”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(123)

2007年07月24日 23時52分22秒 | ビジネス
物事7月24日(火)晴
まだ梅雨明け宣言は東海地方ではでていませんが昨日・今日の様子だと明けたような青空ですよね。僕にとってはうきうきするような天気になりました。真夏の太陽と青い海と白いヨットの季節です。今年も汗びっしょりになりながら楽しめたら最高です。
さて今日のテーマは去年の10月22日を最後に止めにしていたビジネス編を再開しようかと思います。と言ってもそんなにころころ信念が変わる訳ないのでビジネス論は控えめにしてもっと精神の持ち方とか哲学に近い話をしてみようかと思ってます。たまたま1年近く前に(06年9月3日~15日)ビジネス編の104~114まで10回にわたり、儒教の経典である四書の中から「大学」について悪戦苦闘の解釈を試みました。それに呼応して同じ四書から、今回は「中庸」を解釈してみようとしています。前回は宇野哲人さんの訳を変形した難解なものとなってしまった反省から、同じ宇野哲人氏の全訳からさらに僕が理解したレベルでかくつもりです。
今回はその前段として儒教全般の解説と「大学」と「中庸」の違いのようなものを簡単に紹介することにとどめ、次回以降のビジネス編において10回程度の連載にしてみます。と言ってもその間、途中にヨット編やゴルフ編や番外編も入ることはお許し下さい。週1回の平日はビジネス編、土日はヨット編・ゴルフ編等を原則として続けてみます。
さて儒教の経典は四書・五経ですが、これらの元はと言えば中国太古の神話の時代の聖人である堯(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)の時代から周の文王・武王の時代までを理想として、孔子がそれまでの伝統的な生活様式や社会通念・道徳や考え方を整理して、考え方や修業の方法を説いたものが儒教とよばれているようです。従って儒教の教えは極めて普通であることが根本であり、人間臭さを追求したものと言えます。そこが道教と異なるところで道教は無為自然といった人間を超越した所に根本をおいている点でむしろ後世になって儒教に対抗してできたものであると思われます。道教による儒教の攻撃が始まった時代に孔子の教えを後世にきちんと伝えるために記されたのが「中庸」と言う書物です。これらの経典は宋の朱熹(朱子)によって整理され四書五経として我々が知るところとなったので、それ以前は混沌としていたと思います。
儒教の経典のうち「大学」は政治に重点をおいたものであり、「中庸」は倫理に重点をおいたものといわれてます。要は「大学」は人を治める方法を説いたもので、「中庸」は己を修めるための倫理・道徳を説いたもので、この二つを持って「修己治人」と言い、この二つが儒教目的と言われてます。要は己を修め、人を治め、国を治める考え方を記した書物が「大学」、物事の道理を説き誠を尽くすことが天命だとする生き方の原理・原則を説いたものが「中庸」だと思います。
ここまでをちょっと頭に入れて次回以降を見ていただけばよりわかりやすいかなと思います。
それでは、次回のビジネス編もよろしく。
ただし今週末は多分ゴルフ編とヨット編が入ると思います。悪しからず。
コメント
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