”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2009年11月12日 21時11分22秒 | Weblog
11月12日(木)晴時々曇

昨日書き損じた日本の神様第3話、毘沙門天の話を再度書いてみましょう。毘沙門天は仏様を守護する四天王の一人、多聞天のことです。元々仏教伝来と共に比較的初期の頃から伝わってきた神様です。多分皆さんは奈良の東大寺の大仏様の四方に四天王が祀られていたことをご存知だと思います。四天王と言うのは広目天、増長天、持国天、多聞天を指します。仏界の北方を守護するのが多聞天ですが、四天王の中でも多聞天は霊威が一番強いとされている武神です。従って初期の多聞天は怨敵退散をつかさどる四天王の一人として多くの寺院に祀られました。聖徳太子も戦いに多聞天の像を持って臨み、勝利のあと四天王寺を作ったと言われています。

その後霊威の強さゆえに単独でも祀られるようになったようです。京都の北方の守護神として鞍馬寺に祀られたのが最初のようです。一般に単独で祀られる時は多聞天と言わずに毘沙門天と言います。毘沙門天は使者が百足と言われ、百足は鉱脈をあらわすことから鉱山業関係者に信仰され、やがて刀鍛冶や金属加工業者に広まっていったそうです。また武神と言うことから武士や貴族の信仰も集めていったようです。上杉謙信は毘沙門天の生まれ変わりと言われが、旗印を「毘」としていたことは多分御存知だと思います。

毘沙門天を祀った寺としては前述の鞍馬寺、奈良の信貴山の朝護孫氏寺(ちょうごそんしじ)、足利尊氏の信仰を受けた栃木県足利の最勝寺が有名です。

ちなみに大黒天の使者はネズミ、弁才天の使者はキツネです。弁才天の話はまた明日することにしますが、七福神の中で唯一の女性神で、いろいろな天女が混同されて現在の弁才天になったとされています。毘沙門天の妻である吉祥天も古くは信仰の対象でしたがいつのまにか弁才天に統合されていったようです。

こうして七福神を見てくるとおもしろいことに気が付きました。大黒天は穀物の神ですから農業に携わる人達に、恵比寿は漁業神及び商売繁盛の神として漁業関係者や商人に、毘沙門天は武神と言う事で武士や工業に従事する人に受け入れられていったのです。すなわちどんな人達にも受け入れられるように良く考えられていると思いませんか?

あと弁才天について話をすれば、残る布袋、福禄寿、寿老人の三人は禅宗が最盛期の時に出き上がったために入った神達のようです。もっと時代があとだったら福助とかが入っていたかもしれません。

と言うことで今日はこれまでです。明日は弁才天について話をします。
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