6月25日(水)曇
先週末も今週末も何も予定がないので話題となることがありません。アウトドア系の僕にとっては体を動かしている時が一番落ち着きます。ここのところ本ばかり読んでいるので少々疲れ気味です。最近読んでいるものは結構仏教に関係するものが多いです。現在梅原猛の本を読んでいるのですが彼によると明治以降、日本の伝統的な宗教がなくなってしまったと言うことです。教育勅語により日本人の学力は飛躍的に上がったけれども、人間としての規範を教えるべき修身の時間に天皇崇拝の思想に都合のよい部分だけを儒教や神道から抜き出してきただけだと言っています。僕にはよくわかりませんが数週間前に森信三の修身教授録の話(6月3日)をしながら現在の日本には戦前の修身の時間のような教育がされていないからと結論付けました。しかし梅原さんの本を読んで少し修正する必要がありそうです。確かに森信三氏の修身教授録はすばらしい内容だと思っていますが、これは森先生固有の話であって修身の指導方針とはまったく違った講義をしていたようです。それで自分の講義に国から締め付けがあることを覚悟してやっていたのだなと合点が行くくだりがいくつかあったのでしょう。
聖徳太子が神仏習合思想をこの国にもたらし、奈良時代、平安時代には最澄の天台宗、空海の真言宗を中心とした仏教思想が政治の規範を作っていきました。でも当時の仏教は貴族を中心とした思想で庶民には普及していなかったのが実際なのです。それが鎌倉時代になると庶民にもわかりやすい仏教を説いた偉い坊さんがいっぱい出てきます。浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、日蓮宗の日蓮、臨済禅の栄西、曹洞禅の道元などです。驚くことに現在大部分の日本人が属している宗派はこの鎌倉・室町時代にできた仏教なのです。庶民階級まで広がった仏教の教えは江戸時代に寺子屋で教育されてきました。武士階級だけが封建制度を維持するのに都合のよい儒教を教えられてきました。こうして江戸時代までは仏教を心の拠りどころとする教育がなされてきたわけです。ところが梅原氏によれば明治以降仏教思想は宮沢賢治、夏目漱石、幸田露伴、坂口安吾と言った小説家達の思想に引き継がれ、国民は儒教と神道の変形である忠君愛国の思想しか教えられなかったそうです。それが戦後はマッカーサーの指示で取り止めになったのです。多分戦前の修身で教えていた忠君愛国思想は取り止めるのは当然ですが、本来の神道なり、仏教なりをもうそろそろ教えていくことがこの国には必要のような気がしています。
人間が生きていく上で必要なこととして物質的な物は誰でもわかることですが精神的な面では現代人は混乱状態になっているようです。若い頃僕も無神論者だといばっていましたが世界のどこを見ても宗教は存在していること、自分が生きていく上で苦しい時にはいつも八百万の神がいたり、阿弥陀如来がいたりしているじゃありませんか。神様や仏様は僕らが生きていく上で我慢したり、頑張ったりする心の支えの象徴としてすごく意味のあることだと最近僕は思っています。だからもっと根本からみんなが勉強しておく必要があるのではないでしょうか?
戦後の我々は科学技術万能思想に毒され、原子爆弾や化学兵器を生み出したことにより人類滅亡の危機に直面し、資本主義思想に毒され、架空の取引ばかりがもてはやされる金融危機にも直面しています。こんな時代だからこそ心の支えとなる宗教的思想が要求されているような気がしています。
僕はこの2,3年道教、儒教、神道、仏教など手当たり次第に読んできて、日本人の遺伝子の中にはこれらが融合した独特の思想があるのだと強く感じています。こういった思想の整理統合がこの国には必要だと感じています。僕は専門的に勉強した訳ではないし、宗教家でもないので偉そうなことは言えませんが、原点に戻って日本人の思想の構築をする人が出てくることを期待しています。
最近訳のわからないことばかり書いている自分になさけないと思いつつ、でもその時その時の真実を書いているつもりでもあります。
今日はここまでです。つまらない話にここまで付き合っていただきありがとうございます。みなさんもたまには考えて見て下さい。