”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(79)

2006年06月01日 22時18分28秒 | ビジネス
6月1日(木)晴れのち曇
今日から6月と言うことで衣替えの時期になりました。僕は今週から背広も夏服に変えたところですが、わが社では今日からクールビズにはいりました。クールビズにふさわしい暑い日になりましたが、折角夏服にしたばかりなのでしばらくは今のスタイルで頑張ってみようと思います。
ところでこのブログも僕の心といっしょで息切れ状態になってきました。今は精神力を試されているような状態ですが、相変わらず本だけは読み続けています。別に何かに役立つ訳でもないでしょうけど、明治の人達の生き方を知りながら僕のような人間でも何かヒントになることがあるかもしれないともがいています。
高橋是清の話も一応読み終わりましたが、日銀総裁、大蔵大臣になってから2.26事件で暗殺されるまでの話よりは横浜正金銀行時代の話の方がおもしろく感じました。派閥でがんじがらめになってどうにもならない銀行へ乗り込んで様々な改革を実践していく姿は読み物なのでよけいかっこいい話になります。ただそれは彼の力だけでなく、彼の味方がいたと言う幸運もあったように思います。成功する人に共通する点は、どんなに孤立した状態であっても、常に信じる正義の道に影ながら味方してくれる人がいることも事実のようです。もっとも人生の運・不運はひょっとしてそう言う味方ができる行動をとれたかどうかなのかもしれません。歴史に名を残す人はみなどこかに味方がいたと言うことです。
つくづく人間一人では生きられない動物だと思います。ただ、だからどう生きるかにはかなり違いが出て来るような気がします。自分は不器用な生き方しかできないので人に教えることはできないけど、最後は自分一人で死んでいくことを考えれば、あまり人をあてにしてもしょうがないと割り切ろうとしています。あとは天のみぞ知るです。多分迷いなく生き抜けるかどうかかもしれません。ただここが人間のおもしろいところでそう言いながら弱さゆえに悩む繰り返しの自分がいます。いくつになっても仏の道はまだ遠く、餓鬼道・阿修羅道をさまよい続けるのが人間かもしれません。ここから自分自身を脱出させることができた時にまた一歩前進するのでしょう。
ただ考えようによっては仏の道を求めてさまよっている間は生きている証なのかもしれません。だからすべてを受け入れて、あるがままに生きていくことが人の道なのかもしれません。要するに悩みや苦悩もあるがままに受け止めて、それでも自分の道を自然体で歩き続けることが理想的な生き方だと思います。
なんか変な話になってしまいましたので今日はこの辺で終わりにします。
コメント
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