”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2006年06月20日 23時38分40秒 | Weblog
6月20日(火)
昨日精神的な充足感とか癒し感が21世紀にはもっとも重要で、この方面の技術が著しく発達するだろうと言うようなことをかきました。そのためには今一度哲学や宗教のリニューアルが進むかもしれません。
最近の考え方は論理的に正しければ、誰も反対しない。だから何をやっても良いと言った考え方ですべてを解決しようとしていますが、実はこのことが大きな矛盾の源泉のような気がします。理屈では確かに何も反対できないが、内心おかしいよなって言うことが多くありませんか?たとえばコストの削減のために正社員をとらずに派遣社員でまかなえば企業としてはいつでもリストラできるので経営としては楽なのでどこの会社でもあまり正社員をおかずに仕事をこなしているのが現状だと思います。そのこと事態について確かに反論することはできない正論です。しかしそのために自分の会社の独自のノウハウを持つとか企業の情報漏洩やコンプライアンスのリスクはより大きくなっていることは別の次元で考えているようだけど結構関係があるように思うけどどうなんでしょう?
最近フリーターとかニートが多い、結婚しない若者が多いとか問題視されていますがこれだって今の企業のあり方と無縁ではないでしょう。確かにバブルがはじけて企業は苦しい時期を抜けてきたからと言えば理屈は通っているけど、何かおかしいと思う自分は古い人間かもしれません。
企業がコストを抑えるために人件費を操作することが結果として、結婚しないんではなくて、したくてもできない若者世代を作っているように思います。アメリカ的資本主義は資本家だけが太るしくみであってそこで働く人はお金で買えると言う社会を作ってきたように思います。一方日本の特に明治の資本家=経営者は社員を家族のごとく大事にしてきました。従ってそこで働く社員は会社のため・社会のために身を粉にして働いたのだと思うけど、現在の日本の企業のやり方では自分のことしか考えられなくなっているように思います。
単なる評論だけど、もっとそれぞれの企業で働く社員を大切にする経営であればニートもフリーターももっと少なくなるだろうし、結婚する若者も増えるだろうし、結果として子供の数も増えるだろうと思うのは僕だけなのだろうか?
僕の個人的意見は別にしても、これからの日本のあり方を誰も議論しなくなってしまったような気がして不安です。とにかく儲けること、業績をあげることばかりでほんとうにいいのだろうかと思います。みんな静かに何も言わずにいればとりあえず刺されることないのだからと思っているのかもしれないけど、それでは何も議論は深まりません。そしてこの国が向かう方向もでてきません。人間は経験や議論をしていく中で変わっていくことができる動物です。少々はみでたことを堂々と言える世の中であってほしいものです。何か言えばたたかれる世の中ではあるけどくそも味噌もいっしょの議論ではなく人として犯してはならないこと以外はもっと肝要であるべきかもしれません。
また変な話になってしまいましたが最近思う正直な感想です。僕ももっと若かったらやっぱりあまり自分の意見を言わずにおとなしくしているかもしれませんね。あまりつまらないことでにらまれたりするのは誰だっていやですから。でも誰かが言わなければ変わらないことも多いのですが。
コメント
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