年はどこに行くかこれから考えて行くことにします。

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しんさんのよもやま話

2016年01月06日 22時02分30秒 | Weblog

1月6日(水) 曇時々晴

昨日は初飲み会。といっても一人で行って馴染みの常連メンバーと飲んでしゃべってまた一人で帰るだけのことですが。昨年の秋以降ボトルは焼酎からウィスキーに代えて飲みやすくなった気がする。元々ウィスキー党だった自分もリーズナブルにと数年前から変えたのだが最近は安くて飲みやすいウィスキーが多くなったようである。もっとも昔は高いウィスキーしか置いていない所に行っていただけかもしれないのだが・・・。
ところでウィスキーの飲み方にはストレート、ハイボール、オンザロックス、ミズワリ(whiskey and water)とあるが自分は専らミズワリなのです。日本人にはミズワリが多いことから最近では国際線や大都市のホテルではウィスキーアンドウオーターなどと言わなくてもミズワリで通じるようです。日本人には「ウィスキーを水で割って飲むなんて・・・」と言う人もおりますが、実はこの飲み方は既に19世紀初頭のスコットランドでは一般的だったようである。もっとも水で割るかソーダ水で割るかどちらかだったようだが。
そう言えばオンザロックスと言うのも元々はオンジアイセズ(on
the ices)と呼ばれていました。なぜならon the rocksと言ったら船が座礁した時に使う言葉だったのであまり良いイメージじゃなかったからだそうです。ところがアメリカのスラングでロックはダイヤモンドの隠語として使われていたため20世紀初頭のアメリカで氷の輝きがダイヤの輝きを連想させると言うことでオンザロックスと言う表現が使われるようになったようです。それが最近ではもっと実態のイメージを表現するオーバーザロックス(over the rocks)あるいはオーバーロックスと表現されるようになっているようです。また同時にストレートはストレートアップと呼ばれるようになったようです。

たとえば 酒場で JackDaniel please!と注文すると up or over? と問い返される状況が出現するようになっているそうです。要はストレートですかそれともロックですかと聞かれると言う事です。私のような年配者はオンザロックの方が馴染みがあるのですが、そろそろ世界の標準的な表現を知っておかないとと思った次第です。まぁウイスキーに限らずブランデーとかワインやカクテルと言ったお酒にはいろいろな表現があるようです。東京オリンピックがあるからと言うわけでもありませんが外国人観光客が増えた今少しはいろんな表現を知っておきたいものです。もっとも自分にはあまり関係ないことかもしれませんが。

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しんさんのよもやま話

2016年01月04日 18時35分20秒 | Weblog

1月4日(月) 晴

昨年は田舎にいて、介護やら骨折騒ぎで大変な毎日でしたが、今年は母も介護施設に入所したこともあり、早々に名古屋に戻って来た。そして何もない日々を過ごし始めた。TVもあまりおもしろくないので暇にまかせて本を読むことぐらいしかない。昨年末で終了したTVドラマ「下町ロケット」は大のお気に入りだったので改めて文庫本で読み始めた。自分としては以前人気のあったTVドラマ半沢直樹シリーズよりずっと良かった。

どちらも正義が勝つと言う勧善懲悪的ではあるが、倍返しと言った血なまぐささがなくて極めて人情的なのが良かったと思うのである。

特に自分が好きな部分を以下に抜き出してみると

ガウディの開発に行き詰った開発担当に佃が言った一言

 スマートにやろうと思うなよ!泥臭くやれ。

とかく我々は恰好よくやりたいものですが、世の中はそんなに恰好よくできるものなんてない。地べたを這いつくばって形振り構わず取り組んで失敗してまた作り直しての繰り返しの中にしか独自のノウハウなんて出来る訳がないと自分も思う。まぁ自分はもう仕事を止めた身であるけど、若い人には今年の年賀状で時代の変化や周囲に惑わされることなく自分の今ある仕事に頑張ってほしいと書いてしまった。年寄りの冷や水みたいなものだと思いながら・・・。

もう一つ。
サヤマ製作所のデータ艤装が発覚した時、佃が言った一言。

 姑息な了見が通るほど、世の中ってのは甘くないんだよ!

人を騙したり、意地の悪いことはいつか露見する。古い言葉で言えば罰があたると言うこと。泥臭くても誠実にやっていれば必ず良いことがあると信じていることが大切だと思う。そしてそれはいつか認めてもらえるはずです。まぁ目に見えてないかもしれないけどそれはきっと人間としての誇りとなることは間違いない。丁度下町ロケットが放映されている頃、横浜のマンションの耐震偽装が世間を騒がせていました。あれなんかまさに同じことでした。自分も過去に経験があることですが、大勢に反して正しいと思う事を貫き通すことは苦しいことです。仕事を辞する覚悟をした時がありました。でもどこかでちゃんと見ていてくれる人がいることも事実です。帝国重工の財前部長の役員会への具申なども見ている人達はすごいと見るのでしょうけど、財前部長の立場で言えばまさに覚悟しての具申だったと思う。今の日本の企業には財前さんのような侍も少なくなったような気がするのは僕だけなのでしょうか?

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しんさんのよもやま話

2016年01月03日 16時05分49秒 | Weblog

1月3日(日・祝) 晴

昨晩名古屋に帰って来て、今日は年賀状書きと自分の部屋のかたづけでもう日が暮れようとしています。

ところで最近年賀状を書いていると、なぜか書けない漢字が度々あります。いつもパソコン上で書いている時はすぐに変換してくれるので困ることはないが、年に一度年賀状だけは手書きを添えることにしているので度々辞書を引くことになる。
そう言えば「荘子」の言葉にこんなフレーズがあります。

 機械あるものは必ず機事あり 機事ある者は必ず機心あり

便利な機械ができる。すると人間はついついその道具に頼りがちになる。頼りがちになると今度は道具に人間が振り回されるようになる。文字を忘れ辞書を引くことを怠り愚直に調べることをしなくなる。物事を上っ面だけですませ深く考えることもなくなり万事が機械的になる。そうすると人間的な心を喪失してとんでもない結果を招いてしまう。時に機事・機心を払い原点に立ち返るべきではないか。

多分このような意味になると思いますが、まさに自分に言われているような気がしてならない。退職して一人になってみると企業で使っていたような道具はないし、サポートしていた人達もいなくなって自分だけでやって行くことの大切さを改めて知る日となった。

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しんさんのよもやま話

2016年01月01日 21時35分26秒 | Weblog

2016年1月1日(金・祝) 晴

新年明けましておめでとうございます。

良き元日でした。朝日の出前に起きて雲一つない紅富士を見てすがすがしい朝となりました。今年はいつもより雪が少ない感じもしますが、それもまた美しい。



朝一番でお寺さんに新年の挨拶に行くことに。今日は弟たち家族が来ると言うことで、昼前に老人ホームの母を田舎の家に連れてきた。最近あまり歩けないので車椅子を借用したまではよかったが、車椅子から車に乗せるのに一苦労、おまけに車椅子のたたみ方がわからず、ホームのヘルパーさんに聞く始末。田舎の家に着いてからも一苦労。なんとか日当たりの良い応接間のソファーに腰を降ろさせた。母は認知症を患っているので覚えていることと覚えていないことがまだらで話が中々つながらないようだが、弟の家族が来るとすごく喜んでくれたので連れてきて良かったと思う。自分の家族がいないのは少々残念ではあるがまぁしかたない。とりあえず日が暮れる前に弟と二人でホームに戻したが、二人だと車から降ろすのも楽だ。夜は弟たちの家族9人と自分で恒例の焼肉でにぎわった。今みんな帰って片づけを済ませパソコンに向かっている。正月から田舎で独りでは寂しすぎる。今年も賑やかな正月でよかった。母を田舎の家に連れて来れなくなったらこの家にもだれもこなくなってしまうかもしれないがそれまではこんな元旦が続くのだろう。
今日のお寺さんの挨拶で田舎の行事はすべて完了したので明日は名古屋に戻るつもりです。次は中旬に正月飾りの撤去と介護施設の施設への支払いのため来る事になりそう。

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